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嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

徐福で大儲けしよう 済州島②

 
 
徐福伝説で中国人観光客をつかめ!
 
徐福伝説が本当なら何か痕跡があるはずだ、高麗時代に中国の古典が持ち込まれると折々の解釈が生まれた
特に朝鮮後期の儒学者らは司馬遷の書いた史記の記述どおりなら始皇帝の命を受けた徐福らの目指した蓬莱山とは済州島の最高峰である漢拏山のことであり伝承の通りなら徐福は済州島を最終目的地として童子1000人らと移り住んだものだという主張までしている。 
(本当は当時から流刑地、現在でも特別自治州なのはそのころの名残りである)
 
又使徐福入海求神異物,還為偽辭曰:『臣見海中大神,言曰:「汝西皇之使邪?」臣答曰:「然。」「汝何求?」曰:「願請延年益壽藥。」神曰:「汝秦王之禮薄,得觀而不得取。」即從臣東南至蓬萊山,見芝成宮闕,有使者銅色而龍形,光上照天。於是臣再拜問曰:「宜何資以獻?」海神曰:「以令名男子若振女與百工之事,即得之矣。」』秦皇帝大說,遣振男女三千人,資之五穀種種百工而行。徐福得平原廣澤,止王不來。
 
2011年に発案された"徐福、済州島に不老不死のクスリを探しに来たのか?"記録も伝承もないお金もないから手作りで歴史資料博物館建設まで、この途方も無い計画とはいったい何だったのか
 
 
 
イメージ 11[マネーミーナ] 西帰浦、中国の長い歴史の縁輪になった "徐福(徐福)伝説 '。 口伝でのみ伝えられる "徐福の伝説"実証データ検索が本格化される。
 
済州島自治政府は、徐福が正方滝岩壁に刻まれかけたと伝えられる"( 徐巿过之 ) "刻文の体系的な調査を2011年に実施することを明らかにした。
(徐福が済州島に寄ったのなら寄港地はココしかないという一部地権者の発想)
 
徐々に増加している中国人観光客の注目を集めることができる文化観光資源になると期待され、調査の結果に関心が集まっている。
 
 "徐福の伝説"は、西帰浦の地名の由来になったと知らされたほど西帰浦と深い縁がある。
西帰浦の地名の由来はニホン統治時代にさかのぼる、ほんの100年ほど前までは済州島の南岸に位置する人の住まない地名すらなかった寒漁村である。ニホン南西諸島から入植した漁民らによってつけられた名前であり、韓国語表記がニホン風なのはそのころの名残り)
 
発見されない痕跡と口伝のシナリオの配布
秦の始皇帝は、不老草を救うために徐福を含む使者たちを済州島サムシンサンの一つであるヨウンジュサンに送った。 徐福一行は、朝天砲を介して済州に入った後、ヨウンジュサンに上がっ不老草を求め、持ち回りで正方滝岩壁に 'でわずかか'篆刻を刻んだという。 しかし、正方滝の西わずかれる口伝でのみ伝えられるだけで確認されている事項はない。
徐福が刻んだ文字は慶南南海、日本の長崎壱岐市治具鼻マヤ田村石室など、いたるところで発見された。 済州島では、これが正方滝刻印の可能性を示唆していると見ている。
 
 
 
 
済州島自治州政府  中国人観光客誘致のメダマとして徐福来航地あるいは目的地だったとする計画
 
徐福の岩の調査は今回が初めてではない。  1990年代初めに外国人観光客の誘致を提供するために、徐福の岩標本調査を実施したが、大きな成果はなかった。
 
済州島は、詳細な調査を実施する計画である。 調査内容は、▲正方滝岩270m区間の高精度3次元スキャニング調査 ▲落石調査 ▲徐福の移動経路、不老草コンセプト究明など文献調査 ▲語り継がの学術調査などである。
このため、まず3月から自主的に文献資料の収集などを介して基本調査に入る。  6月以降、補正予算による予算確保を通じて請負業者を選定、調査を本格化する予定だ。
 
ハンドンジュ文化観光スポーツ局長は "済州島は、これまでのハンパヅリ、流刑文化など、道内の歴史文化化の伝説をストーリーテリング化する予定"としながら "徹底した資料調査を通じた考証作業を経て、文化観光資源として活用しようとする"と明らかにした。   "徐福の伝説をストーリーテリング化して文化観光資源として活用すれば、徐々に増加する中国人観光客の注目を集めるに十分なこと"としながら "今回の考証作業が地域文化活性化にも寄与するものと期待される"とと述べた。

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▲徐福の目的地はさまざまな解釈がなされてきた、童子1000人を連れて渡海したとされるその痕跡はなぜかニホンにも多く存在する、また台湾でも似たような研究がおこなわれている
 
 
秦の始皇帝、永遠の命をもらおうと探検、まだ童貞の何千人も連れて
  航路といくつかの万里の新しい国見つかった徐福  寄航しただけだったのか最終目的地だったのか
  伝説にだけ残すわけにはいかないか‥
 
 
伝承に出てくる刻文の発見が最重要視される懸案だ、

このように、まだ研究が不十分であるため、この刻文が徐福の来韓を実証する成果物であると断定することはできない。 しかし、古い遺物として徐来韓の伝説的要素が深く根付いているだけでなく、このような南海の霜の岬をはじめ、周辺の近くに関連伝説が数件あることなどを勘案すると、このアムガクが持つ象徴的な意味や示唆するバー決して無視できないのだ。
しかし他に徐の来韓のいくつかの興味深い伝説は、事実性を一層強化してくれる。 徐福が済州島ヨウンジュサンで "城見"(漢1700m以上の高山地帯に生える常緑低木のエンドウ豆の大きさの食用の果実)と "不老草"を入手して得意喜びながら西に向かって帰路に上がった捕球と呼ばれることから "西帰浦"という名前がつけたと伝える。 智異山句にあり、全南求礼郡マサンミョン冷泉町に立ってわずか東南東女500人不老草を救うためにサムシンサン(智異山)に行きながらこの町に立ち寄って温泉水を飲んでみると、水があまりにもなり、 "冷泉町"という名前をつけたという。 蟾津江の支流である求礼の西施の布(徐市川、ソブルの火(市)子市(市)として誤認)の名前も同じケースだ。
これに加え、徐福伝説は、啓発と教訓を抱いてくれる文学モチーフにまで昇華して貴重な民族文学遺産に伝承されている。 朝鮮時代の歌詞束家の<支配説(警世说)> <ベクバルガ(白发歌)>には徐福のメンランハン旧約無駄になぞらえて、人生の虚しさをこのように嘆いている。  "徐福の東南東女ドルオ来ニュイ聞いノ、ブルサヤクどこたり不老草見たか、...いく青春ニュイ防いでくる白髪ニュイ第し​​ようか"。  <沈清伝>にもこのような大きな課題がある。  "東南東女糸だったから秦の始皇帝の不老草キャラ行く船なのか、放射西施(ソブルの誤字)ないので、漢武帝の新鮮見つける倍なのか、途中で死んでも、船乗りたちが守って、生きていこうとしても帰る国は遠く遙かだ"。 船に載ってインダンスの提供がされている沈清のお世話を徐があった悲運の観点から悲しんでいる。 朝鮮の文人新光限度<記載奇異(企斋记异)>の始皇帝の空しい夢は "世界を混乱させ、万歳の笑いものになった"とし、 "神泉になる噴水もないのに新鮮になる薬を飲む者は、ハンガトその寿命を促すために少なくなっているだけだ "と痛烈な皮肉を送っている。 他に有名な金襴の洞窟の伝説 "は、不老草を求めようとするかのように無駄な妄想を抱いて無謀にこの地を触れる者は殺さだけ受けるようにというメッセージを投げかけている。
 
(神泉>>秦~新~清 これらが同じ表記で表されるハングルジレンマによって起源は檀君であるというのが最近の韓国の歴史教科書となっている)
 
このような様々な事実は伝説の徐福を2千年前に韓中交流の歴史的現場に引き出している。 もちろん、秦以前の時代にも古朝鮮との人的、物的交流があったが、徐たちのように何千人もの大船団を作成穀物と武器を乗せて行き来したのは史上初のことだった。 中国ヘヤンサでも徐の出解凍度は遠洋航海の始まりだと評価する。 徐福一行はナンアと場所から出発して山東半島の沿岸に沿って北上し、​​渤海を渡って遼東半島の南海岸を経て韓半島の西海岸を南下して済州島や南海岸に到着したものと推定される。 例えば、古代の韓海路の沿海でを伴うことになる。 その先端規模について東南東女3000人を含め、乗船人員を約5300人で計算する学者がいる。 とにかく私はねどのようにせよ徐は、古代の韓中交流の黎明期にその幕を開けた人物であることは間違いない。
 
 
徐福公園訪問記
 
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中国人観光客誘致のために済州島西帰浦の山中に建設された徐福公園、ここには興味深い展示物が多く展示されている
 
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まず目を惹くのは"秦の始皇帝"のレリーフだ、こうしたものは中華文化圏ではよく見ることが出来るが100年前に属国で無くなった朝鮮半島で新造されるのは極めて珍しいことになる、徐福公園の経営は中国系企業の出資によって運営されている。
   
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徐福公園の篆刻のある石碑、赤いペイントが入っている理由とは"ニホン式墓石生前建立様式"にも似たものでこの事業計画がまだ未完成であることを示しているともいわれる。
 
 
 
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中国などではよくみかける簡易式中華風建築、横浜中華街のほうがよほどお金をかけているのが手に取るようにわかる安普請なのに驚く。
 
 
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始皇帝の統治した判土を示した地図、始まったのは紀元前200年頃のこと 不老不死薬を探す旅に朝鮮半島は登場しない、また韓国人見学者のためのハングルの解説にも朝鮮半島との関連性をしめす解説は一切無い。
 
 
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いかにも中国人が好みそうな鎧武人像、徐福博物館の展示物であるが韓国・済州島とは一切関係の無いものだ、またこれらの展示物は古色仕上げされたプラスチック造形物であり歴史的価値があるわけではない。
 
 
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こちらは中国人観光客が好むレリーフである、始皇帝に謁見する徐福らの姿を描いているとするが大清皇帝功徳碑(だいしんこうていこうとくひ)にも似たレイアウトであるが地元韓国人の神経を逆撫ですることもなく功徳碑は歴史教育から消えてしまった。
 
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このような再現物がこの後も続く、済州島"徐福伝説招致問題"とは中国資本の進出と中国人観光客誘致を目指す済州島政府の目的が合致したテーマパーク建設ブームに隠れたよくわからない博物館のひとつであるということだけは確かなようだ
 
 
(翻訳:みそっち)
 
 


 
いなかのテーマパークのおはなしでした。舞浜にウエスタンランドジャングルクルーズがあるのと同じようなそういった博物館だと思っていただければいいかもぉ
 
 
 
 
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