minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

弾を持たない関心兵っ

 
 
イム兵長捕獲部隊に関心兵がいっぱいいた
 
弾倉から弾を抜き安全に配慮。2次被害防止とか
 
イメージ 1[国防ミーナ]イム兵長を追撃する際に実弾なく、空の銃を持った「関心兵士」が多く作戦に投入されたことが明らかになった。
  今回の事件の対応過程で軍当局の取り組みがどれくらい安易だったのかを再び確認しました。
 
去る21日仲間の将兵に手榴弾を投げて銃を乱射した後、武装脱走したイム兵長イム兵長を追跡するために、3,500人を超える軍将兵が作戦に投入されました。しかし、投入された兵士の中にある兵長のような「関心兵士」が多く含まれていました。
さらに、この中の一部の兵士は実弾がない空の小銃を持って行きました。
仲間を殺傷した武装脱走兵を追いながら、事実上の武装解除したわけです。
この「関心兵士」がある兵長と合って銃撃戦が起こったなら、大きな話を口しかない状況でしたが、
 
 
あの流れ弾中尉は関心兵をかばって?
実際の事件発生二日目のキム某中尉は実弾がない「関心兵士」を避難させた後一人である兵長を追う腕に貫通傷を負ったことが明らかになりました。
包囲網に穴があけられる粗末なブロック作戦と味方の間誤認射撃、実弾のない「関心兵士」投入まで軍当局の取り組みが総体的な不良だった非難の声が高まっています
※流れ弾を撃った捕獲部隊の兵隊は特定されていません。
 
 
(翻訳:みそっち)
 


 
22師団では、A級の関心兵士が312人、B級が470人、C級は1018人に達します。   関心兵士の数は合わせてみても1800人で、全体の兵士の20%です。
軍全体でみるとA級の関心兵は17,000人ということで全体の3.8%が問題ありの兵隊ですよ、全体で65万人いる韓国軍の中で、2年間の徴兵のひとはおよそ40万人、そこだけに限って言うと問題兵士の割合は40%を超えるというのが実態です。
韓国軍では徴兵の2年勤務の兵隊はある意味でお客さまですから近代の軍隊のなかでも専門性を持たない”歩く盾”としての意味合いが大きくなります。それらを指揮するのは副士官とよばれる韓国の職業軍人ですが彼らの程度が低い事もよく知られています。それらとほぼ同数いるのが韓国軍の士官ですがこれがまたひどいというのは定説ですね。
さて朝鮮戦争のはじまりの時に韓国軍は10万の兵力がありました、これが釜山まで撤退してゆくと人数はどんどん減っておよそ3万人が残っていたのだといいます、この時点では軍事統制権を米軍に投げ渡したあとですから新兵の補充が出来ませんでした。正規軍を募集することができないため新たに手を変えたのが後に国民防衛軍として大量の餓死者をだした募集だったりします。そのあとになって済州島で韓国軍は大量の兵隊を集めて訓練をしたことになっていますがそれは停戦交渉のはじまった1952年からになっています、この訓練では2週間という期間で速成した兵隊を大量に動員したことになっているようですが、そうした兵隊の公式の記録は存在しません。
 
話は前後しますが平壌を占領した国連軍と押し返されたソウルの2度目の陥落までに韓国軍が戦闘に参加したという国連軍側の記録はありません。また参戦した事を話す韓国型誇大老人も済州島で訓練をしたという発言は一切出てきません。
それもこれも”朝鮮戦争で韓国軍が先陣を”という理想から考え出された妄想に過ぎないからですね。(米軍の代理戦争という批判を避けるために韓国軍が戦っていたことにしていたのです。)
韓国が主張する朝鮮戦争での韓国軍の活躍は”軍事統制権”を渡してしまう迄の短い期間だけに集中していてその戦果の主張は1960年代になってから出てきたものしかありません。
ペク将軍はご存命ですが当人の平壌入城の写真はいっぱいあっても”彼が指揮した部隊”の写真は一枚もありません、米軍の後について記念写真に納まることが彼の重大使命だったため停戦後にも彼は米軍に重用されることになります。
 
 
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▲9月28日にソウル中央庁舎に旗を揚げる海兵隊と言われる写真
彼らが仁川に上陸した時に乗ってきた船は特定されていない。
※米軍による国連旗の掲揚している写真はアーカイブに残っている
 

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これはソウル市庁で再現したもの

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高層ビルの立ちならぶソウルで ”1950ソウル奪還” 再現行事をしている。
間違えやすいのが1990年にも、その光景を再現したショーが開かれたこと
韓国軍の海兵隊部隊がソウル奪還で活躍したという事実はありません。
 
 
 
 
 
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えぇ~ マジで言ってるの?