minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

脱民族主義の問題意識

 
 
 
韓国版の左右の葛藤の原因みたいな考察
 
 
イメージ 1[メディアミーナ]歴史を民族の観点からのみ理解しようとはならない。 いや、最初から民族と自体を実在しない概念によるフィクションと断定して作ったりもする。 その後、韓半島の歴史 - 特に日本植民地時代を含む近現代史で民族の概念を排除したらどうなるのだろう?
 
最近めっきり力を得ている”1948年8月15日大韓民国単独政府樹立説”大韓民国の歴史と正統性の開始という主張の論理的根拠である。 実際、当時韓半島を実質的に支配したのは、旧日本帝国の朝鮮総督府であった。 大韓帝国の後に続いて、現実の権力として韓半島の多数のメンバーに直接の影響力を行使した。 それに比べるとさすがに韓半島から上海へ移った大韓民国臨時政府に対し、自分の政府として認知していた人は、どれだけいただろうか。
どうせ高麗と朝鮮は、他の国だ。 高麗も新羅の降伏を受けて、韓半島に統一王朝を立てていた。 中国の清は満州族が漢族の明を崩して立てた征服王朝であった。 だから、中国の歴史の中で正統性は、​​どのように受け継がれているのか。
旧日本帝国が大韓帝国を崩壊させ、韓半島の支配者になって、朝鮮総督府を立てたら、果たして韓半島の歴史の中で正統性はだれのところに継承されるんだ。そうなると正統性という概念自体を否定する人もいる。 ともかく、1948年8月15日、大韓民国政府が樹立されたので大韓民国の歴史は、初めてその時から始まったのだ。 以前の歴史は、単に過去の事実としてのみ存在するだけだ。
 
民族が否定されると、反民族も否定される。 ただ、当時韓半島を実際に支配していた朝鮮総督府に協力した個人が存在するだけである。 そして朝鮮総督府に代わって米軍政が入って大韓民国政府が樹立されたとき、彼らはやはり新しい権力のために忠実して献身してきただけだった。
当時、韓半島の独立のために努めた独立運動家たちさえ、そのような歴史の巨大な流れの周りに存在していただけ周辺部に過ぎない。 明が滅亡して満州族の清を追い出し漢族の人を再び起こそうとする試みがなかったわけではない、しかしそれを歴史の主流に思わはないようにだ。 韓半島の独立のために努めることしましたが、大韓民国の歴史は大韓民国の建国から、開始されるため、大韓民国の建国に貢献した事実はないのである。
 
受け入れがたいかもしれないが、実在する歴史観の一つである。 あえて理念の物差しで判断する必要があるからと左派も右派も民族を否定する脱民族主義歴史観を持つなら、それはこのような歴史的な判断に同意しているものである。 いくつかの問題となった日本軍性奴隷問題において韓国人自身の省察が優先されるべきだという主張も、まさにそのような歴史観を前提にしている。 最終的には日本軍慰安婦を募集して管理する過程で、当時植民地の韓半島の人の多数が参加していたので、その責任を韓国人自身も、やはり受けて完成する。 韓国人と日本人という民族を排除すると、最終的に当時参加した当事者個人だけが残ることになる。 もうずいぶん前から、特に知識人社会で広く説得力のある受け入れられているのが現実である。
 
ちょうどここに、お互いの立場が分かれることができることが、民族が次に何を逃したのかというものであるだろう。 個人的に民族を代わりにする。 どうせ大韓帝国でも日本帝国主義朝鮮半島の多数の被支配層を抑圧して搾取したのは同じである。 むしろ大韓帝国の方が旧日本帝国よりも野蛮で暴力的だった。 それでも民族の名前で大韓帝国がより良かったと個人に強制する。 個人には、より良い政府を選ぶ権利がある。 個人の立場で時代を理解して判断する。 その時代が多数の個人にとって、どのような意味であり、どのような役割をしたのか。 一方、民族を排除した国というのは権力であり、暴力に過ぎない。 それさえも民族主義の下で、個人と同等の民族のメンバーであるはずだが、しかし、国の名前の前に個人とひたすら国の支配を受け入れるか否かで判断される。 批判的に国の支配を拒否した場合、非国民であり、国は彼らのためにいくつかの義務も持たない。 国の支配に積極的に同調した場合、彼らはむしろ愛国者として賞賛される。 日本植民地時代韓半島の唯一の国は、旧日本帝国であり、それらに忠実にすることは現実だった。
数十万の人々が虐殺あたりも関わら彼らは国民ではなかった。 不当に逮捕され、拷問されても命まで失ったにも関わらず国の支配を否定したり、あるいは挑戦しようとしたので、彼らは国民であることができなかった、したがって国は一切の責任を頼んではならなかった。 このへんが保守陣営の脱民族主義歴史観が非難される理由である。
個人が日常化された現代民主主義社会における個人を否定して無視する。 民族も、歴史の連続性も否定しながら、いざ国の正統性という陳腐な論理を歴史の前面に打ち出す。 事実上の自己否定である。そのような矛盾こそ、彼らの歴史観のいくつかの意図を象徴して示してある。何のための歴史観であるか。
個人のためには、日本帝国主義の植民地支配も肯定することができるものと国のためには数十万の命も当然に犠牲にすることができるということは、全く混合することがない正反対の価値である。 似たような歴史観を持つように見えても、両方の歴史観の一般的なの反応が異なる理由がここにある。 もちろん、前者もあまり韓国社会で、大いに歓迎受けることはない。 しかし、韓国の大衆が非難するこれらの前者も、他の理由でのように批判している。 しかし、後者の場合、韓国の一般大衆が非難する理由も仕方ないプロセスであり、犠牲だったと言う。
だから今の大韓民国があることができる。 今の大韓民国があったからこそ、自分たちも有することができる。 より原始的な一次元的な理由ももちろんあるだろうがだ。
脱民族というよりは、国家主義歴史観である。 脱近代の脱民族が軍事独裁権威主義と会って変化を起こす。 日本植民地時代と現代を貫通する。 あえて旧日本帝国であっても構わない。 韓民族の国でなくても全く問題はない。 国民を抑圧し、搾取して、その命まで奪っても、国は常に定義である。 忠実な臣民こそ立派な人間である。 現実に見事に適応する正義だ。 これが大韓民国の現実である。
 
民族主義が、実際にはアンチテーゼ(anti-thesis)の立場に立つしかないことについて 一度社会科学的に容認され​​ている内容について論じます。
 難しい言葉で「支配イデオロギー」あるいは「言説」とすることができるのが民族主義です。 国は、民族主義イデオロギーを繰り返し再生します。
 そのツールは、学校教育、職場内の教育、メディアなどで表示されることがあります。
私たちは、国語、(一)国史を学びながら、「韓民族」という事実を学び、メディアからも繰り返し「赤い悪魔」のメンバーになったり、「愛国者」になることを要求受け 職場でもストライキ労働組合結成ではなく、労使協調主義に進むことを要求され​​ます。 はい、もちろん日本植民地時代、他の民族の支配を受けた経験からです。
だから抵抗的民族主義の遺産を簡単に否定しにくい。これは完全に同意します。そのような場合国語や国史の領域は、資本主義近代国家で破ることができない領域だと思うので、 脱民族主義が国事を解体しようとすることもそれほど同意しません。 ただし、歴史的には、次のようなことを話したいと思います。
 
朝鮮後期→近代国家という一方向的歴史観 
 朝鮮と大韓民国は別の国です。
一つは、王朝国家であり、目に見える階級社会(良賤制、士農工商など)でした。
他の一つは、資本主義国家であり、非表示の階級社会(金持ち - 貧者層、資本家 - 農民 - 労働者階級)です。
朝鮮という国では、資本主義を夢見たり、自主的近代国家を夢見ていた人がいません。 開港期以降にはそのような想像が可能だったことでした。
以前の時期を一つにまとめる役割を果たしたのは、「民族文化」暢達に力を書いた朴正煕政権です。
「資本主義のめばえ」
 「花郎の精神」
 「新羅中心の三国統一観」
 どうでしょうか?、すべての朴正煕政権期に出てきたことでしょう。
 「資本主義のめばえ」
 「高句麗中心の三国統一観」
 すべて金日成主体思想作成するときに確立した歴史観です。
 知っておられるの常識を信じることはお勧めします。
 
日帝強占期の民族主義社会主義陣営
 一般民衆が'国民'と呼ばれ始めたのは、大韓帝国時代(1897~)です。しかし、自主的な国家の道は、韓日'併合'で塞がってしまってしまいました。
 数多くの研究者たちがこの時期社会主義者たちは民族主義的な性向を帯びていたとします。 同意します。しかし、韓国人たちがみんな同じ国家を夢見ていたわけではありませんでした。
米国式の国家を夢見る人もいたし、 当時としては成功的モデルだったソ連式の国家を夢見ていた人もいました。 もちろん、私たちが'親日派'と呼ぶ人の中で、日本の属国として'自治国'としての朝鮮を想定していた人もいました。
しかし、独立を夢見ていた人たちは様々な政治体制を夢見ました。
最初から李承晩(イ・スンマン)、金日成に代表される実体を設置しようとしたのはないということです。
もちろん、民族主義史観もこのような考えは頭の中に有していますが、多様な体制が想像されたという考えは努力してなくそうとすることが大多数の民族主義史学者たちの考えです。それを'民族主義'へと一本化するようになれば、現在の体制はなんら問題がないことです。
一方、'臨時政府の法統論'もまた問題になる恐れがあります。なぜ'臨時政府の法統論'が出てきて'金九先生が最高'という史観が出てきたのでしょうか。
金九を暗殺したのがほとんど確実な人が初代大統領の国で?
それは、大韓民国臨時政府法統にした体制を現在の体制で確立したいのです。
もちろん、ニューライトらは、大韓民国臨時政府が持っている最小限の'良心'さえ否定しようとします。真の脱民族主義者であればニューライトのこのような考えを打破しなければなりません。
だからといって臨時政府の法統論だけで全てを説明することになるとすれば全体民族解放運動の70%程度を占めていた国内社会主義勢力中国で活動したゲリラ部隊は無視することになるのです。
 脱民族主義が志向するところが曖昧なため、このような誤解をして下されのようだが…<<解放戦後史の再認識>>に出てくる一部の脱民族主義論者たちがこんなに話をします。
 
しかし、少なくともその他大勢におられる方々はその点にはまったく賛成せず、むしろ反対するという立場です。 今まで論争の構図を見てきたらわかってるじゃないですか。 ただ、議論を多様化しようというのです。
 
 
(翻訳:みそっち)
 


 
多様な意見というのが同時に存在し得ないという国がそこにあるわけですがすくなくともニホン統治時代には朝鮮半島にいなかった連中が名乗りを上げたわけですね、しかもその両者+金九は当時のニホン総督府からみれば犯罪者だったわけです。しかも彼らのいなかった期間は35年にもなりますがその直系として後を継いでいるのはキム三代だというところが微妙なわけですね。
 
 
 
 
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