minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

太平洋横断ヨットの続き

 
 
 
 
 
わすれちゃうと指摘されちゃうからさきに
 
 
太平洋横断にチャレンジした韓国人
 
しかし、それから2年後の80年。今度はソウル、シンイル高校の同窓生2人が一緒に力を貸してくれた、太平洋を渡るならと飛びついたヒョンさんの挑戦と失敗を見て"それなら私たちがその夢をしてみよう"、飛びついた彼らは、ノイエ(28)コジェウン(28)のコンビ。現代(ヒョンデ)系列のキョンイルヨット会社の課長であるノ氏が設計して建造した長さ10m、幅3.32m、重量4.8tの”青い鳥”号に乗って蔚山からサンフランシスコまで12000kmを60日で走破するという計画を立てた。
特に青い鳥号は先立ち、ヒョン氏の失敗を教訓として船に20馬力のエンジンを装着し、どのような波の中でも、船の復原力を維持させてくれる”バラストキール”も船の下につけた。これらは挑戦に先立ち、蔚山沖で50日間も、実戦訓練も積んだ。

青い鳥号は80年5月23日、蔚山(ウルサン)を出発した。前にも2回の失敗の経験があるし、当時、韓国社会は、光州民主化抗争が物騒なときで、メディアの報道は意外と落ち着いている。青い鳥号は蔚山(ウルサン)を離れ、22時間後に下関に入港しており、ここで無線装備などを再点検して出航、26日正午ごろ、太平洋に進入した。しかし、彼らは大阪の東300マイルの海上を通る時、漆黒の闇と暴風雨の中で帆が引き裂かれる試練を経験し、6月2日には高さ18mの殺人的な波を会って船を守るために死闘を繰り広げた。また、6月7日からは交信が途絶され、大韓航空の米州路線の操縦士、大韓民国海軍と米国海軍が、位置追跡作業を繰り広げ始めた。
※当時太平洋を航海できる船は韓国海軍に無かったため米海軍との無線連絡のために韓国海軍が通信を担当した。

6月20日頃、大韓航空機が東経178度北緯32度の海上で'ヨット類似物体'をレーダーで捕捉、ソウルに知らせてきた。全然連絡が途絶えた状態で7月7日にはハワイの北方海岸で青い鳥号が巡航中のものが、米海岸警備隊の巡視船によって発見され、これらが事故を受けず、予定とほぼ同様に米国西部海岸に向かっていることが確認された。そしておよそ一ヶ月が過ぎた8月3日、米国西海岸を航海していた大型ヨット'ホワイトバード'が”青い鳥号”を発見、米海岸警備隊に位置と近況を報告した。彼によると、青い鳥のヨットマンたちはホワイトバード側に英語で"エブリシンスOK、ユウ・ハブトゥゴウ(everything's OK、we'll have to go-すべてうまくいっている。私たちは行っちゃうよ)と叫んだたということだ。
真夏の炎天下に苦しんでいた韓国人たちの口からカモ~ン!の歓声が上がった。ついにやり遂げたのだ。最終的に位置が確認されてから3日目の8月6日午前11時10分、パランセ号は蔚山(ウルサン)を離れてから75日ぶりに米国ロサンゼルスのサンタモニカ南マリーナ・デル・レイ港に安着した。当初の計画はサンフランシスコ入港だったが、沿岸用モーターが故障して港湾が複雑なサンフランシスコの代わりにLAを選んだのだった。嵐が吹き荒れて水しぶきが狂乱し、世の中との連絡が全然途絶された原始の太平洋をかき分けて韓国の若者たちがついに大洋征服の信号弾を打ち上げたのだった。
2人のヨットメンの太平洋横断の朗報が伝わったからちょうど5日後、8月11日、アジアのオットセイ趙五連が史上初めて大韓海峡渡泳に成功した。未知の海が挑戦する韓国人に対し、品を開け始めたものだ。エブリシンスOK、ユーハブトゥゴオ。私たちはまだ進むべき道は遠くて、それを行くと、夢はいつのまにか行われて我々の傍にいるのではないだろうか。
 
 
(翻訳:みそっち)
 


 
アジアのオットセイ へぇ~
 
単独じゃないし、エンジンは付いてるし、いちおう比較のためのルールはわかってるみたいですね。
 
韓国人の単独太平洋横断は1988年のキム何某さんと2001年のキム何ちゃらさんのふたりがいます。
 
それでも単独·無寄港·無援助·無動力っていうのは成功すれば初めてのことになるみたいですよ。
 
 
イメージ 1
 
そういえばさぁ”独島広報のヨットで世界一周”みたいなの無かったっけ
 
あれは気球だったね どーなったんだろ
 
そのカキコ : 第1回独島熱気球世界一周旅行`を実施します
 
 
 
イメージ 2