minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

所得不均衡が日帝時代水準だとか

 
 
 
所得税額からみた所得不均衡が何だかわからない
 
朝鮮時代の税制度によれば誰も税金を払っていなかったニダ
 
 
イメージ 1[マネーミーナ]1997年外為危機以後急速に進行中の両極化で私たちの社会の所得不均衡が日帝強占期の 1940年代初盤水準まで悪化したことに分析された。
 
※韓国政府が発表した7月の公式失業率は3.1%である。 経済協力開発機構OECD)34加盟国のうち最も低い、完全雇用に近い数値だ

15日、ソウル大学経済研究所がまとめた'植民地期に朝鮮所得不平等'論文よると、日帝が残しておいた当時の所得税の納付実績分析した結果太平洋戦争勃発直前の1940年、植民地朝鮮上位5%階層への'所得集中度'29.5%と推定された上位5%の金持ちらが全体所得30%を占めるほど所得分配が悪化したという話だ。
 
※当時の朝鮮にいたニホン人は2%程度だったといわれます、これによりニホン統治時代の上位階層とよばれる部分の大半が朝鮮籍であることがわかります、そのため搾取だ過酷だといった妄想がウソであることがわかります。

論文を作成したギムナックニョン東国大教授は解放以後の長期成り行きも分析したが, 1970年代以後 97年までずっと 20% 内外で安定した所得集中度が外為危機を通しながら急増し始めてわずか 12年後の 2009年 30%まで到逹して 1940年代初盤水準へ後退したことで現われた。

キム教授は "外為危機以後成果主義賃金体系が拡がって, 上位所得者に適用される限界税率が大きく低くなりながら富裕層の所得比重が高くなった"と評価した. 彼は "ただ最上位 1%階層の比重(2009年 12% 前後)は 97年(7% 前後) より高くなったが, 絶対水準は相変らず日帝治下(17%) よりは大きく低い状態"と付け加えた。

一方日帝時代にも高所得者のソウル・京畿地域集中現象が明らかだったことで現われた. 日製が所得税を取り立てた上位 3%の地域分布を分析したが, ソウル・競技(景気)比重が全体の 26.8%に達したし釜山・慶南(10.8%)が大きく立ち後れた 2位を記録した. また 3位と 4位は 8% 内外のシェアを見せた平安南道慶尚北道が占めた。

上位所得者を南韓北朝鮮で分けた場合南韓比重が '7対3'や '6対4'ほどで多かったがこんな傾向は最上位所得階層であればあるほどもっと明らかだった. 1933年の場合上位 1% 階層の南北韓の割合は '7対3' 水準だったが, 上位 0.01% 階層の割合は '8対2'でもっと高かった。
 
 
 
(翻訳:みそっち)
 

 
韓国では税金を払うのは一般市民ということが厳格に決められているため高額納税者と言うランキングよりも高額滞納者というもののほうがなじみが深いようですね。 その背景には税金はなるべく払わないのが正しいとする韓国型集団思考があるからにほかなりません。これは近代の税金制度がニホン統治時代に整備されたため税金は搾取であるという記憶が根底にあるからでしょう。
 
エンゲル係数というのがあります、所得のうち食費が占める割合のことですが韓国では不思議なことに国内下位所得者のエンゲル係数がさして低くないという統計があらわれます、その内訳によれば収入の大半が借金返済に使われるため相対的に食費のしめる割合が減っているのだということのようです
 
食べる分までへらして借金を返すというのは理想的な返済計画として合格水準のように聞こえますが実際には庶民層をふくめた全階層で借入金が増えてきていることがわかっています、また借金の使途が単純生活費などであることから家計生活苦による借入金が増徴しているとともに消費が急激に落ち込んでいることも表われています。
 
 
 
 
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植民地時代近代化論に反対意見があった。
 

 日帝強点期には GDPの増加と同時に人口も大きく増加した. 人口に対しても朝鮮総督府の統計をそのまま使うのではなくさまざまな方法に秋季した人口を使うのが普通だ. 金哲や関ヨシクだから(石南国)の秋季がたくさん使われる. ‘韓国の経済成長’でも独自的に秋季した人口を提示している.
‘図5’は ‘韓国の経済成長’で秋季した 1人当り GDPを見せてくれる. このグラフだけおいてみれば, 日帝強点期に 1人当り GDPが急速に成長したように見えて, 植民地近代化論で日帝強点期に近代的経済成長があったと主張することも無理ではない.
 
光復が近代化に及んだ影響

近代的経済成長が 1960年代に始まったということはそれ以前に近代的要素たちが発展しなかったという意味ではない。 開港以前の朝鮮時代とは違い, 開港以後には経済部門でも近代的な要素たちが部分的に朝鮮に移植され始めた。 移植速度は日帝強点期にもっと加速化したはずだ. しかし殖民遅滞題下の近代化は非常に歪曲されたことだったし, 真正な意味での近代化が成り立つことは難しかった. 経済部門の近代的変化は他の部門と同じく植民地体制を脱する光復後から本格化したと言わなければならないでしょう.

教育部門からよく見よう. 独立は教育部門でも画期的な発展のきっかけになった. ‘表1’から見られるように, 日製言葉の 1944年専門学校以上の学歴を持った朝鮮人は全体朝鮮人人口の 0.13%だった. 中学校卒業以上の学歴を持った人まで合わせても 1.03%に過ぎなかった. 日帝強点期に官立専門学校はその数価非常に少なかったし, 大学は京城帝国大学が唯一だった. そして入学には民族別クオーターがあって, 日本人 2人に朝鮮人 1名ずつに許容された. 朝鮮人が朝鮮で高等教育を受ける機会は事実上封鎖されていることと同じだったし, 留学は経済的に大きい負担だ. 日製言葉までも専門学校卒業以上の学歴を持った人が全体人口の 0.13%に過ぎなかったことはこんな理由のためだ

 

※これらの主張がウソであることはハッキリしています

 

しかし光復といっしょに韓国人の高い教育熱気は爆発的に噴出された. 光復当時を基準(100)にした時, 2年もならない短い期間の 1947年 5月末に小学校学生数は 159で, 教師数は 234で増加した. 同期間中等学校学生数は 200で, 教師数は 515で急増した. 高等教育はもっと膨脹して学生数は 566, 教師数は 481になった. 教育に対するこんな高い熱気が続いて 2005年学歴別人口は ‘表1’で見られるように人口 22.2%が大学以上の学歴を持つようになったし, 無学(未就学含み)は 5.3%に落ちた.