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嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

ビニールハウス村を見に行こう

 
 
 
- ソウル市にあるビニールハウス村はお金になる -  
 
 
1)研究の 背景
イメージ 1世界的な都市に成長したソウルは他の世界の都市が通常そうであるように、その内面の暗い面を一緒に抱えている。都市が発展を重ねるごとに、それに伴う暗い影も長く垂れになったりするが、その中でも住宅の貧困の問題は常に欠かせない主題である。しかし、無許可不良住居の問題は、工業化の程度が高い国ではなく、そうではない第3世界ではもっと通常現れる問題である。そのような点で、ソウルという産業化の程度が高い、高度に発展した都市に無許可不良の住居が何の政策的考慮の対象にもならないままになっているという問題は、韓国社会の特別な特徴とすることができる。
 
 
イメージ 2ビニールハウス村の問題は、単純な不良無許可住居の問題とは異なる特徴を持つ。ソウルと首都圏に今なお残ってきた無許可不良住居の問題は、私たちの社会の産業化の過程と同時に発生したが、継続的な都市再開発事業によって、少しずつその姿を消している。しかし、ビニールハウス村という無許可不良住居は、個々の不法占有行為を介して形成された住居という点で、政策の対象とされないまま形成。維持。広がっている。
ビニールハウス村は、大きく二つの争点がある。一つは、ビニールハウス村自体が健全な土地市場を歪曲する不法行為によって形成された住居という点である。そして、もう一つにはビニールハウス村は、通常の住宅市場での住宅を入手困難な貧困層の代替的な住居であるという点である。前者の立場では、ビニールハウス村が一日も早く撤去されるべき対象、それ以上でもそれ以下でもない。しかし、後者の立場では、問題はそれほど簡単ではない。ここではビニールハウス村の政策的選択肢の難しさが現れる。
ビニールハウス村の問題は不健全な不法行為によって形成されようが貧しいこれらが劣悪な住居状況を耐えて生きていく所でも行った、どんな次元でも放置してはいけない問題だ。
しかし、強制撤去中心の政策を推進した90年代初頭以降は、ビニールハウス村のいけないの政策も消えない。ただし、ビニールハウス村の開発圧力が高い開発し、それに伴う住民の抵抗は、現金報酬を使って解決する式の自然な解決方法に傾いている。しかし、この方法では、ビニールハウス村の根本的な問題を解決することができない。
現金報酬を受けてビニールハウス村で撤去された住民の中には、別のビニールハウス村を形成したり、既存のビニールハウス村に移住する現象が繰り返されているからである。
そのような点で、この研究では、ビニールハウス村の積極的な政策策定の必要性を強調することを目的として行われた。そして、その政策の合理的な方向性を提示するためにビニールハウス村とその中で生きる人々の実態を比較的詳しく調査した。
 
2)研究の 範囲 と 方法
イメージ 3本研究の範囲は、ソウル市に限定された。ソウル市の中でも、瑞草区と江南区、松坡区にあるビニールハウス村に集中した。これは、韓国都市研究所の2001年度の調査では、ソウル市のビニールハウス村は、3つの区に集中していることが現われたからである(韓国都市研究所、2002)。その中でも、具体的なアンケート調査と面接調査は3区の28カ所のうち16個のビニールハウス村と調査の過程で新たに発見されたジュアム村(瑞草区)を含む17個のビニールハウス村の住民に対して行われた。
研究の方法としては、文献調査、現地調査、アンケート調査と面接調査、ビニールハウス村で活動する民間団体の実務者とのフォーカスグループミーティング(focus group meeting)、公務員との面談などが使用された。
文献研究では、主に既存の研究成果を参照するためのもので、ビニールハウス村の分布と規模の把握は先行研究の結果をもとに修正。補完した。現場調査は、主にビニールハウス村の形成過程と村の立地、主要施設や視力などの内部構造の把握、住宅の種類と私。外部構造などを把握することで行われた。
調査では、瑞草区、江南区、松坡区に渡って合計17の地域の住民179人に対して実施した。調査方法は、調査員が被調査員の家庭を訪問し1:1の面接をしてアンケートを作成する方法を使用した。アンケートの内容は大きく、個人や家族の個人情報、前の住宅と居住地の条件、現在の住宅や居住地の条件、雇用状況の事項、家計の生活の事項は、町のコミュニティのための情報、ポリシーの条件などで行われた。
深層面接調査を通じては、調査員が同様に、各家庭を訪問し、個人のセンエサを中心に住居の変化の過程とその理由、職業、収入の活動の変化の過程とその理由、現住居での生活実態や希望事項などを主調査した。面接事例数は17カ所で30人を選定した。
調査がすべて終わった後は、調査した結果を確認するために、ビニールハウス、地域に居住するか、または活動している民間団体の実務者とのフォーカスグループミーティングを実施し、ビニールハウス村の管理実態と政策等については、区役所担当職員との面談および資料調査を通じて調べた。
 
 
ビニールハウス村の定義および形成過程
 
1)ビニールハウス村の 定義
イメージ 4ビニールハウス村やビニールハウス地域という名称は、実際には、現在の実態を正確に表現してくれるの用語ではない。ビニールハウス村という用語は、新発生した無許可の不良住居を総称するものであり、新発生無許可不良住居の初期の形態は、主に花卉栽培を目的としたビニールハウスを住宅に改造したものに由来する。したがって、ビニールハウス村は、不良住宅という特性に加えて、無許可の、それも新発生無許可という特性を持つ。また、ビニールハウス村は、土地への不正占有を介して形成された住宅地という特性も持っている。
実際、韓国で不良住宅の客観的な基準は示されていない。ただ、「老朽化した」、「災害の危険性がある」など抽象的に述べられているばかりだ。そのような点で、ビニールハウス村の住宅は、それほど老朽化した住宅がない。実際にビニールハウス村の住宅はほとんどが1980年代後半に建築されたものであるので、それよりは住宅の材質、構造、薄い、見た目が非常に劣悪で、様々な災害に非常に脆弱な特徴を持っているという点で、不良住宅と見ることができる。ビニールハウス村の家は、その材質がビニールや板などで構成されており、耐久性が弱く、火災等脆弱性だけでなく、適切な住宅の要件とされるトイレ、キッチン、バス設備などがしっかりと備えていないなどの不良住宅としての要件をあまねく備えている。
そしてビニールハウス村は、他人所有の土地(国·公有地維持を含む)を無断で占有して形成された。既存の無許可住居地との違いは、従来の無許可住居の場合は、無許可であっても、政府の集団移住政策によって形成され。また、無許可の建物台帳に登載されているということだ。したがって、既存の無許可住宅所有者は土地の所有権以外の占有権と住宅の所有権を認められる。しかし、ビニールハウス村は何の所有権と占有権を主張することができない完全な不法居住地という点が従来の無許可住居地と異なっている。
このような違いは、無許可の居住地とその住宅が形成された時期と関連されている。ソウル市住宅局で1997年7月に作成した「無許可建築物の取締り及び管理の実務」で規定された既存の無許可建築物に該当する要件は次のとおりである。
 
‧ 1981年12月31日現在の無許可建築物台帳に登載された建物
‧ 1981年、第2次の撮影の航空写真に収録されている無許可の建物
‧ 固定資産税の納付などで勉強賞1981年12月31日以前に存立したという確証がある無許可の建物
‧ 1982年4月8日以前に事実上の建立された延べ床面積85 ㎡ 以下の住宅として1982年の第1次撮影の航空写真に掲載されているか、固定資産税の納付などの証拠や、1982年4月8日以前に建てられたという確証がある無許可の建物。
ビニールハウス村はまさにこの規定によって新発生無許可建築物に分類されている。
 
イメージ 52)ビニールハウス村の形成の社会的背景
ビニールハウス村は計画によって形成された町ではないので空いている土地にした一世帯二世帯と定着して人が住み始めた。しかし、今のような集団的な村が形成されたのは1980年代末という特定の時期に集中的に行われた。これは当時の住居の状況と密接な関連を持つ。
1980年代末は1980年代初めから始まった大規模不良住宅再開発事業で低所得層のための安い住居地が大規模で撤去された時期であり、一緒にで住宅供給が需要をついて行けなくて住居費暴騰現象が現れた時期だった 。(このような現象は、特に低所得層にとってより深刻な問題となった。注)
 信託銀行が提示した統計によると、1986年から1994年までの8年の間に住宅価格は54%上昇したが、チャーターの価格はその倍を超える118%の上昇率を見せたという(「住宅金融」、1995) 。これらの使用料の増加は、自分の家を所有していない低所得層を無許可地下突っ込んで、屋根裏部屋、ビニールハウス村などで追い出す結果を生んだ。つまり、ビニールハウス村が、1980年代後半から集中的に形成されたのは住居費高騰という当時の社会的状況との直接の関連がある。
 
ところが、ソウルでビニールハウス村は、主に江南地域に形成さ​​れたのは1970年代末に行われた大規模な土地区画整理事業に空いている土地が生じて、その場所に撤去等がした二世帯ずつ定着しつつ住んでいたからである。このような地域が、1980年代末の住宅危機的状況を迎えて多くの人が集まって、ビニールハウス村へと変貌した。
 
 
 
ビニールハウス村の 形成過程
 
イメージ 6(1)居住地の造成
ビニールハウス村の形成過程を調べてみると、営農用ビニールハウスが立地していた地域に既存のビニールハウスを住宅に改造する過程で形成された町もあれば、営農用ビニールハウスとは関係なく、一般的な空き地などに人々が板に家建てて居住し形成された村がある。
松坡区の花卉町や蟻の町のようなところは普通に営農用ビニールハウスを改造したところである。こんなところは、ビニールハウスで農作業を作っていた人々が当時の撤去など行き場がなかった人々にビニールハウスを改造して集団居住地と化した地域である。最初にビニールハウス一棟を購入した後、これを再び半分に分けて売って、それを再度半分に分けて売る過程を繰り返しながら、現在のような集団居住地が形成された。
このように、ビニールハウス村が1980年代末に急速に形成されたのは、前述した社会的な状況に加えて、違法な建築ブローカーが重要な役割を果たした。つまり、少数の世帯が無許可住宅を建てて住んでいる場所や開発がされていない空き地などに建設ブローカーが不法無許可住宅を建てて、それを再販売するプロセスを介して急速に町が形成されたところが多い。
 
(2)電気及び水道などのインフラ施設の設置
城下町の形成の初期には、営農用ビニールハウスからの形成された村の場合、主に農業用の電気を引電使用し、それ以外の一般的な空き地に形成された町は、主に近隣で電気を密かに盗電した。そのため、過負荷の問題や導電に起因する問題などが発生し、現在ではほとんど韓国電力公社と契約を結び、電気が入って来ることはある。しかし、各家庭ごとに韓電の電気が入ってくるのではなく、町の大きさに応じて1つまたは複数のメーターを使って各家庭が電気を分けてゆくのが実情だ。そうしたら累進制が適用された電気料金の請求に過度な電気料金を支払わなければなら地域がたくさんある。
また、ビニールハウス村が形成された初期には、ほとんどの村で井戸を掘ったり、地下水を引き上げて使用するなどの方法で、水の問題を解決した。しかし、ほとんどの水質が悪く、現在では水道水を引き入れたり、山の薬水物、ミネラルウォーターの購入などの形で水の問題を解決している。
 
 
 
(翻訳:みなみっ)
 


 
気が向いたら続きを載せます。
 
予告 
 
世帯主の最終学歴は無学が24.6%、小学校中退と卒業が23.4%、中学校中退と卒業が15.2%を示すなど、中学校以下の学歴を持っている世帯主が全体の63%に達しており、全体的に学力レベルは、低いことができる。これは、全国平均の4倍近くになり、小学校の学歴の場合、全国平均の1.7倍ほど高い割合を示す。このように、ビニールハウス村に居住する低学歴、世帯主の割合が多いという事実は、これらの経済活動を不安定にする重要な要因となる。
 
考試村には大学卒の無職者が住むという住み分けが出来ている。