minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

あたらしい李舜臣像 誇らしいニダ



新しい服を着た'国会、李舜臣(イ・スンシン)像'



イメージ 1

▲新しい服を着た'国会、李舜臣(イ・スンシン)像' 2日、ソウル汝矣島(ヨイド)の国会議事堂チョンヒョングヮンで開かれた国会の忠武(チュンム)空想の除幕式で、鄭義和(チョン・ウィファ)国会議長と鄭甲潤(チョン・ガプユン)国会副議長をはじめ来賓たちが、銅像を除幕した後、拍手している。

イメージ 2[朝のミーナ]国会議事堂玄関の李舜臣(イ・スンシン)将軍の場はキムギョンスン作家の作品で、当初1973年中央庁に設置され、中央庁が国立中央博物館に変わり、1990年国会に引っ越してきたもので、刀と鎧がそれぞれ日本式や中国式という指摘を受けてきた。 国会事務処はこの2013年5月から歴史・彫刻・ダブルスなど各分野の専門家たちで諮問委員会を設立し、考証を経て、今回の新石像を制作した。


(翻訳:みそっち)



新旧李舜臣像比較してみると

新     旧
イメージ 3


まず目に付くのが腹の結び目でしょうか、古今東西の武人の着ているものには似たものが見当たらないという”考証を経た正確な描写”だそうですが、それさえも何を考証したのかわけのわからないモノになっています。
着ているものは朝鮮伝統の綿入れ半纏にも似たものとなっています。


イメージ 7

考証不明の兜をかぶった旧来像と綿密な考証を経て決定された朝鮮中期の最新像


目のところが気になりますね、兜のひさし部分が光の加減でメガネさんに見えますよね、これも同時期の兜がまったく残っていないので何をモチーフにしたのかよくわかりません。中華式なほうがまともに見えるような気がするのは気のせいかな?

彼の死後60年が過ぎた頃に書かれた彼の直筆の日記というのがあるんですよ”乱中日記”っていうんですけどね、そのころに創作された彼の活躍を史実だったと信じる韓国人っていうのはかわいそうですよね。 

まぁ流れ弾に当たって死んだひとというのが後世の記述にあるようなひとですからね



光化門広場にあるほうも、どうにかしないとね

イメージ 5


◆エンジン、真鍮の器溶かしてブロンズ像鋳造
銅像鋳造は聖水洞にあった大光工業社で行われた。大光修理店で鋳造技術者として働いたキムジュナム(65歳)氏とリュヨンギュ(63歳)氏は、"劣悪な経済状況で、銅材の供給が難しく、最初は国防部から持ってきた薬莢を使用しようとした"と話した。
しかし、鋳物がまともに注入されず、薬きょうは全て捨て、解体された船舶から出たエンジン真鍮の器、真鍮のさじや一般鉄スクラップなどが投入された。

これさえも量が足りず、一度に鋳物作業をしないで材料が調達され次第、作業をしたため、銅像の材質と厚さが不順で色も均一にならない、青銅固有の色を出せず、濃い青緑色のペイントと銅粉を混ぜて表面を塗ったという。
六つに分かれて鋳造された銅像の体を結合する過程では銅像材料と同じ成分の溶接棒を作る技術がなく、釜山(プサン)米軍部隊から拾ってきた銅の溶接棒が使用された。
このために銅像の外部は全体を溶接したが、内部は一部しか出来なかったため内部的に多くの亀裂が発生したものとみられる、最近は'内視鏡'検査まで受けなければならなかった。
このように厳しい状況で2年間の産故の末についに当時は東洋最大規模の銅像が誕生し、68年4月27日、光化門交差点での除幕式が行われた。


すごいね

そういえば朝鮮時代の古い写真なんですが これとか(チガクネ)

イメージ 6





イメージ 4