minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

だったらイイなを主張する⑫

 
 
 
日本の降伏調印式に"韓国人が参加していた"
 
 
戦勝国としてミズーリ艦上での降伏調印式に参加していた証拠を捜せば韓国政府の多くの主張が認められるはずだ。
 
 
 
イメージ 2[今日のミーナ] 毎年この時期になると韓国では戦勝記念として多くの行事が行なわれる。彼らはベトナム戦争の勝者であり、韓国戦争でも大勝利をおさめ、第二次世界大戦では"戦勝国側の一員として参加した"と口々に主張する、そのように教育されているのが現状だ。
 
しかしここ数年の調査と数々の証言によってトーンダウンしてきているのも事実だ 、彼らの主張となるのは"大韓民國臨時政府が太平洋戦争勃発時に大日本帝国に宣戦布告した"ことなのだという。
 
しかし大韓民國臨時政府はどこの国にも相手にされなかったし宣戦布告したという事実も確認されていない。
(1941年12月9日に当時のルーズベルト大統領とコーデルハル国務長官大韓民国臨時政府の宣戦布告と臨時政府の承認要求公式書簡を送ったとされるがアメリカ側の記録には残っていない、宣戦布告状は複製品が1986年に作成され現在は韓国の国立博物館に所蔵されている。)
 
 
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大日本帝国降伏文書調印式は9月2日に東京湾浦賀水道内の城ヶ島館山の間あたりの海域)に停泊するミズーリの甲板上で行われ、アメリカ合衆国イギリスフランスオランダ中華民国カナダソビエトオーストラリアニュージーランドが調印して日本の降伏を受け入れた。
 
 
 
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▲この椅子とテーブルは現在記念艦となったミズーリ号に保管されている
 
 
ところが"韓国戦争"ではニホンが掃海艇を出した。機雷除去に参加した、とする主張が出るごとに韓国型感情のひとつである脳内平衡として"降伏調印式に戦勝国代表の一員として参加したのだ"という突拍子も無い主張をしている団体がある。
 
彼らの最新の研究によれば、"ミズーリは艦砲射撃のため日本近海を遊弋しながら補給のためにフィリピンレイテ島の港に寄港している、敗色間近なニホン砲撃のために乗船した乗組員のなかに、"OSS指揮下にあった大韓民國臨時政府の対日部隊を率いていた人物の名がある"という主張だ。
OSSとは戦略情報局のことだがその名の通り、戦略情報の収集や分析、諜報及び特殊活動を担当するためその活動内容は長いこと公開された来なかったこともあり、今回の"戦勝国願望達成"のネタとして浮上してきたものらしい。
 
当日のミズーリ号には通常の乗組員のほか連合国の代表が乗船しており、多くの随員とともにその中にOSSのメンバーがいたとしても不思議ではない、しかし当時のOSSはニホンの敗戦により共産化の懸念される中国、朝鮮の警戒のための出番が来る1948年まで縮小されていくことになる。
 
 
李承晩はその間ハワイに隠棲し朝鮮に帰国したのは10月16日になってからだった
 
 
(みそっち)
 
 

 
 
 
 
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