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嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

韓国の食事作法⑦

 
 
 
 
韓国式食事作法についての歴史的背景を知る
 
 
 
 
イメージ 2[今日のミーナ] 私達はなぜスプーンと箸を一緒に使用する食習慣が生じただろう? なぜ穀物を主食にして鍋にごはんを落とし込むようにして多くの人が分けて食べるのか? なぜ食事をする時に両手を使用したり、お椀を持って食べることがないように教育されたのだろう?
わが国に暮らす私たちには当たり前の "食卓の作法"ですが、外国人の目には嫌悪作法といわれる"韓国式食事作法"気になる点だらけだ。

  
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 ▲海外からの観光客向けの韓国料理膳は、韓国社会の歴史的、社会文化的文脈を含んでいる。 箸をつかうようになったのも100年足らずだ
 

各国固有の食文化には歴史的経験と自然環境などをもとに作られているに国別、地域別特色がはっきりしている。 食べ物を研究している人々は、個人の食習慣を知ることは、その人だけでなく、家族や共同体の特性まで知ることができるとする。 長年の習慣が作成された食文化は、多様な社会を理解するために重要な要素だ。

わが国ではいったい何を食べてきたのだろう、王朝実記には日々の献立の史料として文章化されたものが散見されるがその多くが"季節の素材を生かして配膳された"とだけある、しかしそれがどのように調理されたものなのかを推定している段階なのである、しかも当時の富裕層であった両斑階級の資料としてわずかに伝わっているにすぎないこともあり庶民層が何を食べていたのかという記録はほとんど見ることができない。
倭寇騒乱丙子胡乱によって国は疲弊し当時の清国への賠償として毎年2万石もの米を献上しなければならなかったわが国では19世紀末の開国政策とともにに米作が普及し石高が倍増するまでの500年ものあいだの李朝時代の人が何を食べていたのかという記録が無いのだ、しかし記録がないというよりも意図的に抹消されたとみるのが正しいだろう。
 
現代のキムチの原型となるキムチは我々の郷愁的感情では、16世紀頃から食べられてきたとされるが、わが国の代表的キムチである白菜キムチにつかわれる結球白菜朝鮮半島に登場したのは1920年代のことでありそれ以前に使われていたであろうと推定した青菜白菜(結球していないもの)で当時のキムチを再現しようとキムチ製造がこころみられたが保存性の高いキムチをつくることなど思いもよらないという研究結果も出てきている。
 
さらに当時の食文化を記録したものとして多くの研究対象となっている"食品飮食知味方 "によれば、当時の両斑階級はキムチを食べなかったことがわかる、これによれば現代のわが国で食べられることの多い豚肉料理も出てきはしない、唯一の資料として残る数少ない手掛かりによれば魚と鳥が動物性たんぱく質であり獣肉は出てこない、儒教という因習にとらわれていた当時のようすをうかがい知ることが出来る。
 
であれば現代になって再現されている"韓国料理膳"とは何なのだろう、実は1980年代に作り出された"観光客向けメニュー"が原点ではないかという冷静な意見すら出てきている。
 
現代になっても多くの国で先祖の供養などで大料理を配膳することがある、それはもちろん食べるためのものではなく供物としての儀礼的な演出で多彩な視覚的効果をねらったものであることはいうまでも無い。
 
 
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▲代表的な韓国料理膳、こうした献立が当時の食卓に供されたという歴史的記録は残っていない。(ホッケ漁は1920年代にニホン漁師が伝えた、ジャガイモは毒があるとして朝鮮半島で食べられたのは戦後、など)
 
 
 
キムチを食べなかった両斑階級、豚肉もたべた庶民層
 
1960年代の食事風景をおぼえているだろうか、米食は制限され麦や雑穀の比率さえ政府から推奨され、豚肉などは思いもよらずキムチとチェンジャで交互に箸を進めていた時代がほんの50年前なのだ、だがそれよりも古い時代に一般庶民がどのような食事をしてきたのかなどという議論をするつもりは無い、ただ50年前の食卓よりもさらに見劣りするものだったということだけは確かなようだ。
 
記録に残っているものはすべてがソウル(当時は漢城)在住の両斑階級によるものばかりであるが、当時の地方地域ではそれぞれ固有の食文化が存在していただろうということは容易に想像がつく、しかしこのように地域に根付いて食べることができる食品は減り、古いダイニングエリア(食堂街)よりも均一化したレストランが全国的に広がっている姿は、韓国だけの特徴だという。 食材の味や調味料の配合程度の差はあるが、全国的に標準化する現象は、特に70年代以降顕著になったという。
 
 
そろそろ食事の作法について考えよう
 
東洋ではナイフとフォークではなくスプーンと箸を使用する食事法は、レシピと一緒に発達してきたのだ。 東洋では、一口に食べるほどの大きさで料理を作ってスプーンを使用する方が便利だった。 スプーンを一緒に使用することは<司会>作法にも出てくる。 さらにさかのぼると、古代中国では、スプーンの使用が一般的だったが、明朝中期以降衰えたが、これは次の発達に汁がある料理が徐々に少なくなり、現れた現象だという。 一方、韓国料理は、スープがある料理とのない食べ物を並行して食べるためドレススプーンを一緒に使用せざるを得なかった反面、箸は本来の挟む目的から離れ、突き刺す道具として定着していった。
 
食器もスプーンの使用と関連がある。 中国の食器は、陶器であり、日本でも陶磁器や木で作られた漆器であった。 これらは比較的軽く手で持ち方したが、我々の場合には両斑階級だけが主に保温に有利な重い真鍮器を使用した、  一般庶民らは中国や日本のようにご飯を減らして食べる小さなボウルを使うこともなかった、家族がひとつの食器をとりかこみ食べる風景が一般的だったのだ。こうした食習慣は現代になってもB型肝炎の蔓延などの弊害を引き起こしている。 ※1950年代の流行
 
 
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▲ビビンバを争うように取り分けて食べる習慣は韓国人だけにある習慣だ、同じ民族であるキタ朝鮮ではビビンバという食べ方すら存在しない。
 
 
我が国の庶民階級では食器を持って食べる習慣が定着していない理由はもうひとつある。 大きな食事盆を囲み全員が一同に食べるという食習慣が一つの規範になって子供の頃のボウルを持って食事をすると叱らを迎えたのである。
両斑階級が消えてなくなり、一般市民が両斑出身だと名乗るようになってもかわることのなかった食習慣がこれである。  (キタ朝鮮では両斑階級の出身だと身分詐称することは絶対に無い)
 
 
 国の政策も私たち口を左右する
 
食習慣は、階層的な経済的要因も作用する。 のような地域や文化の領域に属する人々であっても所属階層や地域によっては、特定の食品を好む傾向がある。 人々が食品を選択する味の基準は生まれるのではなく、後天的学習で習得したものであり、個人の好みは主に家族が持っている文化的属性に基づいて位置することになる。 以来、学校や軍隊生活での変化の過程を通すようになる、国の政策も私たちの食欲を左右する一因となるわけだ。
ある調査によれば、1970年代以降、韓国社会で流行した食べ物を見ると、国の政策と都市の拡張は、特定の食品を全国的に流行させる様相を見せてきたという。 代表的な例として、インスタントラーメンの爆発的なまでの普及がある、わが国で発売された当初は価格も高く、気安く食べられない高級品に位置していたが、所得構造の変化と軍部隊での給食嗜好の変化もあって現在では世界最大の消費国となっている。 また全州ビビンパも挙げることができる。 韓国料理のグローバル化が国家レベルの政策課題となり、地方だけで食べられてきた全州ビビンバが全国ブランドとしての地位を取ったが、この過程で、様々な地域の特色あるビビンバがその色を失うことになった。
また韓国膳料理が宮中での食事メニューであったとする恣意的捏造がTVドラマチャングムなどにみられる宮廷ブームと相互作用をしながら作り出されたりもした。
 
 
(翻訳 : みそっち)
 
 


 
 
キムチですら100年程度の歴史しかないんですから"元祖韓国料理"なんていうものは最近になって作られたものなんですね
 
しかもキムチは単独で食べられることはなく残り飯にマジェマジェしてスプーンですくって食べるのが普通だったということですから
 
 
お箸を突き刺すお茶碗事情
 
 しかも葬儀祭礼用盛り付け宮廷風だということにして、当時無かったものを"純未開朝鮮式作法"で食べるというマジェマジェ式論法でつくりあげられたということのようです。 さらに先祖供養用(ニホンでは仏壇に上げるもの)としての金属製容器を"伝統的食器"だとして現在に使うという荒業もすごいですよね
※ニホンの某老舗金属加工業者では仏具としての真鍮加工品と韓国向け食器の生産が半々であるとか
さて困るのは、そんな社会習慣をもった韓国人が海外で恥ずかしい行為をするということなんです
中華料理での足元ペッペとかについては食習慣として容認できる点もあるんですが飛行機のなかでキムチを出したり(無臭キムチで挫折)、どこでもMyコチュジャンを持って行ったことかな 最近はMyコチュジャンは下火みたいだけど。
 
 
 
 
 
 
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