minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

"専業被害者"はバンモクハンに居座ってます

 
 
 
 
珍島体育館を明け渡したセヲル号行方不明者家族の次の落ち着き先はバンモクハンの仮設住宅、あれほど入居を嫌がっていたのに体育館明け渡しのあとは10棟ある仮設住宅でもうひと頑張り?
 
 
バンモクハン、仮設住宅の雨水'ぽつりぽつりと'…
 
"政府お粗末さそのまま!" 
珍島郡"汎対策本部解体後、撤退の雰囲気..これ以上支援策ない"
 
イメージ 1[メディアミーナ]珍島室内体育館を離れたセヲル号行方不明者家族らの彭木港、仮設住宅の写真が公開された。
セヲル号惨事の犠牲者、故オ・ヨンソク君の母親グォン・ミファ氏が24日に公開した写真の中で、彭木港の仮設住宅は18.15平方メートルの大きさのコンテナハウスだ。同じ大きさの仮設住宅10棟が現在、彭木港に設置されている。簡易シャワー室と料理場を備えた食堂も別途に準備された。この仮設住宅は珍島郡が運営管理を受け持っている。
 
グォン氏が同日公開した写真のうち、家族レストランで使用しているコンテナハウスは、ビニールとテープで天井のいたるところを臨時接合した姿だった。雨もりを防ぐためだった。グォン氏は"家族が食事する食堂の屋根に雨が漏る"、"政府のずさんさはそのままです"と非難した。
 
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▲写真提供=セヲル号の犠牲者故オ・ヨンソク君の母親グォンミファさん
   
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▲写真提供=セヲル号の犠牲者故オ・ヨンソク君の母親グォンミファさん
 
グォン氏はこれに先立つ22日、ソウル光化門広場で開かれたろうそく文化祭で"行方不明者家族らは'泣く泣く'珍島室内体育館を離れ、バンモクハン(彭木港)に移転した。しかし、彭木港が再び観光地域に造成され、家族たちは工事で大騒ぎなところに滞在する"と吐露した。

グォン氏は"保健施設も去り、応急施設も抜けて、直ちに食べて洗うところも全部引くと言った。安山からやってきたいくつかの親たちと3日、半日と守り、たとえ追い出されたりしないかと気をもんた"と、苦しい心情を伝えた。
さらに、"21日には電気を担当するところに、'家族たちはここにもっととどまる。これで電気が切れないように気をつけてほしいと'と要請を差し上げたし、'まだ海にいる子供たちとセヲル号に関連する全ての人々が来るまで守り抜くつもりと付け加えた。
 
※なんだかずっと居座るみたいですよ、しかも援軍が来るのを待っているってことはまさに”永住宣言”ってところ?
 
 
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▲写真提供=セヲル号の犠牲者故オ・ヨンソク君の母親グォンミファさん
 
行方不明者家族たちの移住は、汎政府事故対策本部(ボムデボン)が解体された直後の昨年20日から始まった。失踪者2家族が同日午後、珍島室内体育館から彭木(ペンモク)港に設置された仮設住宅に移籍した後、京畿道安山市にいたある家族も彭木港に舞い戻り、現在8家族のうち3家族が彭木港に滞在している。残りの5家族は安山に戻った。

彭木港の仮設住宅について珍島郡庁の関係者は、"行方不明者家族たちが自主的に滞在する場合の支援や修理などに論じ難い"と話した。この関係者は'goからのニュース'との通話で"家族レストランコンテナは以前にも雨が漏れた場合があり、臨時方便として修理をしたことがあった。しかし、今回の場合は雨が漏れるのではなく、雨粒が飛ぶ程度に知っている"と話した。
 
行方不明者家族支援については"汎政府事故対策本部の解体以降、室内体育館や彭木港一帯の全て撤収する雰囲気だ。、彭木港に滞在している家族について珍島郡がこれ以上支援できる方策がないようだ"と慎重に伝えた。
仮設住宅の運営期間については"定めたことではない"と話した。関係者は"一部マスコミが今月28日まで運営すると報道したが、まだ運営期間について正確に決定されたものがない。道と安山市と相談する問題だ"と付け加えた。
 
 
 
(翻訳:みそっち)
 


 
バンモクハンの仮設住宅10棟はそのまま残っていて食堂と調理室も増設されていたんですね。ちなみに”全南大学海洋体験合宿場”へのお引越しは白紙になったので”居座る行方不明者家族”の溜まり場は仮設住宅しかないわけです。 そして3家族がそこに残っているんですね スゴイや
 
家族が行方不明ということだけを基本理念に”安山にあった家はそのままにして”、”お父さんも一緒に”、”専業被害者”をやっているんですね。でもね潜水士は潜らないから新発見は無いのです。
これから寒くなるのに仮設住宅の暖房はどうするのかなぁ
 
食べ物や電気水道代はボランティアも帰っちゃったので珍島郡が面倒をみるということですが、珍島郡の体育館関連の損失が4億ウォンくらいあるそうですよ、そしてこれからも住み続けるんでしょうね。
 
 
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何となくニホン人的な考え方では”引き際”ってものを考えると思うのですが韓国のひとは刹那的な考えなのか、そこに正義がなくなっても自分こそが正義であるという被害者になりきることで、そこに居着いちゃうのがすごいでしょ。
珍島郡としては当然迷惑なわけですが、出て行けとでも言おうものなら袋叩きな世論になるので警戒を強めているみたいです。とにかく体育館から出てったら仮設住宅ってわけですから遺体の完全回収になっても理由をつけて住むのかな?