ソウルで一番恥ずかしい建物はソウル市役所
ニホン製の旧庁舎は図書館に、新ソウル市庁舎は変な形で恥ずかしい


たしか日本統治時代のをそのまま図書館にしたんだよね、と言いかけてそのうしろにある異様な風景に気づくとびっくりした、”韓国人にはこういうのがすばらしいの?”
東亜日報と建築専門月刊 ‘SPACE’は建築専門家 100人を対象で光復以後建てられた現代建築物の中最高と最悪の建築物を選定するアンケート調査をした。
最悪の現代建築物調査では 39人がお勧めしたソウル市新庁舍が 断トツの1位を記録した。“周辺と調和しないで外界の建物みたいだ”, “日帝さえ特別な念を入れたソウルの心臓部に私たち自ら大きい間違いを犯した”という酷評が出た。 (東亜日報 2013年)


現在では外観だけを残し内部を改装して昨年韓国最大の図書館として再オープンしたことは記憶にあたらしい。
第一回市役所新築計画
解放後、京城府庁舎は建物をそのままに住人を変えてソウル市庁舍として再出発することになる。 こんな歴史性のためソウル市庁舍新築計画は 1960年代から始まった。 ブルドーザーというニックネームで有名な김현옥キム・ヒョノク市長は 1969年 1月に汝矣島開発計画を発表しながら汝矣島にソウル市役所を新築すると発表した。
資金不足で移転が霧散
ソウル市役所の汝矣島新築移転計画は次の양택식ヤン・テクシク市長在任時にも続いた. 양택식ヤン・テクシク市長は 1976年までに汝矣島に新庁舍を建設して、 既存の庁舍は総合請願窓口で活用する方案を樹立したという。 しかし汝矣島開発資金が不足してソウル市庁舍は新築計画は推進されることがなかった。
全斗煥がニホンに六十億ドルという政府借款を要求
1980年代に入ってソウル市庁史新築計画は江南の開発と連携推進された。当時、ソウル市は今の瑞草洞の裁判所と検察庁の場所に新庁舎の敷地を確保するまでした。しかし金策に尽きた結果、公共機関庁舎の新築、増築を規制するという全斗煥大統領の指示でソウル市の計画は実現できなかった。
新庁舎の建設が転機を迎えたのは民選ソウル市長が登場した1995年になる。初代民選市長に当選した趙淳(チョ・スン)市長は”市民自治の殿堂”として新庁舎の建設を推進する。当時、有力に浮上した候補地は、在韓米軍司令部の移転を前提とした龍山基地、汝矣島、トゥクソムなどだった。 ※どこも漢江に近いところ
IMF危機でさらに延期

しばらくウワサにもならなかったソウル市庁舎新築計画は、李明博(イ・ミョンバク)市長の時の2005年本格化された。2005年4月、ソウル市は、既存の庁舎を改修して事務室に使用して、その隣接の敷地に新しい庁舎を建てる方針を確定した。 (2002~6年の間はソウル市長)

この21階建て計画案について文化財委員会は、ソウル市設計案を”高層建物と徳寿宮周辺の景観の不調和”を理由に保留させる。その後、ソウル市は5回にわたって設計案を変更した。その度に、文化財委員会は"歴史を消して絶えず高層化しようとする都市化の欲望を引き締める"として、ソウル市の設計案を保留させた。
ソウル市の 6次設計の中が文化財委員会の審議をパスしたのは 2007年 10月だ。 ところがまた他の難関が待っていた。 ソウル市の 6次設計の中に対して建築専門家たちは象徴性と造形性が不足だという理由を聞いて反対した。 結局ソウル市は 4人の有名建築家を招請作家で選定, これらのデザインの中建築家ユゴルの設計の中を最終選定した。

敷地 1万2709㎡に延べ面積 9万788㎡ 規模の新庁舍は地下5階, 地上 13階で建てられた。建設費 2989億ウォンが投入された新庁舍は市民庁, 多目的ホール, 空広場など市民のための空間と職員業務空間に仕分けされる。 その間市庁舍で使われた区役所庁舍はリモデリングを経ってソウル図書館で生まれかわった。


これって ホントにこれなの? ロッテとかの民間のじゃなくてソウル市?

