minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

今週末、コンテナバリケードは登場するか



警察バスの無かった光化門広場

警察の集めたバスは20台、72台が使用不能で廃車へ(100億ウォン~)
セヲル号1周忌2回目の追悼祭、市民約5千人参加、光化門まで平和に行進


イメージ 2[ソウルミーナ]警察の車のバリケードも、市民と警察の衝突もなかった。 昨年1年間、警察が使用したカプサイシン催涙液の2.4倍(465.75ℓ)を、一夜に撃ってしまったこの18日、セヲル号1周忌追悼集会とは全く異なった。

この25日午後、ソウル光化門(クァンファムン)広場などでセヲル号1周忌2次追悼行進および追悼文化祭が開かれた。 先立って清凉里駅、龍山(ヨンサン)駅、弘益(ホンイク)大学入り口、誠信(ソンシン)女子大入り口など4ヵ所からそれぞれ出発した市民3000人余り(警察推算1800人あまり)は犠牲者たちを追悼する黄色い傘と風船、菊の花を持って光化門(クァンファムン)広場の焼香所まで行進した。 ベビーカーを引きずってきた主婦、高校生、聖職者などは1つの車線を利用して平和に行進した。


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▲4・16家族協議会と'4月16日の約束』国民連帯'主催で25日午後、ソウル世宗路(チョンノグ・セジョンノ)の光化門(クァンファムン)広場で開かれた'セヲル号の特別法、大統領令廃棄を促す汎国民追悼文化祭'参加者たちが行事を終え、ろうそくと携帯電話に黄色いリボン模様を作っている。

光化門(クァンファムン)広場追悼文化祭には5000人余り(警察推算2300人)が参加した。 彼らは、この18日1回目の追悼集会当時、車のバリケードに都心を源泉封鎖し、交通大乱とデモ隊との衝突をもたらした警察の過剰対応を批判した。 京畿道富川から来たというキム・ソンエ(47)氏は"この集会で'私たちが加害者なのか'と絶叫し、連行されている遺族の姿を見て今日行進に参加することになった"とした。 市民たちは、政府のセヲル号の特別法施行令案の廃棄などを要求した。

憂慮した衝突は起こらなかった。 セヲル号国民対策委員会は26日"この18日の集会とは違って、警察の車のバリケードがなく、文化祭をできるスペースも確保され、警察に抗議することもなかった。 集会が終わった後に行進をした過ぎた1次集会と性格も違った"とした。
警察は同日、67個中隊5300人余りと車両20台あまりを光化門(クァンファムン)広場周辺に配置したが、車のバリケードを設置しなかった。 これに先立ち、警察は車のバリケード過剰使用に対する批判世論が広がり、"不法・暴力デモが発生する場合にのみ制限的に車のバリケードを設置する"と明らかにしている。 警察庁警備課の関係者は"市民たちが光化門の北端や大統領府に進出しようとしていないので車のバリケードを設置しなかった"とした。

一方、来月1~2日、労働者や市民たちが参加するセヲル号の徹夜集会参加者たちが大統領府への行進を予告した状況であり、警察の車のバリケードの設置と衝突が懸念される。


(翻訳:みそっち)



大した衝突もなかった先週末でしたが、これは先週の警察のバスの損害の影響が大きかったようです。被害に遭ったりレッカー移動された機動隊バスは71台ということですから、ソウル近郊にある警察のバスのほぼ全量だったのでした、そのほとんどが廃車同然となれば直せることがあっても今週末に予定されている大規模行進には間に合いそうもありません
※今回動員された機動隊は現場まで徒歩で移動しました、(鐘路警察署に集合)

じつは2008年の狂牛病ろうそくデモのときにも同じ問題があって、それを機会にソウル警察のバスは一新されたのですが、あれから7年となればそろそろ替え時だったと見る意見もあります、とくに被害の多かった2011年式の警察バスでは32台が被害に遭っており、取替が迅速に進められたとしても導入は3~4年先になるだろうということです。 ※警察機動隊のバスは特注仕様のため年間50台程度しか生産されない

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▲今週末に再登場が見込まれているのがコンテナバリケード

じつは2008年のろうそくデモの時にはコンテナバリケードが登場しています。これは2005年に登場し2008年のろうそくデモでは”明博山城”と呼ばれました
※これに対抗して市民側は何をしたでしょうか 今夜の問題です

明博山城の誕生
警察は明け方から世宗路(チョンノグ・セジョンノ)の忠武公の銅像の前にコンテナボックスを2段で積んでバリケードを設置しており、その他にもアングクロなど、大統領府に進入できる道には計60余りのコンテナボックスを使用してバリケードを設置した。 このバリケードはコンテナボックスを2段重ねにして、床に鉄心に固定させた後、溶接したもので2005年11月、釜山(プサン)APEC首脳会議の当時の反世界化デモ隊の首脳会議場進出を防ぐため、当時、魚清秀(オ・チョンス)釜山地方警察庁長によって初めて使用された方式である。 このアイデアは2008年6月10日に予想される大規模集会の衝突防止を目的とソウル警察庁によって提案され、設置が施行された。 李吉範(イ・ギルボム)ソウル警察庁、京釜(キョンブ)局長はバリケードで書いてきた機動隊バスが40台以上の破損されたためだと明らかにした。

バリケードは翌日の6月11日午前に全て撤去されたが、警察は、次のろうそく集会でも使用する案を検討中だと明らかにした。13日、明博(ミョンバク)山城の席には機動隊バスの壁が登場したが、これは'明博列車'と呼ばれるようになった。

この40ftコンテナは自重が4tほどであり設置や移設も容易ながら対人デモ対策には効果的であるとの認識から今後も有効に活用されていくものとみられます。

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▲コンテナを鉄板で溶接しているところ




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▲当時の戦闘警察の装備はいったい何?

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▲2008年のろうそくデモでは光化門交差点封鎖のバスが幾何学的に配置されている
左上方向が当時まだ無かった光化門広場の方角、李舜臣将軍像が中央分離帯にぽつんと建っている。


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▲2005年の釜山のときにはコンテナが軽すぎて簡単に突破されちゃった





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警察が2008年から予算をかけ導入したバリケード車はその数が足りず、警察バスをバリケードに使用したためバス車両の被害が急増したのです。
※市民が凶暴化するという想定が無かったためコンテナの手配もしていなかったとか



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コンテナは京仁運河のトラックヤードにいっぱいあるですよ