minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

復元するならひび割れまでも 光化門扁額

 
 
ひび割れた光化門の扁額、色がワカラナイ
 
なぜ記録がない?1865年(慶応元年)の建設当時の色がわからない
大きさも変えてみて作り直し、国璽の作り直しを思い出します
 
 
イメージ 2[キムチミーナ]文化財庁は、新たに製作する景福宮光化門の扁額を、現在一時的にかけておいたように、白地に黒の文字で復元することにしました。 宮殿の看板は白地に黒·黒地に金箔·黒の背景に白文字の3種類があるが、先に考証のために確保したガラス原板写真は、色がはっきりしていない部分から、疑問を提起しました。
 
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イメージ 5▲2010年に復元された現在の扁額。(上左)1968年に制作し、2006年まで使用された扁額。(上右)
 
◀書体の元にされた唯一の現存するガラス原版写真(左)
 
 
これに対し文化財庁は各分野の専門家で構成された諮問会議を開き、写真を詳しく分析して、背景色よりも字が黒く、外縁部は地色より暗いという事実を再度確認しました。さらに看板のサイズは昨年、研究委託を施行した結果を踏まえて、現在横3905mm、縦1350mmであったものを横4276mm、縦1128mmに変えることにしました。
新しい看板は、年末までに制作し、来年1年間の状態変化するかどうかを点検した後、設置する予定です。
 
 
(翻訳:みそっち)
 


 
 
つまり、さらにワイド画面になるというわけですね。
 
 
画面サイズの比較。緑色の四角形がスタンダード・サイズ。赤がビスタ・サイズ  ※横に少しだけ伸ばしています。
 
 
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▲1865年に高宗によって廃宮となっていた景福宮の再建が計画された、その時作られたこの光化門はその後移築され朝鮮戦争のときに爆撃で炎上した。
 
当時の扁額を覚えている韓国人が一人も名乗り出ないのはいかにも不可解だが最新のデジタル技術の進歩と調和で再現された最新の研究成果が次の扁額作成に生かされる。
 
 
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▲これは内側から撮影したもの、高宗による景福宮の再建は結局完成することもなく、その建設計画予定地だったところにニホン総督府が建てられることにある。この草ぼうぼうの様子が朝鮮時代の末期感を醸し出している。
 
 
 
 
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▲1865年、高宗によって300年近く廃墟になっていた景福宮の再建が計画された。その結果、朝鮮の国家財政は極端に破綻し中国、ロシアからの支援も得られないままニホン政府に泣きついて弁済したことがある。
この当時のにするのか、文禄の役の際に放火で燃えた前に戻すのかで議論が出ている。
 
 
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▲1963年先代の朴大統領は移動して先で焼け落ちた光化門をニホン総督府前に再建してみた。ところが場所が違っていたり向きが微妙に異なるなどの問題が提議されると早速取り壊しが決定した。
 
 
過去カキコ
 
 
 
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とりあえずパテ埋めしたのを下げておくみたい