minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

無いわけじゃない スポーツカーの謎

 
 
 
 
我が国最初のロードスタースポーツカーは?
 
カリスタ、エラン、G2X"この車をご存知ですか?"
 
イメージ 6[週刊オートミーナ5月号]買ってきてラベルを貼り変えたのが国産自動車だとしたら。国産車の無謀だったロードスター挑戦…もうクラシックカーの思い出に残って"国産の自動車ブランドがロードスター(屋根を畳むことができる2人乗りスポーツカー)を販売したことがあったのでしょうか?"、正解は"ある"ニダ。
 
ロードスターは、優れた技術力が必要であるので、ブランドイメージを高めることができるが、投資対市場性が小さく、国産ブランドがロードスターの開発には即刻、乗り出していない。
 
今でも現代・起亜自動車が純粋の国産技術で開発中だという噂のレベルに出回っているほどだ。でも過去起亜車とGM大宇(現韓国GM)、双龍(サンヨン)自動車などは海外ブランドのロードスターをかけてきて、韓国市場に発売した事例がある。
もちろん、販売結果は惨敗レベルを免れなかった。でもこのような'無謀な挑戦'は、国内自動車マニアの熱狂的支持を受け、現在、一部のモデルは'クラシックカー'班列に上がった。
 
 
 
◇最初の国産ロードスター'カリスタ' 78台を生産っ
 
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▲こんなのニホンでは光岡自動車のシルビアベースのがよく走ってましたね
 

国産ブランドが最初に生産したロードスターは双龍(サンヨン)車の'カリスタ'だ。
カリスタはそもそも、英国自動車ブランド'パンサー'が1982年から1990年まで生産した車だ。韓国の珍島グループが1981年パンダを買収したが、1987年双竜車がパンダを越して受け、国内市場に披露した。
フォードから核心部品を持ってきて1991年から1994年までに双竜車平沢(ピョンテク)工場で生産した。
カルリスタは1930年代を風靡したジャガーの名車'SS100'スタイルに基盤を置いたクラシックなデザインが魅力だった。
極端に長いオーバーフェンダー(前輪中央から前部バンパーまで長さ)と丸く隆起した全面ヘッドライトは西洋白黒映画で一度は見たような自動車の姿だった。
性能はそこそこのスポーツカーがうらやましくない水準だった。2000cc、2900cc2モデルが発売され、2.9モデルは最高出力145馬力に最高速度は時速208km/hを撮った。
当時、自動車マニアたちの口で何回も上下した振られたが、販売は低調だった。1991年~1994年までカルリスタは国内市場にたった78台が売れただけだ。
ロードスターの低い市場性も問題だったが、価格も負担だった。2.0モデルと2.9モデルの価格はそれぞれ3170万、3670万ウォン。当時、大型車程度の価格だった。
 
 
 
◇起亜エラン、'悲運の軽量ロードスター'
 
 
 
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いすゞエンジンのこんなのはあった気がするね
 

カリスタに次ぐ国産ブランドの'無謀な挑戦'は、起亜自動車の'エラン'だった。
エランはそもそも、英国ブランドロータスの車で起亜(キア)車が生産と販売権をロータスから渡して受けて1996年~1999年に生産した。起亜自が独自開発した'T8D'エンジンを搭載し、部品の85%を国産化した。
エランは'軽量ロードスター'の概念を国内市場にしっかり刻印させたモデルだった。エランの空車重量は1070kgで、軽自動車モーニング(1000cc)より軽い重さだった。
軽量化に向けて車体には、プラスチック素材であるVMRPを適用し、そのため、一般金属で作った車体では表現しがたい様々な色を表現することができた。
軽いため、早かった。エランのゼロバック(停止状態から時速100kmまで到達時間)は7.4秒で、当時国産車のうち、動力性能が最も優れた。
しかし、エランはやはり販売は低調だった。エルランは4年間1053台が生産されたが、生産価格は3000万~4000万ウォンだったが、販売価格は2700万ウォンに過ぎず、売れるごとに起亜車に損失を与えた。
現在国内にはまだ500台ほどが存在しており、同好会を中心としたマニア層がかなり厚い起亜車は、これを考慮して始興事業所にエランタスクフォースを運営している。
 
 
 
 
 
◇'1年だけでボツ'、GM大宇G2X
 
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G2XはGM大宇がサターン・スカイ2.0ターボをエンブレムだけ変えて、注文者の商標で生産(OEM)方式で国内市場で発売したロードスターだ。
2人乗りにしては規模がかなり大きい方で、典型的な'米国式'ロードスターだった。この車は、米国デラウェア州ウォルミントンに位置したジェネラルモーターズ(GM)工場で生産された。
 
264馬力を出す2000ccツインスクロールターボエンジンが搭載された。性能面では前述したカリスタとエランを大きく超えるわけだ。
しかし、やはり価格が問題だった。G2Xの価格は4390万ウォンで、ラグジュアリーカーも、普及型もないあいまいな価格帯だった。結局、2008年に発売1年ぶりに生産が打ち切られた。この期間100台が少し以上売れただけだ。
 
 
 
 
韓国は国産スポーツカーの墓、外れた`高性能戦略`
 
スポーツカー、自社ブランド価値上げる戦略車種
"販売量とは無関係。高級化戦略続いていく方針"

 
 
国内完成車メーカーが出した韓国産スポーツカーたちが国内の消費者からそっぽを向かれている。会社の`高性能戦略`による価格上昇が主な原因だと評価されている。
過ぎた1996年に現代自動車の初のスポーツカー`ティビュロン`が登場した当時、国内の自動車市場は期待感に満ちた。スポーツカーは高いという通念を破ってより大衆的なスポーツカーに近づいたので、販売も円滑にした。
当時、ティビュロンの価格は1300万~1600万ウォンで、同じ年に発売されたソナタ3価格(1058万ウォン~1580万ウォン)と大きな差がなかった。そのしてティビュロンの年間販売量は1万908台だった。
 
 
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▲韓国GM G2X(写真左)と現代(ヒョンデ)自動車ティビュロン。
 
その後、現代自動車は`トュスカニ、`(2001年発売)に続いて、前2008年性能とデザインを向上させた`ジェネシス・クーペ'を市場に出した。価格は2278万~3483万ウォンで、当時のソナタトランスフォームより500万ウォンほど高かった。
2009年までは7000台以上が売れたジェネシス・クーペの販売は去る2010年に入って2700台まで減少して、昨年は1568台にとどまった。昨年5月から10月までは月販売量が100台を超えなかった。
 
これによって今年上半期中に新しいスポーツカー`コルベット`を国内に持ち込む計画である韓国GMも販売に対する負担を抱えている。さらに、韓国GMは出しているスポーツカーに失敗を重ねた痛い経験がある。
 
去る2007年8月に披露した`G2X`(4460万ウォン)は発売初年度44台、翌年には119台、2009年には16台を販売した。昨年、披露した`カマロ`(4700万~4800万ウォン)は昨年5月お客様への引渡しを開始して8ヵ月間、77台を販売した。
 
 
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▲現代車のジェネシス・クーペ(写真の上)と韓国GMコルベッ。
 
業界では、このような韓国産スポーツカーの低調な販売は運転者が感じる価値に比べて高い価格のためだと見ている。性能は向上したが、価格比体感する価値が劣ると評価されている。
それでもメーカーはスポーツカーをブランドイメージ強化に向けた戦略車種で見て、高性能戦略をつなげていくという方針だ。現代車の関係者は"スポーツカーの開発方向が高性能に合わされ、価格も自然に上がった"、"このような戦略は販売を増やすためではなくブランドイメージの強化のレベル"と説明した。
韓国GM関係者も"主力車種ではないが、高性能の特色あるモデルルル導入し、国内の消費者に提供したという意味を置いている"と述べた。
 
 
 
(翻訳:2ちゃん番長)
 


 
スポーツカーってどのへんからスポーツカーなの?ってきかれると、”保険料率でわかるでしょ”ってお答えいただきそうですが世の中にはよっぼど早い”サニートラック”とかホンダのミッドシップ2シーターで350kg積みとかそーいうのはいくらでもあります。スバルのサンバーWRとかって立派なスポーツカーでしょ  そうしてみるとアノ国で一番売れているヒュンダイポーターなんかは並列4人掛けシートだけどあの国では脳内変換でスポーツカーなのかもしれませんよ、 ちなみにアノ国でも痛車っていうのが少数存在するんですがキャラクターが全部ニホン製のため親日派認定の対象になるということで日陰の存在だそうです。
 
 
 
 
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ドアを開けたらハンドルが無いんです(左ハンドル車)
 
左のドアから乗り込むとシートベルトが無いんです(手が天井へ)
 
気を取り直してシートを動かそうとしたら狭くって
 
ミラーを動かそうと思って上をみたらそこになかったり
 
でも走るのは大丈夫、左にピッタリ寄せて走るから