海軍兵長、清渓川の橋から6m転落
海軍兵長、酔って清渓川の橋から6m転落
6m下には花壇、韓国式施工の橋の欄干が低い低い
警察はお誕生日の休暇を出てきたキムさんが酒に酔った状態で、橋の欄干にもたれていてから足を踏みはずして墜落したものと見ている。
キム氏は事故直後、病院に運ばれたが、意識を回復していない。 ソウル中部警察署関係者は"事故現場で遺書は発見されなかった"、"キムさんが酒に酔ってよろよろしていた"という目撃者の供述をもとに詳しい事件の経緯を調べてみる"と話した。
(翻訳:みそっち)
飛び降りかもしれないからと思って”現場で遺書”をさがしても見つからなかったんでしょうね
清渓川はニホンの統治していた時代に付けられた名前で、当時からよく保存されてきましたが。朝鮮戦争のどさくさの後に”川の上の住む人”が増えすぎたり生活排水の流路になるなどの荒廃が進みました。
▲この韓国型”清渓ハウス”は1970年代まで現存していました。
その後1970年代までに蓋がされその上に高架が出来たりして雑然とした韓国風の街並みが急造されたりしながら
▲蓋をするための支柱が建てられているところ、写真上方に見えるとんがり屋根はどっかの教会
▲高架橋の無かった当時の清渓川のようす、現在の川の左右の道路を含む部分が蓋のされた清渓川でその幅は50mもあるところもあったらしい。当時のことなので横断歩道や信号などはなく歩道橋や地下道も無かった(場所は五間大橋)
▲現在も残る平和市場のようす、この3階建ての建物は取り壊しが決定しているが立ち退き完了まで営業している。
1970年代に入ると高架橋が作られ景観が一変しました。
まだ周辺の建物も低く現在の雑然としたソウルの街並みが当時のそのまま残っている様子にはびっくりですね。
その後、前李明博大統領がソウルの市長をしていた頃に暗渠はほじくり出され小奇麗に護岸工事が行われ遊歩道も整備されました。(2003年ころ)
現在では清渓川が世葬大王通りの下からいきなり流れ出していますが、朝鮮時代~ニホン統治時代までは景福宮の西側から流れ出る小川が源流だったそうです(現在では地下鉄の湧水と漢江の水をポンプで送っています)たまに停電になると水が出なくなるので清渓川が干上がることがあります。
関連カキコ:なぜ? "停電"で渇水?
▲これが転落事故のあった橋
▲どうやらこれが花壇らしい
これは現在の清渓川の始まりになる清渓広場
ちょっと下流にいくとあの怖い橋があったりします