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嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

日韓対決、イザベラバード 解説付き

 
 
 
 
日韓対決、イザベラバードが見た当時の半島って?
 
 
イメージ 5[メディアミーナ]週刊ポストセブンによるイザベラバード旅行記と同じくして聨合ニュースがとんでもない珍説を披露してニホンネチズンの嘲笑を買っている。
ニホンが日清戦争に勝ち朝鮮が清から独立したころから総監府が置かれ衛生観念が教育されることよって近代化された過程をふっとばして、韓国人でも事実を知ると曲解しても否定したい歴史が素晴らしい韓国賞賛にかわるをおたのしみください。
 
 
イザベラ・バード(Isabella Lucy Bird, 結婚後はIsabella Bird Bishop夫人, 1831年10月15日 - 1904年10月7日)はイギリスの女性旅行家1894年から1897年にかけ、4度にわたり末期の李氏朝鮮を訪れ、旅行記"Korea and Her Neighbours"(『朝鮮紀行』)を書いている。
 
まずは聨合ニュース配信から
 
 
英旅行家イザベラビショップが大事にしたソウルの風景
 
 
 
まずはビショップ懐柔説から
"最初は朝鮮と言う国に対して、不快感を感じた。しかし、ソウルの雪に覆われた朝など可愛らしい風景を見ながらその感情が少しずつ興味深いことに変わり、後には愛情にまで発展した。"
19世紀の有名なイギリス旅行家であり作家、地理学者として世界各地を回りながら人権運動に献身したイザベラ・バードビショップ(Isabella Bird Bishop、1831∼1904)夫人が名著である"韓国とその隣国(Korea and Her Neighbours)"でこんなに告白した。ビショップ夫人は1894年以来4回も我が国を訪れた。
※この本は去年、英国オックスフォード大学で再出版された。
 
国内外の専門家たちによると、ビショップ夫人は、当時、日本の懐柔に陥って朝鮮人は未開で独立国を維持できず、日本の支配を受けることが最善という先入観を抱いた。
 
ロシアでの写真が朝鮮人愛?
ビショップ夫人はしかし、飢えの中で韓半島を脱出した朝鮮人が逆境を乗り越え、ロシア沿海州に定着村を支えて行くのを見た朝鮮人の互助精神と教育熱、自律性に感服し、考えを変えた。そんなに朝鮮に好奇心を持つようになったビショップ夫人は本格的にソウルをはじめ、各地の風景を直接写真で残し、愛情を育てた。
 
ハナシは現世へ飛ぶ、朝鮮話法の真髄
19日、在米民間史学者であるユグヮンオンさんはビショップ夫人が撮った写真の中で韓国に公開されたことのない12枚を、連合ニュースに提供した。ユさんはスコットランド国立図書館で写真を発見して購入した。
写真の中には今はコンクリートビルに囲まれた社稷壇の風景もある。社稷壇の高いホンサルムン後に松のほかには全景を決めるの障害物がないのが印象的だ。
六曹の官衙で見た景福宮の様子も珍しい写真資料だ.景福宮の独特の瓦構造と当時、官衙配置を見せてくれて歴史学的な価値もある。
高宗が露館播遷に避難したソウル貞洞(チョンドン)の素材、ロシア公使館の姿も写真に盛られた。ビショップ夫人はロシア公使館で、高宗(コジョン)を数回会って色んな話をしたという。
彼は、朝鮮を離れる前に英国のビクトリア女王にプレゼントする高宗と純宗(スンジョン)の写真もロシア公使館で直接撮ったが、残念にも、当該写真はまだ発見されなかった。貞洞の外国人専用ホテルである'ソンタクホテル'を訪問した両班と女性たちの姿も写真で残した。
ビショップ夫人は金剛山を訪れて金剛山ミョギルサン磨崖仏を写真に収めて、"国の首に該当する南の国境であり、西門は国の錠のようだ"、倭敵を警戒した'南徼咽喉ソムンスェヤク'と刻んだ石碑が立った釜山鎮クムルグヮンなどもレンズに収めた。
 
 
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締めくくりは理由もなしに"確信"へと変わる
ユさんは"ビショップ夫人が朝鮮の風景を直接挿絵や写真で残した過程をたどって歩けば、彼が朝鮮人が政治の支援さえあれば日本人より住みやすい国をつくることができると確信するようになったというのが感じられる"と述べた。
 
 
(翻訳協力:ネト ミナ)
 
 
 
 
 
 
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イギリス人旅行家が記した日本併合前の朝鮮の衛生、洗濯事情
 
 
[週刊ミーナ] 韓国では、「日本の統治がなければ韓国は今以上に発展していた」との考えが定説となっている。だが、実際には韓国統監府と朝鮮総督府時代の40年間に近代国家に必要なあらゆる社会インフラが整備された。
 
 本誌SAPIOが特集を組む「韓国は先進国になれない」、その理由のひとつが歴史の忘却である。日本が統治する以前の状況はどうであったか。単行本『日本人が知っておくべき「慰安婦」の真実』で歴史を検証しているジャーナリストの水間政憲氏が明らかにする。ここでは衛生、洗濯事情について紹介する。
 * * *
【衛生】
 鼻が曲がりそうな糞尿の悪臭は、朝鮮半島諸都市の悪しき名物になっていた。家々から出た汚物は路地の穴や溝に流れ込んだ。朝鮮版朝日新聞に「平壌の臭気一掃 いよいよ糞尿地下タンク新設」の記事が掲載されたのは1938年12月11日だった。それ以前の様子をイギリス人旅行家のイザベラ・バードはこう記している。
〈城内ソウルを描写するのは勘弁していただきたいところである。北京を見るまでわたしはソウルこそこの世でいちばん不潔な町だと思っていたし、紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世でいちばんひどいにおいだと考えていたのであるから!〉
【洗濯】
 1911年発行『日本之朝鮮』という書には洗濯の様子を撮ったものがある。小川というより、排水溝のような細い流れに女性たちが密集している。前述の通り衛生事情は最悪で、川には糞尿が流れ込んでいた。イザベラ・バードはこう記している。
〈ソウルの「風光」のひとつは小川というか下水というか水路である。ふたのない広い水路を暗くよどんだ水が、かつては砂利だった川床に堆積した排泄物やごみのあいだを、悪臭を漂わせながらゆっくりと流れていく〉
 これで洗ったことになったのだろうか。
※SAPIO2013年10月号
 
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朝鮮話法の基本的な書き方
・ニホンで話題になったものに反応して時を移さずすぐさま記事を書く。
・ニホンが統治時代までに成した事業のすべては朝鮮時代に始まったとする。
・時代背景をたくみにずらし、重ねることで信憑性が高まると考えている。
・過去の繁栄??が衰退した理由の背後には必ず日帝が出てくる。
・話題をそらし、都合のいい所を言いまくり、嘘で塗り固める。
・討論になると話題をまぜまぜしたり、脱線させたり、すりかえたり、混同させる。
 
 
韓国版の韓国紀行
 
朝鮮の文化
 19世紀朝鮮の風物、 宗教 ( 無と仏教などの伝統的な宗教はもちろん、 聖公会カトリック (Roman Catholic)、 プロテスタント (Protestant)への参照を介して初期韓国教会についても説明している)、 妓生の華麗な姿民謡、庶民の生活宮中姿、など("教養と学識があり、英理な"高宗の妃と、親切で"仁慈の強い性分"高宗(コジョン)皇帝を会った話含まれる)女性低い地位に対する言及している。
 
 社会批判
しかし、 "朝鮮とその隣国"は単なる紀行文ではなく、朝鮮社会への知識人としての批判書です。 彼女は、民衆の生活の中では、自分の健康さと素朴さをそのまま描写するほど良く思ったが、治世者には "吸血鬼"といわれるほど批判的であった。 作家は紀行文の中で、西洋の新式の文物でお部屋を飾る官吏の下品なほどの贅沢さと民衆を残虐に搾取する深刻な貪欲について言及しており、特に官僚の欲にはロシアに移住した朝鮮人 1世代が搾取のない新しい世界で忠実に生きる姿と、キリスト教ロシア正教 )に宗教を変えてロシアの管理者と円満にやっていく素早い適応に言及し、国の発展を妨げる障害物と批判した。
 
 戦争
 日清戦争と東学農民革命への言及もありますが、彼 ​​女は金州は 、 全ボンジュンなどの東学農民革命の指導者と日清戦争で荒廃した平壌の惨状について述べている。 また、中国の瀋陽旅行で経験したことも記している。
 批判 
しかし、 日本が朝鮮に影響力を広げていく帝国主義を"改革"と美化したり、 仏教と儒教文化圏で生きてきた朝鮮人たちの宗教がなくてもよく生きてきた民族であると評価する西欧クリスチャンとしての視点が盛り込まれているという点で批判を浴びている。
 
 出版
しかし、 1905年にイギリスの出版市場のベストセラーになるほど"朝鮮とその近隣諸国"は、 英国の読者に愛された。 その理由は、朝鮮で活動していた少数の人々を除いてイギリス人の読者に朝鮮がよく知られていない未知の国だったからであった。 実際イザベラバードビショップは、はじめからヨーロッパ人が朝鮮の不正確な情報を持っているとした。 大韓民国で暮らし出版社から"韓国とその隣国"という名前で翻訳/出版された。 当時、翻訳者は、小説 "永遠の帝国 "の著者であるイ·インファです。
この本の内容の一部は、現在、大韓民国高校1年生の国語(下)教科書に "外国人の目に映った19世紀末の韓国"という詩文として使われています。
 
 
 
※路上のうんちなどについては見事に削除されて紹介されています。
 
すでに多くのことをご存知の読者さんにはこれ以上無用だと思うのでこのくらいで。