minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

昔も兵隊に行くのは嫌だったんだ

 
 
昔の徴集事情 年間45万人も所在不明で...
   
不備な電算システム…所在不明で半分は招集令状伝達できなくて
海外滞留者には帰国推奨・職場訪問など離脱者捜索作業
   
   
イメージ 1[国防ミーナ]入隊はこの土地に生まれた私たちが経なければならない最も重要な通過儀礼だ。 ところがお父さんがそうしたようにその息子も相変らず徴集令状を青春の訃告状のように感じるのが事実だ。
 
※韓国では徴集令状は郵便でやってくる、ニホンだと兵事係が各戸を訪問して本人に直接渡したって
 
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▲韓国の徴集令状、プリントされた名前と住所はそのまま封筒の窓から見える宛先になっている、ローンの督促状のようだとか
 
 
最近、ユン一等兵殴打死亡事件など兵営内人権蹂躪状況がしばしば発生していて若者たちの入隊忌避現象が起きないだろうか憂慮されている。
1948年大韓民国創軍以来、兵役忌避をはじめとする兵務不正事件は社会不条理の常連メニューになった。特に1970年代末まで入営忌避、応召忌避、徴兵検査逃れなど少なくない兵役忌避は社会的に、特に安保上大きな問題を引き起こした。
1969年度を基準として見ると故意も他意もあわせ兵役忌避者は45万人に肉迫した。 当時には兵務行政が電算化されていなくて忌避者の半分程度は'所在不明'だった。
 
産業化時代になって職場を得るためにむやみに上京する人が多くて令状がまともに伝えられることが出来なかった場合が大部分だった。
政府は兵役忌避者と勤務離脱者(当時の新聞表記では逃亡兵)の'探索作戦'を大々的に広げた。すでに採用された人々は解雇措置するようにしたしこれを違反する事業主にも責任を問うた。
 
※徴集はお仕事よりも優先されるため職場にまで徴集官がやって来るとか、当時では大学生には徴集猶予があったので進学率が高まったり
 
海外に滞留する人々にはやく帰国するように勧めたし彼らの海外の保証人に警告状を発行した。
これで終わらないで兵事係警察官、捜査課要員、兵務庁職員がいちいち職場を訪問して忌避者と離脱者を探し出した。
特に米軍部隊従業員のうち忌避者が多いことと見て米軍部隊を隅々まで探すこともした。
 
進駐軍のボーイなどは給料もよく舶来品に近づけることもあって人気が高かったそうです、米軍に勤務するKATUSAとは違って民間人が米軍で仕事をすることね。
カトーサ(英語: Korean Augmentation To the United States Army、KATUSA)は、大韓民国陸軍直轄部隊人事本部配下の在韓米8軍軍支援団(駐韓美8軍韓國軍支援團)所属として在韓米軍 陸軍に派遣する大韓民国陸軍の兵士をいう。
 
 
 
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▲写真は1971年度仁川公設運動場(現仁川サッカー専用競技場)に招集された仁川地域入営の若い男の姿だ。 いつ見ても胸詰まって感じでよく聞こえない場面だ。
 
 
列をつくる瞬間彼らの呼称は'壮丁'で変わる。 立派な意を抱いて遠い道を離れる若者たちの将来を祝福して送別するために簡単に壮行会が開かれるが若い男の頭はすでに論山(ノンサン)訓練所に行っている。
 
一番前に立ってうっかりして入隊祝い花束を首にかけられた代表の若い男はすでに軍規がぴたっと聞いた。
 
イメージ 4今は個別的に訓練所を入所するが1985年までは団体引率入営制を施行した。
一箇所集まって入営列車に共に乗って訓練所に入所した。
仁川(インチョン)では主に仁川公設運動場に集まった。 ※今の市立サッカー場
近隣の富川(プチョン)、金浦(キンポ)、始興(シフン)地域などの若い男まで含んで普通1500人ほどが招集された。
 
その日運動場周辺の風景は血なまぐさい場所それ自体であった。
歓送に出てきた家族と友達、木のハンコを売る人、軍番号列売る人、洗面道具財布売る人、各種食べ物を売る行商などが一ヶ所に絡まった。
※木のハンコは給料受領の為の必需品だった、姓が少ないので簡単に開業できる商売だったとか
 
腕章をはめた護送官が人員点検を終わらせれば列を合わせて運動場を抜け出して崇義ロータリー を経て南部駅(崇義駅付近)まで行進した。
時々地域の高等学校バンド部が軍歌と行進曲を演奏して先に立つこともした。その音楽は若い男にはあたかも葬送曲のように聞こえただろう。
 
人の気持ちも分からないのか一部道行く人は手を振って'ファイティング'を叫ぶこともした。  파이팅 ファイトだけど韓国では”パイティン”みたいに言う
 
 
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南部駅鉄道にはすでに論山(ノンサン)行き入営列車が長く立っている。
客車入口ごとに黒い腕章を付けた憲兵があたかも死神のように伸びることをしている。 もう両親、友達、恋人と別れなければならない時間. 歓送する人々でも離れる若い男や顔には涙鼻水がごちゃ混ぜになる。
 
"乗車!"護送憲兵の笛の音に若い男たちは列車に上がる。
 
入営列車は苦闘を一度大きく打った後徐々にスピードを出し始める。
列車は今は消えた朱仁線を走って家族らと離別する。
暫くして済物浦駅付近で京仁線鉄道そばについて時々朱安駅至らなくて京仁線と合流する。 そしてスピードを出し始める。
 
3年間の軍服務初日がそんなに始まった。  ※兵役は昔は3年ね
入営列車に乗る団体入営制は86年のソウルアジア競技大会を控えて廃止された。 その時頭髪も'坊主頭'からスポーツ刈りに変わった。
 
大規模国際競技開催を控えて硬直した社会の雰囲気を変えてみようとの趣旨であった。
 
 
 
(翻訳:みそっち)
 


 
最近盛んに”ニホンで徴兵制復活”と朝日新聞と韓国の新聞が騒いでいますが兵隊不足が極端に深刻なのは言わずと知れた韓国軍なのです、既によく知られているように韓国兵の1/3が関心兵でありそれだけを集めて部隊を編成することができないため一般の部隊に配属しています。その結果、問題行動を起こす可能性のある兵隊を監視するための一般兵も関心兵と同じカリキュラムで兵役をすることになることで2年間の兵役期間中に習得する特技課程がほとんど履修されずに兵役を終えているということが問題視されたのです。
たとえば運転兵の範疇に入る大型車両の運転ですが軍用のトラックは平荷台ばかりではなく色々なものがありそれぞれに資格が存在しているにもかかわらず教育が出来ないため歩く歩兵以外の兵科で人員不足が発生していると言われています。鉄砲と軍靴を支給すれば出来上がるのが歩兵ですが今の時代に求められる機械化された歩兵ではなく歩くだけの歩兵が量産されているうえに”歩兵装甲車K-21”では歩兵の乗った状態で渡河できないなどの問題点が続発していて凄惨な状態だと言われているようです。
 
くわしくは過去カキコにも  
 
 
 
今回操縦教範に書き加えられた部分
 
1:水上運行時水深2m以内の河上(河床)に障害物や突起/陥没地形を避 け、障害物と突出/陥没地形をよける
2:渡る走行時、急激な地形の変化(水溜りなど)地域は避ける
3:地盤硬度が弱い砂場やその他の軟弱地盤はダメ
4:冬期の河川が結氷すると、エアバッグの破損になるのでダメダメ
5:次の傾斜角、流速、波高を満たしていない地域は、やめておくように
- 進入傾斜角-14度以内
- 進出傾斜角22度以内
- 流速5.4km / h以下
- 水面の波、20cm以内
6:進出/進入/渡り走行間の速度10km以下
7:歩兵室搭載荷重0%(つまり公差重量24.1トン)未満の条件で水上運行可能
 
 
関連過去カキコ
 
 
 
 
 
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▲とりあえず新兵さんゎ“残すと叱られる”ということを経験上知っていますから、とにかく掻き込むことになるんですね、えっと、初日の配膳は2年兵殿がしてくれますょ、ところがここで問題が露見します“新兵さん”は混ぜまぜしちゃいけないのでしょうか
 
 
※正解は混ぜてはいけない 理由:時間がかかるから、必ず片手で食べること
 
 
 
 
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弱そうだと思っちゃいけません 
銃を持たせると照準射撃だからね