minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

厭軍意識がバッシング

 
 
 
 
 
軍の死亡者数、70年代には今の10倍も
 
マスコミの「魂のない「軍誹謗」一般兵たちに”携帯電話所持許可”と主張したメディアも。敵に隊を露出させる格好。
 
イメージ 1[国防ミーナ]最近陸軍某師団で発生した「ユン兵死亡事件」と「GOP銃乱射事件」を扱うメディアの報道姿勢を見ると、事実を指摘することを超えて、国民にとって「ヨムグン」(厭軍:軍の敵意)意識を呼び起こすほど、軍バッシング」に熱中しているんじゃないかと思うほどだ。
 
陸軍は、ユン兵死亡事件と関連して加害者に最大30年の重刑を求刑する方針を決めており、タスクフォース(TF)を構成して、年末までに根本的な問題を補完する方針であることが分かった。
 
ユン一等兵は去る4月6日午後4時25分頃の兵舎で餃子などの冷凍食品を分けて食べていたの先任兵に胸などを暴行された後に倒れ、病院に運ばれたが、食べ物が気道を防いで「祈りの閉鎖による脳損傷」に翌日死亡した。
軍検察は加害者であるイ某兵長と共犯であるハ某兵長、チ某上等兵、イ某上等兵およびユ某下士傷害致死罪で拘束した。
残りの1人は単純暴行で在宅起訴した。この事件と関連して軍は連隊長・大隊長など16人に指揮責任を聞き、連隊長は職務解任と譴責、大隊長は停職3ヶ月、専任大隊長は譴責(譴責)、本部部隊長は停職2ヶ月、関連支援課長は譴責、大隊人事課長・チャーリー部隊長は譴責、大隊軍需官、減給1ヶ月、部隊当直者減俸3ヵ月などだ。

問題は、軍のこのような足の速いアクションにもかかわらず、メディアは「国防部の小技が増えた」、「国防部は事件を7.30補欠選が終わった後、こっそりと起訴した」、「国防部がより恥かしい...(国防次官がひざまずいて1泊2日謝罪しても足りない」としながら「軍バッシング」に夢中になっている。
 
一方的な「軍バッシング」は、いわゆる保守言論という東亜日報(朝中東)も例外ではない。一例として、<中央日報>のイチョルホシニア論説委員は4日のコラム(タイトル:魂のない国防部は粉砕なければ)では、今回の事件と関連して「国防長官文民化」、「軍人年金削減」、「一般的な兵士たちにも携帯電話所持を許可」、「大統領の直接謝罪」などを主張して、「怒った民心にショーもしなければならない」と書いて締めくくった。
 
このように、軍の「叱責」を越えて「侮辱」を与えるようにしたメディアとジャーナリストたちの行動は、北朝鮮と左傾勢力が主導する「國軍瓦解戰術」工作を無意識的に助けることに他ならない。
国軍瓦解戦術とは、共産勢力が主導する統一(共産統一)の妨害をしている、いわゆる反革命武装勢力の軍を瓦解させる作戦である。北朝鮮の対南革命の指針である「主体思想に基づいた南朝鮮革命と祖国統一理論」に収録された同作戦を要約すると以下の通りである。
 
 
■まず、戰取対象に国軍兵士と中下層の将校を設定して、これらの人民と民族の方に、革命の側に返し立てることを強調している。また、打倒対象と上層の役人を設定している。これは、いわゆる反革命勢力を孤立させ、革命勢力を強化する非常に重要なものと指摘している。
 
■第二に、兵士と中下層の将校たちの意識化と組織化を強調している。まず、意識化は、これらの階級的、政治的、思想的に覚醒させなければということで、主体思想にも武装させ、革命的世界観と反帝闘争の意識を持つようにする必要があることを意味し、組織化は、軍内部に革命組織を構築し、これらの革命能力を育てなさいということだ。
 
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▲韓国戦争以降の軍隊の死者数(期間1954〜2005年、出典:国防省
 
■第三に、闘争方法では、コマンド忌避、脱出、悪質手先清算(司令官殺害を意味する)などの低形の闘争から兵変暴動のような高い形で発展させていくことを強調している。
 
また、小隊、中隊などの部分的な連合による闘争から次第に全連隊、師団、軍団などを包括する全面連合に発展させることなどを提示している。特に初心者の闘争の段階では、兵士たちの中下層の役人たちが米軍司令官と軍司令官の命令を断固として拒否して闘争の先頭に立つことを強調している。
これとともに、主要な闘争スローガンに戦時作戦統制権の返還、米国との不平等軍事条約(SOFA)廃棄、反人民的な兵役制度の撤廃、ファッショ的軍事制度の民主的改革、傀儡軍(国軍)を人民軍に改編などを提示してある。
軍関連の事故は以前にもあったし、今も存在しており、今後も間違いなく存在するものである。
 
一例として、朴正煕大統領執権時期である1975年軍の死者が1555人だったし、全斗煥大統領執権時期である1980年にはその数が減少し970人に減った。1990年代に入って273人(1997年)、2010年129人、2011年143人、2012年111人で、70年代と比較して格段に減った。
メディアは戦争に備えている軍の基本的な存在理由の中に、平時非戦闘損失の予防にタスクフォースを維持するために継続的に努力してきた国軍の努力にも照明が必要である。
 
 
(翻訳:みそっち)
 


 
年間に150人でも多いと思ったら1500人とかが軍隊で死んでいたという告白ですよ、これね国内に不信があるからです。なにしろ朝鮮戦争のときにほぼ全土が占領されちゃってその後に集めた兵隊は全部が敵地出身者ということになったからですね。(キタ朝鮮の占領中に何をしていたのかを韓国の退役軍人に聞くと山に隠れていた41%、釜山まで撤退していた28%、よくわからない17%、ほかとなっています)
 
旗色のイイ方の味方をするというのが”韓国型思考”の原点でもあるわけですが、開戦当初には10万人いたとされる韓国軍は釜山まで逃げ延びた時に3万人になっていました、韓国軍は1950年の7月の段階で解体されていましたから追加の補充したくても国連軍の指揮下ってことで募集すら出来なかったんですよ。米軍が仁川上陸なんてしちゃったものだからソウル奪還のあとに必要になって集めた兵隊も信用できなくて振るい落しみたいな行進をさせて70万人くらい殺していたでしょ。それでも国連軍から荷役部隊の動員を韓国に要請した時に集めたのが敗残兵や犯罪者みたいのばっかりで全く信用できないようなのが結局戦争の足を引っ張っていました。そういうのが思いもかけず停戦ってなったから名誉回復のチャンスが無くなったのでした。
シンちゃんのいうところの相互不信みたいなのはそんな時にもあったんですね。とにかく目的があって集められたことになっている韓国軍が掃き溜めの寄せ集めだったのは戦後しばらくして解消したはずだったんですが朝鮮戦争の最中に韓国軍は共匪狩りということで殺しまくったりしてたじゃないですか、そんなところから徴兵でやってくる兵隊が気持ちよく兵役なんかするわけがありませんから仕返しがあったり後ろから撃ったり手榴弾のピンを抜いて背嚢に入れてあげたりといった韓国型犯罪が多発したんですよ。そういう伝統が短期間で熟成されると軍隊が無法地帯になっちゃうんですね。
ありとあらゆる韓国型犯罪は全部がそうした理由から始まったのでした。
 
 
 
 
 
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