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嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

建国論議再燃、教科書には載っていない事態に

 
 
 
イメージ 1[メディアミーナ]高校韓国史教科書の「大韓民国の建国(建国)」表記と関連した文部科学省の昨年の修正勧告が3月の新学期開始とともに再び論議に包まれている。
去る5日、保守性向の市民団体が「高校韓国史教科書分析報告会」で、「8種の教科書を分析した結果、5種類が、大韓民国の正統性を明確に記述せずに北朝鮮を美化したことが分かった」と指摘して以来、文部科学省の外れた歴史(历史)認識に対する懸念が再拡散して、国会次元で真相調査に乗り出すべきだという主張も共感を広げている。
 
 
国民·領土·主権・・・臨時政府にはすべて無かった
 
国の3つの要素である国民·領土·主権を備え、憲法第1条に明言された民主共和国として大韓民国の建国は1948年5.10総選挙→7.17憲法制定→8.15政府の樹立を介して行われたということは常識であり、事実であり歴史だ。
政府と歴代大統領が建国○○年には、第2の建国などの表現を使用すると、この年を基準にしている理由でもある。それにも文部科学省は、昨年10月に8種の教科書の出版社に送った「修正補完事項」を使って「建国」という用語は適切ではない」政府の樹立」などに変更する必要があると勧告したという。結果的に「大韓民国の建国」が歴史教科書から消える奇怪なことが発生したわけだ。 文部科学省は、その根拠として「大韓民国は、制憲憲法にも明示しているように、3.1運動の結果樹立された大韓民国臨時政府の法統を継承して策定されました」と指摘した。しかし、これは制憲憲法の壮大な修辞を悪意的に解釈して事実(史实)を歪曲する詭弁である。
制憲憲法の前文と脈絡を的確に引用すれば、”三一運動(サムイル運動)で大韓民国を建設して世界に宣言した偉大な独立精神の継承…” だ。
 
また1948年に大韓民国を建国したのではなく政府を樹立しただけというような主張は、建国の建国勢力を過小評価しようとする企画にしかならない。文部科学省が、北朝鮮には「政権樹立」でなく「朝鮮民主主義人民共和国樹立」という表記を巻することにより、事実上「国家樹立」に映るようにしたのは、より不合理である。まさに「利敵(利敌)史観」レベルである。また、文部科学省は、「諮問意見書」という補足資料を使用しても、古朝鮮建国、大韓帝国建国などの様々な建国起点説」まで紹介したという。1948年の建国を水増しする意図の他にもう何だろうか。 文部科学省の気流は、韓国史教科書の左寄りの議論とも無関係ではないようだ。李承晩大統領を「建国大統領」と呼ぶことを必死に否定する流れのよう
だ。これは、建国-産業化-民主化を経てきた現代史のすべてを蔑視する「自虐史観」にしかならない。国民の誇りと国威(国威)の未来のための談話にもはるかに及ばない退精神的な是非はもう諦めなければならない。文部科学省からの歴史と憲法認識を新たにするべきだ。
 
 
 
 
(翻訳:みそっち)
 
 


 
韓国では憲法の前文がちょくちょく変わります
三一運動で大韓民国を建立し ⇒3.1運動の崇高な独立精神を継承して4.19義挙と5.16革命の ⇒ 3.1運動で建立された大韓民国臨時政府の法統と不義に抵抗した4.19民主理念を継承し、祖国の民主改革と平和的統一の使命に立脚して・・
 
4.19民主理念(注:4月19日の反李デモにより独裁者・李が米国に亡命せざるを得なくなったことを指す、1960年3月に行われた第4代大統領選挙における大規模な不正選挙に反発した学生や市民による民衆デモにより、当時、第四代韓国大統領の座にあった李承晩が下野した事件
5・16軍事クーデターは、後の韓国大統領で当時少将(第2野戦軍副司令官)だった朴正煕などが軍事革命委員会の名の下、起こした軍事クーデター
 
 
 
 
 
実はアノ国ではいまだに建国(あるいは独立もしくは祝日)というところで議論が続いている
 
 
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んだからぁさあ
 
 
 
1919年4月13日、上海臨時政府が樹立された日を建国日と見なければならないという見解
 
"上海臨時政府は、いかなる国からも国際法上の政府の承認を受けることができなかった"とし"特に上海臨時政府に対して同情的だった中国政府でさえ、上海臨時政府の要求を冷静に振り切ったのは国際法上の政府の承認の要件を満たし、国際社会の冷厳な政治的現実を考慮した措置だった"
 
※全世界的に見ても"大韓民国上海臨時政府"あるいは"同重慶臨時政府"というものが存在したと主張するのは大韓民国と一部の言論だけである。
いかなる条件下においても存在したという事実は確認することが出来無いとするのが国際的に見て公平な一般世論であるとする意見が大勢をしめている、また"大韓民国上海臨時政府"と名乗る"朝鮮人匪賊"へのこれまでの(~1947)税制優遇や地代などの請求権を放棄した点でも中国政府(~1947中華民国)や地方政府並びに行政政府の手続きは正しいとする。
一切の外交書類や外国との承認証拠などが全く存在しない点でも大韓民国上海臨時政府というのは"同好会"規模の現在で各地に分散する"韓人会"程度の規模だった見るのが現世における唯一の論証となる根拠だと推論される。
 
 
大日本帝国の一部だったとする意見にも問題がある
 
"一部の学者が、大韓帝国は消滅したことがなかったので、1945年8月15日の"光復節"を主張するが、残念ながら、国際社会では、すなわちこれは1910年での、大日本帝国への併合を認めることになる、これはつまり、大韓帝国の消滅を意味することになる"
 
 
共和国政府樹立という日なのはいかがニカ
 
1919年李承晩(のちの初代大統領)・金九独立運動家が国外につくった大韓民国臨時政府は、亡命政権の名称として「大韓」の名を用いると同時に、初めて共和制国家としての名を採用した。
しかし今もって下朝鮮の名称としての共和国という呼び方をする言論は存在しない。
"初めは李承晩大統領が1949年に1948年8月15日"を"独立記念日"に制定してくれとしたが、当時の国会はこれを"光復節"に制定した。"国会会議録を見ると、政府から1948年8月15日を祝日に制定するために作成した草案に"光復節"ではなく"独立記念日"と明確に表記されている"と強調した。
続いて、"1950年に"光復節"を初めて記念しようとしたところ、6.25戦争が勃発。さらに1951年のメディアでは"光復節"を1945年を基準に間違って計算し始めて今まで続いてきた"
 
 
んじゃつまり併合だったのはイヤだから認めないっというわけね  すると歴史的にみても空白の存在が
  そっか "無かったことにする文化" そいうことですね
 
 
 
これまでに出てきた"大韓民国建国の日"の案
 
1919年4月13日  大韓民国臨時政府というのが怪しいので却下
 
1945年8月15日  単に大日本帝国が連合国に降伏した日であり、大韓民国なんて無かったからダメ 歴史的整合性の面から見ても理解し難い
 
1948年8月15日  憲法制定民主化総選挙などが行われたとするが済州島虐殺事件などで評判が良くない、しかし公式的には1948年8月15日大韓民国第一共和国アメリカに承認され、アメリカ軍政は廃止されたとする意見
但し、大韓民国政府承認の批准案がアメリカ合衆国議会で可決されたのは1949年1月
 
 
 
 
 
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