また割れた 光化門扁額
ハングルの呪い、光化門扁額また割れる
ひび割れは毎年この季節にやってくる、木材の乾燥だけでは説明のつかない怪異現象 下手な文字の看板がまた話題に・・・
[キムチミーナ]ソウルの象徴であり、顔である光化門の扁額が風によく日がない。24日、ソウル光化門の扁額が再びひびが入ったままかかっていて、都心を訪れた多くの市民や観光客の眉をひそめるようにしている。
光化門の扁額は、去る2010年の光復節に、光化門復元と一緒にかかったが三ヶ月ぶりに亀裂が生じ、2011年4月に修理をしている。
▲上は2010年のひび割れ、下は最近撮影したもの
文化財庁は、2011年の修理、当時議論の末、光化門の扁額を再作成しないで。その割れた看板を木や緩衝材などで埋めた
(翻訳:みそっち)
光化門の扁額は景福宮整備事業に基づいて光化門を元の位置に復元し、2010年新たに製作された。しかし、同年11月に扁額に亀裂が発見され、再製作することに決定した。この過程で、ハングル団体は、光化門がある世宗路の象徴性を考慮して、ハングルの看板を付けなければならないと主張してきた。文化財庁は2年の世論調査と公聴会、1.2次の議論を経て、各方面の意見を聴取した。
風水からみると南山の延長線上にある景福宮は世宗大通りの突き当たりになるがニホン統治時代にはすでに住む者もない廃宮殿だった。火災が頻発した漢城(今のソウル)は綿密な都市計画をもとに設計されたとされるが景福宮は現在の向きに建てられたわけではなかった、正確には世宗大通りが計画と違って通されたことである、地図を見ると理解が早いがソウルの南にある南山を避けることで風水の 以下略
読んでみたらわけのわからないリンク 日帝風水謀略説(にっていふうすいぼうりゃくせつ
あれは2010年のこと去る8・15光復節慶祝式の時に復元された光化門の扁額に、3か月も経たずに亀裂が出たことが明らかになった。このような事実は、国会文化体育観光放送通信委員会所属の民主党チェ・ムンスン議員(現江原道知事)が3日、報道資料とホームページを通じて光化門扁額の右側、『光』の字の左側に縦に長くヒビが入った写真を公開して明らかになった。チェ議員は、「光化門の扁額は、145年前の原形そのままに復元されたという点で注目をあびてきたが、復元して3か月も経たずにひどく損傷したという点は、復元過程がどれほど手抜きで進行されたかが推し量られる」と話した。亀裂は『化』の下の部分にも出ていて、肉眼で確認できるほど明確だ。
◆乾燥した気候による収縮のため?文化財庁はこの日午後、説明資料を出して、「扁額に使われた木が収縮して生じた現象」と話した。キム・ウォンギ文化財庁宮陵文化財課長は、「我が国の『金剛松』の特性上、秋季の乾燥した気候では乾燥収縮により微細な亀裂が生じるのが一般的」といった。光化門扁額に使用された木材は、我が国の固有種の『陸松』で板材9個をつなぎ合わせて、横幅3,905㎜、縦幅1,350㎜にした。陸松の特性上、湿気があれば吸い込み乾燥すれば吐く過程で生じる自然な現象ということだ。
◆手抜き復元が問題だが、木材専門家たちは、「陸松の特性を勘案しても3か月でに亀裂が生じることは話にならない」と話した。“木文化財”権威者のパク・サンジン慶北大名誉教授(前文化財委員)は、「金剛松のように大きくて厚い木であれば、少なくとも1年以上十分に乾燥しなければならないのに、工期に間に合わせるために不十分に乾燥された板材を使ったようだ」として「湿度が高い時は大丈夫だったが、秋季に入って乾燥したから問題が生じた」と指摘した。光化門扁額の文字を刻んだオ・オクチン刻字匠はメディアとのインタビューで、「梅雨の時期だったが、完全に乾いたと言うので使った。扁額の板を付ける時雨が降っていたからだろう」と話した。光化門の復元は本来、今年の末の完工予定だったが、文化財庁は11月に開かれるG20首脳会議に合わせて「9月まで」と工期を3か月操り上げたし、再び「8・15光復節まで」と無理に工期を短縮したという論議が起きた。
◆対策はあるか
右寄りにヒビが入ると与党が分裂するんだっけ?