ねこぐるまの謎に挑む③
ねこぐるまについてわかったこと
[月刊ミーナ]猫車といえばアノ乗り物だということはよく知られています、しかしネコ車についてはまだわからないことがたくさんあるようです、これまでに紹介しきれなかったねこぐるまのことや新しくわかったこととかをまとめてお知らせします。
▲おそらくニホンでは初公開となる貴重な写真(人が乗ってない)
猫車の正式名称を知る
ねこぐるまや一輪車をハングルに変換しても肝心の猫車は検索できません、本当の名前はというと 漢字で書くと 軺軒 と書きますハングルでは 초헌 と書いてチョホンって言うようです
[定義]朝鮮時代の正2品以上の官吏が乗った車。(大司憲や観察使、武将など)
[内容]
ミョンゴ(命車)・木馬(木馬)・チョゴ(軺車)など、いろんな名前がある。とても長い中心に一輪が下にかかっており、座るには椅子と似たようになり、足をのせて置くように工夫されており、上には屋根がなかった。
2本の長い棒がついていて前後から人が引っ張って押しになっている。車輪は鉄に加えて丈夫に強度を与え、材料などはトネリコやクヌギなどのような堅い木材を利用しており、その上に鉄のスジを魚膠や膠で接着して強度と弾力を与えた。
椅子は鹿の皮で背もたれと座布団を作って、一番前の部分と椅子の真裏に横木を通しておいてこれを引っ張って押す装置となるようにしており、最後尾では定見を握って歩調をあわせるようになっている。普通6人で9人ほどがひと組をなして動くようになっている。
昔チョホンを使用する正2品以上の官吏である堂上官の家は正門に敷居がなく設計されて、チョホンをすぐに押して出入りするようになっている。チョホンは使用者によって宮中用は朱漆をし、士大夫のものは黒い塗装しており、大きさにも差がある。
こんな解説がされています、偉い人の乗り物だったのだということを主張したいようです。
ねこぐるまの写真を見てみる
ねこぐるまの古写真は確認されているところではわずか2枚しかありません、もちろん写真技術の発明や旅行者による撮影などが行われた以前の写真というものは存在しませんが、その撮影時期についてはいくつかの説があるようです。
▲前後ふたりで押し引きしている猫車の写真 特徴は車輪のスポークが27本であること これを暫定的に”ふたり猫車”と呼ぶことにします。撮影の季節は立木が枯れている様子から寒い季節だとしましょう この写真には1863年撮影というキャプションがついたものが複数存在します。 ←ここ重要
こちらはよく似たものが現在も残っているのでそういうものが写真を撮った当時に存在していたということは確認できました。
ねこぐるまの写真は2枚しかない?
もう一枚はこちらです、前後に4人がいます、写真の撮影時期は不明ですが韓国では1904年の写真だとする意見が数多くあるようです。
こちらのねこぐるまを”4人猫車”と呼ぶことにしましょう
背景もちがいますし撮影の季節もちがうようです
▲[1904]チョホンに乗った旧韓国軍将軍
撮影時期は不明ながら後ろに写っている廃屋?の荒れ果てた姿から見ると当時の朝鮮の荒廃ぶりがよくわかる秀逸な一枚ですね。
こちらも実物が残っていました 車輪のスポークが違うことや、車輪を支える2本の棒の形状が違うことからの”ふたり猫車”とは別のものだと推定できます。
※写真をクリックすると大きくなるかもしれません。
これは国立民族博物館に展示されています
そのほかにもこんなのやあんなのまで
成均館大学博物館にも同じようなのがある(民族博物館とも)
最近になって復元されたねこぐるまもあります 所蔵:天安市博物館
▲ねこぐるまの切手も発行されました、2003年
ねこぐるまの実在を示す絵画は朝鮮時代末期に書かれた?
この絵は箕山風俗圖帖というものに残されていたもので、当時の貴重な風俗を記録したものとなっていますが、実はこの絵が書かれたのが19世紀後半に活躍した画家のキムジュングンという人が書いたものだと明らかになっています。書いたからには何か題材となる事実があったはずですが朝鮮時代の末期に書かれたこの絵のほかに古い時代のねこぐるまを書き写した絵は存在しません。 それ以前にねこぐるまが存在していたのかは疑問です。
▲ハンブルグのドイツ民族博物館には彩色されたねこぐるまの絵が寄贈されています。
同じような絵が白黒写真で紹介されています これらはすべて朝鮮時代末期の画家だったキムジュングンが書いたものでした。 その朝鮮末期というのが何時なのかというのが疑問に残りますよね
見てわかるように2010年に書かれたものですよ。
安定の悪いねこぐるまにはどうやって乗り込むのだろうか
駕籠や輿といったものなら低い位置におろしてから乗り込むことができます。またニホンの平安時代風の牛車でしたら安定していますからよじ登ることも可能でしょう、しかし2人ないし4人で支えているねこぐるまに乗り込むことは相当な困難が予想されます。片方の取っ手を地面に置いたとしても座席が傾くために座ることは困難なハズです。また専用のはしごがあったとか昇降台が用意されていたという突飛な意見も疑問なところです。
※頭をぶつける、舌を噛むなどと解説されています
さらには”車輪”を使った輿がここにしか存在しないという不思議です。もっと下位の役人から最上位の王まで複数の人数で担ぐ輿は存在しましたがなぜかねこぐるまだけに車輪が付いているのです。 ※車輪が発明できなかったというのはまた別の話です
ちょっと寄り道ねこぐるま
韓国人が解説するねこぐるまについての記述
朝鮮イメージ捏造説? http://urx.nu/9Bm3
あの位のよろいを着た位なら刀とか矢の武器も持っていなければならないがないです. また周辺の護衛兵もないです.
背景は道端や道路ではない廃墟のような家が見える芝の上です.
結局、推論できるような事実は朝鮮の車輪のついた御輿と鎧をねらった外国人が街のサーカス団を連れてきて古い建物の前でポーズを要求して操作された風俗写真を作ったものです。
青色部分を見ればタイヤがあります. タイヤが変わったお御輿に乗ることができる身分は3身幅以上の高位層堂上官以上の 文臣 階級ではなければなりません.
黄色い部分を見れば靴下もない素足です.
裸足でお御輿を走ることは変です.
裸足でお御輿を走ることは変です.
赤色部分に生半可な姿の人が見えます.
顔付で見れば女性と見えます.
顔付で見れば女性と見えます.
紫色部分の男は詳らかに見れば一寸法師です.
手と足が短くてよろいも身に全然当たらないです.あの位のよろいを着た位なら刀とか矢の武器も持っていなければならないがないです.
手と足が短くてよろいも身に全然当たらないです.あの位のよろいを着た位なら刀とか矢の武器も持っていなければならないがないです.
これはKJクラブで割と評判になったネタのようです、ところでこうした写真はどのように撮られたのでしょうか。
これらは朝鮮の風物を記録する為に開国後にニホンや欧米からの旅行者向けのおみやげ用に撮影されたものではないかということです。そのため通常でも6~9人で担ぐねこぐるまに2人だったり4人だったりする人数だけが配置された写真が撮られたのではないかということですね。
ところでこのねこぐるま、朝鮮王朝の敗亡とともに使われなくなったものだということは確かなことですから、その後になって撮影のために引っ張り出されてきたものであるということは間違いないでしょう。
では、ねこぐるまって本当に朝鮮時代にあったのでしょうか
①どこかの面白好きが駕籠に一輪をつけて写真を撮った。1880年頃②それを見た画家がそれらしく絵を書いた 19世紀末③最近になってねこぐるまには高位なひとが乗るものだと解説がついた④実は4人ねこぐるまの車輪は同時代の中国人の荷車と同じものである⑤倉庫にあった残骸(ガラクタ)をねこぐるま風に再生した 最近
なにしろ”朝鮮王室儀軌”などに代表されるような”記録好き”な朝鮮人が一枚のスケッチも残すことなく記録にも残っていないネコ車を、名前だけから推定して実在したと思い込んでいるんじゃないのかな。ってことなんです。
でも平壌にもあるし実物が残ってるんだからホンモノかな?
おまけ
ねこぐるまの写真は村上智順というひとが撮影した写真帳のなかにあったものだそうです、そのひとは1920~30ころに朝鮮を旅行したひとでねこぐるまの撮影時期がその通りだとすると写っているのは当時の現地のエキストラってことになりますね。
実は3枚目の写真があったのです。当時の朝鮮人の身長が150cmとしてもかなり高い位置にすわるものだということがわかります。
なんかぁ チョーたいくつって感じ