minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

最近さ、檀紀年号って言わないよね まだ言う?

 
 
 
檀紀年号でみる半島の近代史 ⑭
 
 
西暦を使うからと言って西洋のどこかの国の属国であるとは考えないだろう、我が国が長く中国の暦を使ってきたのは当時の大中華秩序という枠組みのなかで朝貢国として記録されるように・・・・・(そういうのを属国って言うんだけど)
 
 
朝鮮の年号(年號)
韓国自体の歴史が浅いこともあるが西暦を使用し始めたのは1961年からと確認されます。
それ以前に使用した 檀紀年号は 1948年政府樹立以後大韓民国の公共年号で、すべての公文書に使用してきたが 5.16軍事政権が発足し、1961年に廃止 されたものです。 
(1961年といえば軍事政権樹立のとき、実はアメリカが檀紀を嫌ったという説がある)
 
 
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檀紀年号4285年度(日本の紀元年号のようなもの)これは1952年の記録、韓国では軍と政府が特別慰安隊を徴発し軍部隊とともに移動しながらその売り上げを管理していた。 韓国人慰安婦のはじまり
 
 
独自の年号があったらしい ⇒ 唐の時代から中国の年号を使う ⇒ 1894年に光武だの隆熙といった中国風のに改める ⇒ 1910年からニホン風にしてみた(これを韓国では植民地時代と呼ぶ) ⇒ 1945~1948アメリカ軍政府時代 ⇒ 1948年、檀紀を使い始める ⇒ 1961年、初代大統領追放とともに西暦を使うようになった。

 
朝鮮の年号に関する記録は口伝の古史とともに(古碑)でも見られる。高句麗広開土王時代には永楽(永樂)があり、新羅時代の法興王23年に初めて元号を立ててゴンウォン(建元)としており、その後開国(開國)、テッチャン(大昌)、弘済(鴻濟)、ゴンボク(建福)、仁坪(仁平)、太和(太和)などがあった。
 
百済の年号は詳しく知ることができない。しかし、新羅ジンドクワン(眞德王)の時、金春秋は、唐に使者に行って服従するに至っており、同じ王4年についに自国(自國)の年号を廃止して唐の臣民(臣民)になった。
 
ここから、朝鮮では歴代中国、満州などの大国を仕えることに、その年号を使用するのが慣例となった。[(弓裔)が(武泰)、城柵(聖冊)、(水德萬歲)という年号を使用しており、高麗の太祖の時に(天授)、光宗(光宗)の時光德面(光德)という年号を使用するなどの事があったが、いずれも一時の蛮勇に過ぎなかった。
 
 
 
日清戦争で清国から独立をする  (このへんは良くご存知ですよね)
 
 
 
年号使用例
 
 
イメージ 1近年になり、李朝(李朝)末期に達して、朝鮮(チョソン)が初めて中国との関係を断絶し、建陽(建陽)と年号を定めた、
またこれを廃止して再び光武と年号を定めてみたり
再度隆熙(隆熙)と年号を直したりした
 
日本では唐との外交上、唐の年号を使用する6年前に、すぐ孝徳(孝德)天皇元年に初めて大覚寺(大化)という年号を立て、以後、継続して、自国の年号を使用することに変わりがなかった。
 
中枢院顧問徐載弼農商工部の事務から、顧問を兼任するという指令。 内閣総理大臣というところで当時の朝鮮はニホンのものまねだとよくわかる(明治29年
 
 
 
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▲当時アメリカ国籍だった徐載弼に独立政府の大統領になるよう依頼するお手紙
最近の韓国の主張と違いこの時点でも独立政府樹立目前となっている
檀紀年号4281年度(日本の紀元年号のようなもの)これは1948年の6月のこと、
 
 
徐載弼:大韓末期から右に行ったり左に反れたりしてアメリカやニホンへの亡命をくりかえしたりしながらアメリカ国籍を取得した近代型韓国人のひとり、
1948年7月に行われた選挙では、支持派によって大統領へ推挙されたが、李承晩とは最後まで相容れず、選挙出馬を固辞してアメリカに帰国して死去
 
 
 
第二次世界大戦後、日本の国名この大日本帝国から日本国に変更されたが、現在も日本人は天皇天皇天皇)と呼び、英語では"Emperor"と表記して国際的に通用する。エチオピアの制定廃止により、21世紀に入って現在までに存在する皇帝は日本の天皇が唯一だ。
 
 
 
(翻訳:みそっち)
 
 


 
檀紀年号ってつかうのは独立新聞とかそういったところばかりのようです
 
 
 
韓国では最大右派といわれるWiki古朝鮮のカキコ
 
 
古朝鮮 (古朝鲜、 紀元前2333年 ?〜 紀元前108年 )は、 朝鮮半島の歴史の中で最初の国といわれる古代国家である。 城壁、宮殿、都市などの遺跡がまったく発見されず、古朝鮮固有の成果物で提供されていることも発見されず、国があったのかとその範囲について多くの議論があったが、各種の青銅器、初期の遺物と見られるドトチり土器が紀元前2000年ごろに使用されたとみられる櫛目文土器と一緒に発掘されており、韓国や中国などの資料をもとに韓国では実在した国と見ている。
 
場所さえ不明な古朝鮮
 
場所については、まだ議論が多いが、新石器時代の言葉である紀元前2000年頃に中国の遼寧省遼寧省)、ロシアのアムール川沿海州地域から入ってきた紐文様土器文化が進んだ櫛目文土器文化と約500年間共存してから徐々に青銅器時代にスキップしたが、この時が紀元前2000年頃から紀元前1500年頃に、朝鮮半島青銅器時代が本格化される。
新石器時代を引き続き朝鮮半島では、紀元前10世紀頃に、満州地域では、これより先に進む紀元前15〜13世紀頃に青銅器時代が展開されたと見ている。
したがって、 大韓民国歴史学界では、一般的に青銅器文明をベースにして、満州朝鮮半島に実際にあった古代国家と捉えている。 このため、国内の学者たちは、古朝鮮韓半島の最初の国で認める意見に疑問の議論はありますが概ね檀君朝鮮 (BC 2333〜BC 238)· 箕子朝鮮 (BC 1122〜BC 195)· 衛満朝鮮 (BC 195〜BC 108)などで区別して包括的な意味で使用されていることもある。
一然は、 " 三国遺事 ""と朝鮮"に"周の武王 (武王)が王位に上がったギミョニョン(BC 1122)に記者 (箕子)を朝鮮の王の棒だから、 檀君はこれ一枚当たり径(藏唐京)に移った"と記録して檀君朝鮮と箕子朝鮮が884年間共存していたように見えた。
 
記録が無い場合韓国では心情的主観によって結論から物語がつくられます、これによれば"世界最初の共和国型民衆参加政府機関"として朝鮮に出来た国であるという教育がふつうに行われているんだそうです