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嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

慶州瞻星台、人骨がいっぱいなんだけど

 
 
 
 
 
 
イメージ 9慶州瞻星台(けいしゅうせんせいだい)は、韓国 慶尚北道慶州市にある建造物で韓国の国宝(国宝第31号)。韓国では東洋最古の天文台と主張されている。
 


 
概要
建造年・建造者・建造目的は不詳。韓国では天文台(瞻星台)といわれているが、本当に天文台であるかどうかに関しては韓国国内においても議論がある[1]。なお建造物が天文台であると、最初に主張をしたのは日本の気象学者で朝鮮総督府観測所所長をつとめた和田雄治である。
 
瞻星台 (瞻星台)は、 慶州市 半月城の東北に位置する新羅中期の石の建築物で、 善徳女王時に建てられた、現存する東洋最古の天文台として知られている。 [1] 1962年 12月20日 国宝第31号に指定された。
 
イメージ 1瞻星台に関する記事は、朝鮮半島の正史『三国史記』には一切ないものの、『三国遺事』や『輿地考』には見受けられる。最初に登場するのが『三国遺事』の善徳女王の記事であるため、慶州瞻星台は善徳女王((632年 - 647年)の治世下に建造されたとされる。
その善徳女王が仏教に力を入れていたこともあり、仏教の発展を願い、仏教の霊山である須弥山を模った祭壇ではないかという主張もある。そのほかに太陽時計説などもある。
 
構造
建材には、花崗岩が使われており、円筒状に建造されている。地上部分の直径は5.17メ ​​ートル、上層部の直径は2.5メートルである。花崗岩は厚さ30センチに加工されており、27段積み上げられている。 地上部分に入口はなく、中腹部分にあたる13段から15段の部分に四角い窓が一つあり、中への出入りはハシゴを使い、ここから行われたようである。内部は地上部分から花崗岩の12段部分まで土で埋められている。19段と20段の部分と25段と26段の部分に床がある。
 
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建設当時は頂部には屋根があり周囲には上り下りするための木製の足場があったと推定されている。しかし朝鮮時代までにこの石塔での祭祀はすべて失われ、その痕跡さえ探し出すことは出来ない。
さらに善徳女王の時代との関連を示すとされた資料でも史実と異なり場所が大きく違っているなど本来の目的は不明のまま国宝に認定され現在にいたっている。
※伝承に残る満月城はその遺物がまったく発見されていない。
 
 
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瞻星台は新羅の王宮があった月城北側に位置しています。362個 [2]花崗岩のブロックを使用して円筒形に築造した。 [3]高さ9.17メ ​​ートル[4]に基づいての直径は5.17メ ​​ートル、上層部の直径は2.5メートルである。2メートルから4メートルの高麗朝鮮時代の現存天文台より大規模である。
 
 
 
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▲内部には大量の土砂が堆積している、朝鮮時代には遺体を投げ入れるなどしていたことが記録に残っている。
 
 
善徳女王の治世に天文台として建設されたが近年になり宗教的価値も持つものとして天体観測と当時の宗教観を融合した造形物であるという研究が進められている
 
そのいっぽうで用途と建設方法についての記録がないために、製鉄の盛んだった高麗時代の溶鉱炉(高炉)だとする強硬な意見も存在する [要出典]
高麗磁器の焼き窯説
※周辺に森林など製鉄の材料に欠かせない燃料となる木がまったく無いことが理由
 
 
 
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画期的な建築方法:瞻星台は362個の花崗岩を組み合わせてつくられた、その建造方法は長いこと秘密とされてきたが近年になり入り口が無いことや正確に南を向いているとされてきた窓が7度も横を向いているなどの不思議が指摘されている。
 
土を盛りながら運搬路として利用し内部の崩壊を防ぐ意味で内部も土で充たされながら建設されたとみられる。
 
また本来同心円で建設されるべきものの中心が基底部と頂上部で20cmほどずれているというのもその説を裏付ける証拠と主張されている。
 
穀物保管庫(サイロ) 天文台 祭壇 牢獄 風車小屋 縦型古墳石室
この用途については各種の研究が行なわれており研究者の数だけ解釈がなされるという事情もあって研究は進んでいない、しかし歴史的記録に初登場するのが西暦700年ごろということもあり最古の建造物であるということだけは海外の研究機関からも指摘されている。
 
 
(翻訳:みそっち)
 


 
はしごをかけて上までのぼって中を見たら空が見えたり
中は土砂で埋まっていたり
発掘すると倒壊するおそれがあるので発掘は許可できないとか
朝鮮時代の一時期に死体を投げ込んだことが記録にあったり
天文観測が朝鮮半島ではじまったのは19世紀になってからだったり
それでも製鉄業の起源として溶鉱炉の高炉だという主張があるんだけど
500年あまりにわたっておそらく数千人の死体が投げ込まれただろうというのが発掘を許可できない理由だということです。
 
 
 
イメージのこと
 
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