minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

公権力は"酔っ払い"のためにある韓国




葛藤する社会構造、韓国型社会はこうして作られる

無能な韓国警察は常習的政権交代のなかでどのような場合でも悪役となってきた
犯罪者をつかまえると逆に訴えられてしまうことも度々、制服を着た匿名集団


イメージ 1[ソウルミーナ]公権力とは、国民に対して強制できる国の権力を意味するが、警察の権限が権力を象徴的に表現している。 警察の権力は一般市民たちと対峙する状況で行使されることが多いために市民たちに公権力は警察力を意味すると見ることもできる。

社会葛藤がもたらされるときに警察は、ゲームのキーマンとしての役割をしなければならない、このような役割はどちらの方でも良い評価を得られない悪役を引き受けざるを得ない状況に置かれるようになる。
政府は、遵法デモ隊の要求よりも、不法デモ隊の要求を受け入れる場合が頻繁に現れて、不法デモの方ががむしろ効果性が高かったと言う研究結果があり、このようなものが不法デモを助長したりもした。
一方では、国家公権力が不法行為をコントロールすることができないほどきちんと作動せず、無気力だと主張し、また他方では'有錢無罪・無錢有罪'と一緒に、チカラがある人たちには寛大で、チカラがない人たちにとっては強力に執行される公権力と言ったりもする。 どのような側面で見ても保健公権力に対する危機ということだけは明らかだ。
ここでは1988年の盧泰愚(ノ・テウ)政権から2008年、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権まで公権力の無力化現象に対する変化推移を概観してこれによる原因と対応策を提示する。


1.公権力の無力化現象の概念
'公権力無力化'というのは'国家権力の権威を弱めることになったり、実行することを困難に作ったり、これを軽んずる現象'と定義できるだろう。 1960年代の学生運動勢力の影響は世界的な傾向でもあったが、韓国では4.19を契機に学生デモが投石などの暴力化される姿を現し、、1970年代は学生運動勢力が社会運動勢力と連携を試みたが、1980年代に入るとようやく火炎瓶が登場し、器物損壊、公共秩序の破壊のような過激な行動の様相を見せてくれた。 1980年代以降の学生デモの様相の特徴は暴力化、連帯化、理念化しており、主要な暴力化の様相では警察装備及び建物への放火、警察官の人質や警察装備の奪取、火炎瓶や松明(たいまつ)製造の投げ捨て、角材・鉄パイプ・爆弾など危険な所持品の有無などだ。 1990年代にも火炎瓶や鉄パイプを持って公権力に対する真っ向からの前の姿を見せてくれた。 このような状況に対応するために警察の立場では催涙弾を使用し、鎮圧し、このような過程について、一部勢力は、公権力の乱用と警察権のイベントが市民のために使用されるものではなく、権力のために利用されると主張し、公権力の無力化を試みた。

大統領直選制と地方自治制度の施行による政治的市民民主主義の実験をし、急激な民主化が行われ、英米型の事故が多く導入された。 この過程で人権に対する関心が高まったうえ、国家の人権侵害行為について告発と真が相次いでになった。 さまざまな要因が複合的に作用して適法な公権力といえども、順応するより、最大限拒否して反抗しようとする意識が生まれたとみられる。

2.公権力の無力化の実態
公権力無力化に関連のある類型を基礎秩序違反、公務執行妨害、不法集会デモ、酔っ払い管理部門、世論との関係などに分けて考察してみた。
基礎秩序違反は遵法精神性の関連性があるだろうという仮定を念頭に置いて、基礎秩序違反事犯の増減を調べてみたが、この20年間持続的に減少する傾向を見せてくれたし、遵法意識は向上したと分析した。
公務執行妨害罪は、公権力に対する市民の尊重を示す尺度になることができる。 このような公務執行妨害罪の検挙件数は、前回の20年間持続的に増加しており、公権力に対する尊重感が低くなっていることと分析した。 公権力に挑戦して被害をこうむることになると、また人権という保護膜を通じて公権力を報復することができるという考えが公権力を無視する傾向に現れるようになったのもみられる。
不法・暴力デモは社会を混乱に陥れ、公共の安寧秩序を乱すだけでなく、国論分裂と国家に対する信頼を低下させる恐れがある。 この20年間、集示法違反件数は、各政府時期別に増減を見せてくれた。 盧泰愚(ノ・テウ)政府時代に年間平均1,129件、金泳三(キム・ヨンサム)政府時代に年間平均1,062件、金大中(キム・デジュン)政府時代に年間平均820件、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府時代に年間平均626件であることが分かった。 集示法違反件数は、国民の政府と参加政府で多く減少する動きを見せており、これは、集会デモに対して柔軟に対処しようとする政策基調の影響が反映されたかもしれないが全般的に合法的な集会デモに転換されたと分析することができる。
 
夜間勤務をする警察らはその勤務時間を'酔っ払いとの戦争'と表現する。 酔っ払いの乱暴に近い騒乱について一線の警察官らは辛抱してうまくなだめすかして帰さなければならない状況となった。 さらに、酔っ払いに叩かれる警察になることもある。
泥酔者の騒ぎを耐えたり、暴行でも遭ったら、警察の無気力を責めて、酔っ払いに強力に対応すれば、無辜の市民に過剰対応すると声を高めている。 警察の立場では酔っ払いの扱いについて適切に対処しなければ公権力の軽視風潮が蔓延することになるだろう。
マスコミの報道態度は、一般市民らが世論を形成するのにとても重要だ。 不法暴力行為について警察と市民団体が撮影した写真はお互いに違う姿だ。 警察の写真は不法デモ隊の攻撃性と警察の被害現場を描いて、市民団体は警察の強力な法執行とデモ隊の負傷の状況を描いている。

3.公権力の無力化に対する対応策
イメージ 2公権力が無力化されており、国家の綱紀が確立されていないという懸念の声に対して'峻厳な法執行'ないし'無寛容政策'が必要だという認識が広がっている。
国家公権力の無力化現象を見てみると、酔っ払いによる地区隊での乱暴行為、デモ現場で警察の適法した命令に応じて警察を攻撃する行為、正当な公務執行について抵抗する行為などがある。  
※地区隊っていうのは交番、派出所のこと

厳正に公務執行をして、公権力に挑戦する場合には強力な法執行をする先進国の警察と一緒に韓国社会も強力な法執行を原則としなければならないという意見がある。
警察にこっそりの接触しでかしても公権力に挑戦と認識して強力に対応する米国の場合と同様に厳正に対処する必要もあるが、社会的構成員らの合意を見出そうとした努力が先行すべきだ。
公務執行妨害酔っ払いの取り締まりと関連性があり、不法集会デモとも関連性がある。 器物破損、警察公務員に対する暴行など、公務執行妨害事犯について民事訴訟を提起することも一つの対処策になるだろう。


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▲  遺族が車の壁の前に座り込んだ安国洞交差点では、市民が警察バスの車輪にロープをかけて引っ張っている。また、道路や警察バスに政府破産などの文句を書いた。

不法デモについても明確な民・刑事上責任を追及することも求められる。 これは不法なデモによって建物や警察車両又は警察装備などについた毀損を未然に防止できる効果を上げることができるだろう。 また警察は集会デモと関連して攻勢的な戦術より守勢的な戦術を使用した場合に市民たちからより多くの支持を受けた。
酔っ払いについては、先進国では強力な法執行をする場合が多い。 韓国も、罰金と拘禁刑を厳正に執行する必要がある。
米国と日本も1960年代と1970年代に、不法暴力デモに多くの困難を味わったが、これを克服して跳躍できた原動力は、厳正な公権力と世論だった。 西欧社会でも、法執行に対する権威を認められる過程でマスコミ機関の公正な事件報道と公権力に対する支持が後押しがあった。 メディアの多様な観点からの批判は、成熟した社会で推奨される機能だが、国家安保と社会秩序維持にも責任がある。

公権力の無力化現象は、歴史性と社会性を持っている。 日帝時代から続いてきている警察の否定的なイメージと警察の政治的中立性の毀損した過去の経験、そして、合法的な集会デモよりも不法な集会デモをする場合の要求事項に対する受け入れがもっと多くてかえって不法デモをはじめとする不法行為を助長した側面もなくはない。
公権力の無力化と関連して強力な法執行が話題として登場し、壊れた窓理論と不寛容原則が、法秩序の確立に寄与するものと見る観点が多い。
※壊れた窓理論:それを直すのか、開けたままにしておくのかが先進国との違い

不寛容原則の理論を韓国的な状況に導入するには強力な法執行に先立って信頼関係の形成が優先順位として考慮されなければならないだろう。 '強力な法執行'より'適切な法執行'がさらに大きな効果を発揮できるためだ。
公権力の無力化現象は民主社会の成熟過程で現れる過渡期的現象だと理解するのが妥当であろう。 経済的な水準の向上に伴って、国民が民度もますます高いレベルに発展しており、今日の厳正な法執行の権威が与えられている先進国もわずか数十年前に、公権力の無力化の時期を賢く克服した歴史的事実があるためだ。


(翻訳:みそっち)



韓国では”事件はいつもテレビの中で起こっている”としています、メールス感染の疑いで自宅での隔離生活をするように言われた隔離対象の主婦もテレビをつけたら、
”遠くの病院でも発生したから自分は関係ないと思った”と話しているそうですから、どれだけ話しても無駄だということがわかります。韓国人が嘘をつくと言われてみても自分だけは別だから、とか台湾やマカオで相次いで韓国人女性が捕まっているとしてもそれはごく一部のことだし、外国人観光客が激減しているらしいけどそれは”ソウル”とかの一部の都市だけのハナシでしょ、というような反応なわけです

韓国のとある掲示板に”水泳の朴 泰桓(パク・テファン)メダル返上”というのがあってそこに、”選手生命の終わり、メダルは全部返上するべきだ”っというようなカキコをしたとします。すると当然のように反対票が殺到するかと思うじゃないですか。ところが意外なことに賛成票と同じくらいしか反対票がなかったことがありました。
同じようにサムソンS-6エッジ販売不振という記事でも”パクリのサムソンの出荷量水増しで実際の人気は下降線”という趣旨でカキコをしてみると反対票がくるのかなと待っていても”S-6は売れてないでしょ、使っている人なんか見たことない”っというようなコメントがくるのです。こうした韓国人がいつもホルホルしているばっかりじゃないというのを”冷静な観察ができる奴がいる”とみるべきなのか、”書いてある結末まで読まずにイイネ”を押しているのかというあたりに韓国人の底の浅い読解力というものがあるように思えます

あっちの掲示板に韓国を風刺しているような内容になっているカキコをして、そこにイイネがついていたりすると、”やっぱりバカだなぁ”っと思いながら読み返すのが最近の楽しみになっています。  あれ?



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いえいえ あの そんなことは 全然っ