韓国メディアの嘘をつく体質②
6.25 戦争の始まりをニホンからの電話取材で知った
国内外の新聞の戦争勃発報道
①京郷、東亜、ソウル、朝鮮の開戦報道
戦争に対する初の報道はどう始まったのだろうか、6月25日付の韓国の新聞には戦争勃発に関する一切の報道がなかった。これは当時の新聞が日を一日早めて発行することが慣行だったからだ。したがって6月25日付新聞を24日にすでに発行したあとだったのだ。一方その頃同日午前9時50分には早くも米国UP通信のジャック・ジェームズの記者が、戦争勃発の初報道を本社に打電しており、同日。午後には東京で発行される米軍機関紙スターズ・アンド・ストゥ'ライプス(Stars and Stripes)が、戦争勃発を号外として報道するまでにあった。
戦争に対する初の報道はどう始まったのだろうか、6月25日付の韓国の新聞には戦争勃発に関する一切の報道がなかった。これは当時の新聞が日を一日早めて発行することが慣行だったからだ。したがって6月25日付新聞を24日にすでに発行したあとだったのだ。一方その頃同日午前9時50分には早くも米国UP通信のジャック・ジェームズの記者が、戦争勃発の初報道を本社に打電しており、同日。午後には東京で発行される米軍機関紙スターズ・アンド・ストゥ'ライプス(Stars and Stripes)が、戦争勃発を号外として報道するまでにあった。
戦争勃発をニホンからの電話取材で知った韓国報道
韓国の新聞は6月25日にまず切迫した状況を号外発行するしかなかった。京郷新聞は同日午前9時東京の毎日(每日新聞)新聞からかかってきた電話を受けて初めて戦争ニュースを知った。ソウルに特派員がなかった毎日新聞は東京の米軍司令部で得た情報を確認するため、京郷新聞に問い合わせをしていたのだ。京郷はこの電話をきっかけにして緊急に軍と通話をとり25日に号外を発行して26日にも号外を発行した。
東亜日報や朝鮮日報も号外に北朝鮮の南侵を伝えた。朝鮮日報の号外は"以北傀儡不法南侵/25日早暁三十八度線全域にわたって"というタイトルで国防部情報局長イソングンが6月25日正午に発表した談話を報道した。
イソングンの発表内容は、北朝鮮の全面的攻撃があったことをつたえて"軍からは命令無しに38度線を越えて、攻勢作戦を取ることができない苦しみがあるが、万全の防御態勢で彼らが不法南侵する時これを捕捉できる準備と用意はなされた。’’というものだった。しかし、この談話とは異なり、この発表があったその3~4時間前の25日午前8時ごろにはすでに開城が共産軍によって占領されておりそのあと全部。後に多くの市民を犠牲にさせることになる政府当局の事実と異なる発表がこのように始まるのだ。
26日付の新聞は一斉に国防部ジョンフン局長イソングンの発表を1面トップ記事などで取りあげ、韓国軍が侵入する北朝鮮軍を迎撃(邀擊)中と報道した。
各新聞の6月26日付1面トップ記事の見出しは次の通りである。
◆東亜:=傀儡軍突然南侵を開始/38度線全域に非常事態精鋭国軍敵を 迎撃のうち韓国軍防衛態勢万全敵の神経戦に動揺するな
◆ソウル=傀儡軍今曉の南侵国軍各地で邀撃中/国防部局長発表、まず国民は安心して動揺するな
◆朝鮮=以北傀儡不法南侵25日早曉38度全線にわたって/国軍作戦を実行中傀儡撃滅に積極協力しよう
翌27日付の新聞はまるで韓国軍が総反撃戦を開始して38度線を完全に押し返したような報道態度だった。 京郷新聞は"燦!味方勇戦に傀儡軍元宣誓敗走中"という1面トップのバナー(banner)カットの下"三軍敗敵猛追、一部は海州市に突入’’というタイトルで、国防部報道班の発表文をそのまま丸ごと全部。また、社会面のトップには"38魔線を粉砕しよう!轟くような失地回復の軍號"というタイトルをつけた。38度線の最前線でパクソンフヮン特派員と東豆川方面最前線でイヒェボク特派員が送ってきた記事も北朝鮮軍が退却し始めたような記事だった。
東亜日報も1面トップに"国軍精鋭北上総反撃戦展開"というタイトルの下にはやっぱり国防部報道課が26日午前10時に発表した内容をそのまま掲載した国防部の発表は海州市を完全占領したというものだった。朝鮮日報も同じく文字漢字違わず国防部の発表をそのまま転載しながら"国軍の一部の海州突入/敵射殺1580人、戦車装甲車破壊58台"と報道した。しかし、このような一方的な国防部の戦果発表とは異なり、すでに北朝鮮軍はソウルに向かって進撃を継続していたのにもこのような新聞報道を信じた多くの市民たちが事態を誤って把握して避難の機会さえ持てなかったのだった。
北朝鮮労働党の機関紙である「労働新聞」では、6月25日付の開戦初期の紙面を入手できないが「同士新聞」と「朝鮮人民軍」は開戦直後の紙面が残っている。
6月25日付闘士新聞(指令150号;責任主筆ハン・ヒョ)は北朝鮮の内務省発表を引用して韓国がこの日早朝に38度線全域にかけて北朝鮮に対する“不正の進攻を開始”したと報道した。 この日の新聞は朝鮮中央通信が24日付で報道したという記事も掲載した。
6月25日付闘士新聞(指令150号;責任主筆ハン・ヒョ)は北朝鮮の内務省発表を引用して韓国がこの日早朝に38度線全域にかけて北朝鮮に対する“不正の進攻を開始”したと報道した。 この日の新聞は朝鮮中央通信が24日付で報道したという記事も掲載した。
その内容は6月23日22時から24日4時まで国軍が38度線南甕津郡(オンジングン)で北朝鮮を攻撃していたと主張した。 この日の社説は“平和を拒否する者には滅亡があるだけだ。”という題名だった。 このような報道内容でみると北朝鮮はすでに事前に緻密な準備ができていたということがわかる。
6月27日付同士新聞は(第151号)1面全面にキム・イルソンの大型写真と共に“全体朝鮮人民に訴えた朝鮮民主主義人民共和国内閣受賞キム・イルソン将軍の放送演説”で満たした。 注目される記事ではこの日の新聞ある片隅に小説家イ・テジュンが“人民解放戦争の勝利のために全国文化人は総決起しよう”という文を載せたという点だ。 再北文人の中ではある雪夜が1950年7月14日付労働新聞に“ヒットラー後継者米帝強盗は私たちの農村と都市を無差別的に爆撃している。”という。文を載せたのが見える。
民族保衛性気強いのか「朝鮮人民軍jは6月26日付に国軍が北朝鮮に進攻を開始してヘジュ方向西側とクムチョン、鉄原(チョルウォン)三方向で38度線の北側近くで1kmまで侵入したが北朝鮮軍は“苛酷な防護戦を展開した結果、敵軍の侵攻を挫折させた。”と主張した。
そして6月25日現在の北朝鮮軍は38南地域から5~10kmまで前進したと報道した。 この日の新聞はまた、6月25日に民族防衛軍務者大会が平壌(ピョンヤン)市内人民軍クラブで開催されたと報道して北朝鮮軍が事前に全面戦争のための準備を完了していて機敏に軍務者大会を開いたことを見せてくれる。
朝鮮人民軍はまた“初級宣伝院にあたえる資料”と“リ・スンマン 傀儡大統領を抹殺してヤンキー文化を輸入している”という宣伝資料を掲載して戦争を起こした側は韓国であり北朝鮮はモスクワ3商会意義決定事項と1949年6月祖国統一民主主義戦線の平和統一推進剤の背中を支持してきたので戦争を回避しようと努力していたと主張した。
また、北朝鮮の公式記録といえる《朝鮮通史》では韓国が北朝鮮を侵攻したと主張している。 北朝鮮の科学院歴史研究所が1958年に出した《朝鮮通史》は次の通り記述している。
朝鮮人民軍はまた“初級宣伝院にあたえる資料”と“リ・スンマン 傀儡大統領を抹殺してヤンキー文化を輸入している”という宣伝資料を掲載して戦争を起こした側は韓国であり北朝鮮はモスクワ3商会意義決定事項と1949年6月祖国統一民主主義戦線の平和統一推進剤の背中を支持してきたので戦争を回避しようと努力していたと主張した。
また、北朝鮮の公式記録といえる《朝鮮通史》では韓国が北朝鮮を侵攻したと主張している。 北朝鮮の科学院歴史研究所が1958年に出した《朝鮮通史》は次の通り記述している。
"1950年、6月25日、朝鮮民主主義人民共和国政府は、敵を撃滅・掃討することに対しわが人民の一途な希望と期待を反映しながら人民軍隊に敵に対する大韓共和国で越えて行くことを命令した。この時からウリ祖国は、戦時状態に入った。朝鮮人民は平和的建設事業を中断して祖国の自由と独立に向けた正義の戦争に乗り出すことになった。人民軍は苛烈な戦闘をこなしながら、南朝鮮傀儡軍の侵攻を挫折させて反攻撃戦に移った。もう6月25日午後には38以北地域に1〜2キロメートルまで侵攻してきた敵を撃退し、38以南地域に10〜15キロまで前進した。"
米国極東部公式発表(Official Publication of United States、Far East)の スターズ・アンド・ストライプス(Stars and Stripes)ではINSを引用して6月25日付に号外を発行、戦争勃発を報道した。タブロイド版のこの新聞は号外1面の頭に"韓国に、戦争勃発’’(Korea at War)と特筆大書し、同日午後までの戦況を比較的詳細に報道した。INSは、北朝鮮軍が38度線200ヤードの全域に侵攻し、昼11時には平壌(ピョンヤン)放送が戦争を宣言したと報道した。また12時にはソ連軍事顧問団から訓練を受けた北朝鮮軍6万人が38度以南平均3kmの韓国地域に戦線を構築したと報道した。この号外は 東京時間午後3時現在の戦況まで入っていることから、日曜日の夜の間の頃に発行されたものとみられる
6月26日付日本の朝日新聞も北朝鮮の南侵を報道した。27日付の新聞は38線で北朝鮮軍が南へ進撃する地図とともにソウルがすぐ陥落されるものであり、首都を大田に。移すと(京城陷落©寸前、韓國首都太田に移転)報道した。その28日、朝日は福岡(福岡)からソウルに電話をかけて、ソウルの通信社と新聞社の編集局長などに戦況を取材、緊迫した状況を報道している。韓国内の新聞が軍当局の検閲を受けて戦況を歪曲報道したのに比べ、日本の新聞はむしろはるかに事実に近い報道をしていることを確認することができる。
6月26日付日本の朝日新聞も北朝鮮の南侵を報道した。27日付の新聞は38線で北朝鮮軍が南へ進撃する地図とともにソウルがすぐ陥落されるものであり、首都を大田に。移すと(京城陷落©寸前、韓國首都太田に移転)報道した。その28日、朝日は福岡(福岡)からソウルに電話をかけて、ソウルの通信社と新聞社の編集局長などに戦況を取材、緊迫した状況を報道している。韓国内の新聞が軍当局の検閲を受けて戦況を歪曲報道したのに比べ、日本の新聞はむしろはるかに事実に近い報道をしていることを確認することができる。
戦争が勃発すると、UP東京支局に駐在していたカリシャー(Peter Kalischer)ワポッツ(Rutherford Poats)ら2人の記者は最初の派兵された米国歩兵師団とともに来韓し、大田(テジョン)で取材活動を始めた。また、スターズ・アンド・ストライプス、エルニーピラー(Ernie Peeler)も最前線での取材を稼ぐことだった。
INSのリチャードは6月28日の最初に戦闘の支局に従軍し、戦況を報道して7月10日に大田付近で北朝鮮軍戦車の攻撃を受けてスターズエンドゥストゥライプスのエニー・ピラーと共に、外国人のうち、韓国戦で殉職した初の従軍記者になった。
INSのリチャードは6月28日の最初に戦闘の支局に従軍し、戦況を報道して7月10日に大田付近で北朝鮮軍戦車の攻撃を受けてスターズエンドゥストゥライプスのエニー・ピラーと共に、外国人のうち、韓国戦で殉職した初の従軍記者になった。
※韓国人記者としてソウル新聞のハンギュホ記者が唯一の殉職従軍記者だった。
ニューヨークタイムズは6月29日付3面にソ連スパイが1947年から朝鮮戦争に備えて諜報活動を展開しており、北朝鮮情報隊による地図作成および軍事施設の撮影が始まったと報じた。6月28日付の英紙ザ・タイムズはアトリー首相の言葉を引用して、北朝鮮の攻撃の規模と強度で見ると明白な戦争であり侵略行為と報道した。
(翻訳協力:ネト ミナ)
報道
とりあえず嘘でもニュースにしておいて国民を安心させることが報道の義務である。 (まるで朝日新聞のようですが)
国民
報道がそうなっていたのだからきっとそうだったのだろう、幻の戦果は真実だった (多くの市民が逃げ遅れたことはわすれている)
報道
国民がそうおもっているのならその通りだろう、昔の記者はもういないし
(自分で超時空記事を書いたのに責任は取らない)
以下いつまでも繰り返す~~♦♫♦・*:..。♦♫♦*゚¨゚゚・*:..。♦
100回言えば..って、ちゃんと数えてますか?
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