minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

映画"大脱走"とキタ朝鮮の南侵トンネル

 
 
 
 
映画"大脱走"(1963年) 南侵トンネル発見1974年
 
南進トンネルとは韓国側から掘られ、今では観光誘致にまで利用されている 
 
 
イメージ 2[国防ミーナ] これまでに韓国人が考え出してきた奇想天外兵器や荒唐無稽な侵略説は数多くあります、世の中の全ての事象を自国の身の回りに置き換えて自らの失敗を他に転嫁するためだけに存在しているとまでいわれる厚顔無恥韓国軍という集団では、"ひとたび不祥事が起きると自己弁護と言い訳のための苦労"を惜しまないことが知られています。
 
 
1963年に公開された映画"大脱走"は第二次大戦下の連合軍捕虜収容所からの脱走を描く、ストーリーの中盤までは地道なトンネル掘りの描写がつづき....、ニホンでは再三の再放送などで結末まで見て内容を知っているひとも多いでしょう。
 
一方の韓国では映画の公開は軍事政権下のため行われず、ニホンでのテレビ放映(吹き替え)と時期同じくして韓国でのテレビ放映がされました(白黒放送)
 
フジテレビ版 - 初放送1971年10月1日/10月8日の『ゴールデン洋画劇場』にて2回に分けての放送だった。 その後、再放送がたびたび行なわれた。
そしてこれら再放送にあわせて"南侵トンネル"発見が報告されているという衝撃の調査結果が明らかになった。
 
 
 
イメージ 7
 
▲1974年11月16日 京郷新聞による南侵トンネル報道、軍司令部の発表がそのまま転載されています
 
イメージ 8
 
東亞日報による同日紙、トンネルが発見された翌日に国防部では記者会見をしている、 これは綿密に演出された前線指揮官による手柄捏造ではないかと見る意見も出てきている。
 
 
 
まさかトンネル映画を見ると南侵トンネルを捏造するのか?
 
イメージ 9南侵第1トンネルが発見されたといわれるのは、1974年11月15日金曜日のこと、発見したのはDMZ警備にあたる部隊員で時刻は明け方の8時頃といわれる。
トンネルが見つかったとされる場所はキタ朝鮮との軍事境界線から200mほど離れた韓国側の警備地域であり、戦時中の塹壕などが散在し、不発弾や地雷などが多く放置されているため韓国軍でも立ち入らない場所だった。
 
 
その数日前に韓国KBSで映画大脱走を放送している。
※当時衛星放送は無いが半島南部ではニホンの放送が受信可能だった
>>しかしキタ朝鮮国境部隊まで電波が届くわけじゃないし。  >>>これについて"映画を見たキタ朝鮮側がトンネル南侵計画を立案したことは疑う余地も無いこと"  >>ネタなんじゃないの?
 
 
 
 
実際、北朝鮮トンネルの作業を経験したと主張する亡命者ギムブソン氏は、北朝鮮のトンネルについて、 "直径2〜3メートル南侵用のトンネルを従来の方法で掘削すると一日に約80メートルを進むことができる"とし、 "この式を代入すると、1年には7km、10年には70km、60年では420kmで釜山まで、100年あれば北九州までを行くことになる "と述べた。  
この主張について、自称北朝鮮の特殊部隊出身のイム・チョンソン氏は、 "我々がなぜ嘘をするのか"とし、 "トンネルは、実際の事実であり、トンネルは、戦時·平時の時に使い方ができる"とつばを飛ばしながら述べた。
 
実際に金日成前主席は去る1971年9月に "南侵トンネルのものは、原子爆弾10個よりも優れている"と述べており、金正恩の国防委員会第1委員長は昨年2月、 "私たちには、米国の核兵器より威力的な戦争手段と、誰にもない最先端の打撃装置がある "と脅した。 ※最先端の打撃がトンネル?
 
ホ教授は、トンネルの脅威について "前方に配置された我が軍の主力部隊に北朝鮮軍が後方から現れ、包囲する作戦を伸ばしたり、最初からより後方にある空軍基地、軍港、補給基地など様々な軍事施設を破壊したり、占領することもできる "とし、"北朝鮮軍のトンネルは全面戦争のときに特に脅威であることができる "と述べた。 引き続き彼は "現在、国防部では、トンネルが正式に20個あるが、これが出口を南に下り、出口が複数に分かれているので何百もの出口になることができる"とし、 "これにより、特殊部隊20万人を含めて、そのほかにも特別な訓練を受けた正規軍まで取り掛かることができる "と述べた。
 
南侵用のトンネルの問題だけでなく、北朝鮮内のトンネルの再評価が行われなければならないという主張も提起された。 北朝鮮は、南侵用のトンネルだけでなく、北朝鮮では国内にも多くのトンネルを持っていることが知られている。
ホ教授は "北朝鮮内のトンネルは、北朝鮮が軍事基地を地下化することを目的"とし、 "北朝鮮の地下トンネルが後に急変事態などに統一を迎えた時かなりの難関をもたらす"と述べた。
ホ教授は、イラクの例を挙げながら "2003年に米軍がイラクを攻撃した時、イラク主力部隊掃討には40日しかかからなかったが、戦後処理をするのには10年かかった。"としながら "私たちも同じように北朝鮮軍が地下トンネルに活用してゲリラ戦を行う確率が高い、これに対抗する軍の数が北朝鮮軍に比べて非常に不足している "と指摘した。
 
北朝鮮のトンネル専門家であるギムジンチョル牧師は "北朝鮮の最後の隠された武器は 'トンネル'だ"として "パク·クネ政府が南侵用のトンネルだろうと強く疑われる年間数千トンネルの真相から再調査に乗り出すべきだ"と述べた。
 
※これまでに発見されたとされるトンネルは全部でわずか4箇所、1974年11月15日、京畿道漣川で最初に発見された"第一トンネル"は、暗渠工事程度の地表に溝を掘りフタをしただけの偵察用塹壕であり、大半が埋まっていて朝鮮戦争当時の塹壕の跡である証拠も出てきている。
 
※第一トンネルの資料写真では違うところの鉱山で撮られた写真を出すことが多い
    
イメージ 3
   
※第一トンネル資料館で並べられている写真、 これでもトンネルだ
  
イメージ 4
   
※最近になって再公開された第一トンネルは"共同警備地帯の韓国側"にあり警備ラインと平行して構築されていることがわかる。
 
 
イメージ 5
 
※トンネルとよばれる塹壕は戦時下韓国側から掘り進められた塹壕であるという調査結果が出ている。
 
1975年3月に江原道鉄原郡近東の第2トンネル、1978年6月、京畿道坡州第3トンネルは、私たちの軍の報告によって明らかになった。 第3トンネルは板門店から南に4km離れた場所にあり、板門店観光コースに入っている。
 
※第2トンネル第3トンネルはともに"韓国側だけに出入り口があり未完成の状態で放置されていたもの"という公式調査にもあるように、"韓国側が調査目的で掘ったもの"だとする意見も出てきている。  また掘った土砂が韓国側で発見されている。
 
 
トンネルは、西部戦線地域に2つ(第1号、第3号トンネル)、中部前線地域に1つ(第2号トンネル)、東部戦線地域の1つ(第4号トンネル)がそれぞれ分布して北朝鮮がすべてのワイヤ地域で南侵用のトンネルをグルソルたことが確認された。 トンネルは1990年3月3日、江原道楊口東北方26kmの非武装地帯の中に発見された4号トンネルを最後にこれ以上見つけられずにいる。
 
※"第4トンネルは韓国側から掘られた"という主張はいくつも出てきている。 トンネルの向かっている方角はキタ朝鮮とは関係の無いほうに向いているという指摘もある。
トンネル内の立ち入りは観光目的のトロッコが地元自治体の手によって設置され"南侵トンネル記念館"とともに現地の観光の名所になっている
 
 
 
レーダーに映らないステルス小型機
 
イメージ 1毎年繰り返される"キタ朝鮮が攻めてくる"といったヨタ話では、"完全装備の空挺部隊員なら8~10人が乗り込むことが出来る、エンジンは1000馬力級のレシプロエンジンを搭載しており飛行速度は比較的低速であるが離着陸に場所を選ばない特徴もあって“キタ朝鮮南侵時”“後方錯乱特殊空挺部隊員降下”に使われるだろう"と脳内妄想が拡大し“レーダーにも映らないステルス機”であると韓国人の全てが思い込んでいて、"キタ朝鮮の侵攻時にはゴルフ場に着陸してくる可能性が高い"という尾ひれがついた背景には"軍の予算でゴルフ場建設は無駄遣い"という野党の追及を逃れる時に出てきた主張だったりします。
 
 


 
キタ朝鮮からの情報を伝える脱キタ者は年間1000人程度でこれまでにおよそ2万人程度が中朝国境を越えて亡命しているとされるが、脱キタ者支援のための予算は2007年から年々減少してきている、人数が増えているのに予算は減っているのだ、さらに韓国政府は脱キタ者の詳細を明らかにしていない。そのため国際人権保護団体などでは”ほとんどが実態が存在しない脱キタ者”と考えられているとみられる。 国内外から同情を得るために脱キタ者の越境を国ぐるみで捏造しているという指摘だ。
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 6