minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

韓国型軍事訓練の実施要領

 
 
 
朝鮮戦争の英雄は体育教師出身ばかりだった
 
 
軍事国家の学校軍事教練の初期段階では"体育教師"の中から学校配属将校希望者を選抜して教育した
 
イメージ 2[ミリタリーミーナ] ニホン統治からアメリカ軍政庁統治の時期を経て独立した韓国政府は1948年12月26日 "学生軍事訓練の実施要領"によって、学生軍事訓練を中等学校以上の学校で実施することを決定しました。
その準備作業として、まず学校配属将校要員を高等学校の体育教師の中から軍事教官希望者を選抜して男性は泰陵の陸軍士官学校で、女性はソウル師範大学のトレーニングセンターにそれぞれ入学させて教育を実施し、卒業と陸軍予備役少尉に任官させて、各学校に配属された。 教育期間は1ヶ月程度という短期間で将校教育を行った。その後、学生軍事訓練は "大統領令第57号"(1951.1.21)をもとに再度施行された。
 
 
韓国軍はアメリカ軍政下1946年に発足した南朝鮮国防警備隊を前身とし、1948年大韓民国成立により、正式に国軍となった。当時の兵力は微弱なものだったが、1950年に勃発した朝鮮戦争終結後には急激に膨張し、60万人規模に達した。この兵力規模は冷戦体制下の南北対峙の局面で現在まで維持されている。
" 兵役法 "は、国防部で担当して法制処の審議を経て政府案として国会に提出されて1949年7月13日第4回国会臨時会に上程、真剣な討議を経て、その月の15日に可決された。そして法律第41号(1949.8.6)に制定された。
 
朝鮮戦争に従軍した韓国軍は陸海空あわせても最大で、98,000人程度だったが従軍記録のほとんどが散逸しており、参戦したと自称する韓国人は多く、近年になっても朝鮮戦争の英雄が量産されている。
 
 

実態と背景
 
学生軍事訓練は学徒護国大学幹部訓練所(ソウル師範大学に設置)から300人余りの幹部学生を1ヶ月(1948.12.21〜1949.1.28)という短期間の訓練を実施しても2,400人を養成した。 そして1949年2月中にこれらをベースに学徒護国団を結成し、3月までに結成完了しました。
学徒護国団創設は政府の樹立とアン・ホサン文部大臣の構想を政府が政策的に採用して行われたもので、 "いわゆる逸民主義に立脚した国民の思想統一と民族の運命は若い学徒たちが左右する"という主張を政策に反映させて学生の組織化作業が発展したものだった。 したがって、全国高等学校以上の学生の軍事訓練が体系化されて実施された。
 

戦争に間に合わなかった軍事教練
 
イメージ 1その後、6.25戦争が勃発すると、各学校の配属将校(元体育教師)たちはほとんどが志願または招集によって現役に編入され、学生も多く学徒義勇軍として参戦したり、避難したりして、学生軍事訓練は自然停止した。
※学徒義勇軍とは国連軍などの後方で荷役作業をしていた輜重兵部隊のこと
 
これに伴い、中等学校以上の学生の軍事訓練は学校単位で昔ながら(ニホン統治時代にも軍事教練は無かった)の教練と精神教育に逸脱した断片的な訓練を実施するにとどまった。
 
しかし、情勢が悪化して予備兵力の確保が急がれる問題として台頭しされると、政府は1951年1月21日大統領令第57号 "学生軍事訓練の実施令"を公布施行し、全国の高校や大学で一斉に学生軍事訓練を実施することになった。
 
※この辺は戦時中であり国民防衛軍事件として兵隊教育の予算を横領した事件は有名でしょ。
この学生軍事訓練は、学校の種別や学年の高低に関係なく、一律に基礎的な軍事知識と実地教育に重点を置いて実施しようとした。 しかし、この軍事訓練は実施計画の一貫性が欠けて配属教官の活動の制約と行政支援の微弱、そして学校当局の無関心と軍事訓練を受ける学生の処遇や経費の問題などで、その成果と目的が相反する問題を抱いていた。  
※配属将校の給料を学校が負担するという内容
 
 
そのため、これを補完するために、集団入営訓練を実施しました。 この訓練の計画は、高校と大学の卒業予定者を一律に広州陸軍歩兵学校および陸軍予備師団に入信させ、10週間の短期軍事訓練を実施して国軍幹部要員を確保しようというものだった。
 
この訓練は、戦後の1954年7月10日から1955年2月末までに各学校単位で実施したが、効率が悪く低迷状態に陥った。
そして学生軍事訓練を有効にするために、1961年4月25日、国防·文教の合意によって学区(ROTC)の実施要項を発表し、全国16の大学に25個学徒軍事訓練を設置して、全国の学区制度を導入して初級将校獲得のための学徒兵の教育を実施するに至った。
 
 
 
(自称、軍事史実研究家 ネトミナがまとめました)
 
 


 
学徒義勇軍は "兵役法施行令"(1959.2.18大統領令第1452号)第107条の規定に基づき実施された、1950年6月29日以降学徒義勇軍在日韓国人学徒義勇軍を含む)に国連軍や国連軍に隷属して1951年2月28日に解散するまで勤務した者として戦闘に参加して、その情報を持つ人々だった。ところが学徒義勇軍は1951年2月​​28日に解体され、解体された後、学校に復帰したり、現役編入または後方工作隊に残留した。 朝鮮戦争停戦後の" 兵役法改正 "(1957.8.15法律第444号)により1958年6月以来、彼らは第1予備役に編入された。
 
国連軍統治時代に端を発するとされる韓国軍ですが、最初は警察組織からの編成のつもりだったのが派閥抗争によって別途に国軍をつくることになったり武器装備(軍服やヘルメットまで)をニホン式に装備しちゃったりして混乱したとか、ほらニホンが武装解除して武器弾薬を連合軍に引き渡した物の再利用ってことですよ