minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

大韓民国は「決定障害共和国」?

 
一極集中型社会の先にあるもの 誰もがソウルを目指す

'決定障害'に陥った人たち…本も映画も1位に集中して
"映画の選定基準、観客数・評点"  情報の洪水の中の安全な選択
本・アルバム1位が最も大きな広報、TV露出すれば、売上垂直上昇
 
 
イメージ 1[見てみてミーナ]サラリーマンキムスビンさん(31)は今週末に見ることが映画で'黒い司祭たち''007スペクター''さらにシェフ'など最新公開作品たちをめぐって苦心し、結局'黒い司祭たち'を選択した。 彼の選択基準は普段好きな俳優や監督、ジャンルではなかった。
 
ポータルサイトを検索してみたところ、'黒い司祭たち'の前売り率が1位だった。 観覧客の評点が8.59と高いうえ、封切り1週間ぶりに累積観覧客200万人を突破したというニュースを見て関心が集まった。 彼は"順位や評点が高く、観覧後期がよければ、検証された作品だという感じがする"、"他の人は皆見たが、私だけ見なかった場合、疎外感が感じられたりもする"と話した。
 
流されやすい嗜好、主体性が全くない
自分の好みより人がたくさん見て楽しむ'大勢'に沿って行く文化の消費の現象が深刻化している。 韓国経済新聞と市場調査会社マクロミルエムブレーンが20~50代の成人男女1000人を対象に'文化コンテンツ消費実態'についてアンケート調査した結果、回答者のうち44.5%が'の累積観覧客数、後期及び評価、メディア露出の作品など外部要因を基準に映画を選ぶ'と答えた。 '自分の好みによって映画を選択する'は回答比率(35.4%)より高かった。
 
図書と音源など他の文化商品選択基準も似ていた。 回答者の40.65%が'ベストセラー順位及びメディア露出の作品を中心に本を買う'と答えた。 71.4%は'音源を買う時の音源サイトの人気順位を参考にする'とした。 '好みによって選ぶ'という回答者は、図書38.05%、音源28.6%だった。
 
 
'決定障害'…最も簡単な基準は'順位'
文化商品を購買する時、順位を考慮する理由は何か。 回答者たちは'検証を受けた作品だという感じがする'(44%)、'多くの人とコンテンツについて話し合うことができる'(26.9%)、'最新トレンドに付いて行くことができる'(17.5%)、'コンテンツについて調べることが時間が不足する'(11.6%)などを挙げた。
専門家らは'順位追従型の消費'が深刻化している根本的な要因として情報・コンテンツ過剰時代に現れる'決定障害'性向を挙げる。 日増しに不確実になる市場の状況と情報過負荷の中で消費者たちは断固として決定できず、自分が下した決定についても自信がなく、不安がることだ。主婦キム・ジンエ氏(43)は"公演をよく見る方ですが、私が見た公演が前売り順位から押し出されていると、'私の好みがおかしい'という気が先にする"と話した。
キム・ナンドソウル大学消費者学科教授は"新しい情報があちこちにあふれ、現代人は簡単に選択をしない'ハムレット症候群'を患うようになった"と説明した。
 
絶えない'順位操作'の誘惑
文化評論家のシム・ヨンソプ氏は"'決定障害'を患っている現代人が選択した最も簡単な決定指標が人の選択を見られるランク"と"各種のランクを生産するポータルや音源サイトのようなプラットフォームに文化権力が傾くようになっている"と説明した。
番付の影響力が大きくなったことによって順位を操作しようとする違法的な試みが相次いでいる。 音源市場には音源サイトの順位を上げてくれる'ブローカー'まで登場した。 最近、新曲を発表した歌手のイ・スンファン氏はあるインタビューで"先日、側近を通じてブローカーの連絡を受けたことがある"、"順位を上げて与えるとし、億単位の金額を要求された"と打ち明けた。
アルバムの人気順位を操作するため、中国で多量のスマートフォンを購入し、音源サイトで歌を買い溜めをした'操作工場'も、最近摘発された。
出版界でも'買いだめ議論'が絶えない。 この5月、ある出版社が出版された《私の一日はいつも君に偶然会います》の場合、一つの主要書店から二ヵ月間販売された図書の95%を同一人が購買したことが現われ、波紋を起こした。

メロン、ジニ、エムネットなど音源サイトが提供する'リアルタイム順位'も最近、音源市場で買いだめの主な標的となり、廃止論争が起きている。 キムミンヨン(キョンヒ)大学経営大学教授は"買いだめを通じて'一時的なリアルタイム1位'を記録すればこれを信頼した消費者らの再購入が続いて、引き続き順位圏内に滞在できるようになって最も簡単な'広報方法'になる"と説明した。
 
コンテンツ製作・流通業界の熾烈な'順位マーケティング'競争が市場の多様性と躍動性を阻害しているという懸念も出ている。 大衆文化評論家チョン・ドクヒョン氏は"大衆は各種プラットフォームが提供する人気順位の中に閉じ込められて文化を消費している"、"多品種少量生産が必要な文化コンテンツ市場に少品種大量生産が繰り返されている"と指摘した。
 
 
(翻訳:みそっち)
 

 
韓国型単一嗜好癖というもの
”単品豪華型発展”というのはお金のない社会ではその過渡期に現れやすい経済政策なんですよね。
韓国の”京釜高速道路”というのがありますが、あれは今見ても涙をさそうようなしろもので、ソウルのすぐそばでは立体交差や広い料金所に大型のパーキングがあるわけですが、ソウル近郊から一歩出ると田んぼの中にちょっと土を盛ってガードレールを左右に並べただけの行き先表示も無いようなまっすぐの道路があるわけです。
工費節減のためでしょうか、高速道路の右と左をつなぐ連絡通路がほとんど無い区間が延々と存在します(滑走路目的というウワサも)。
いくつかの川を越えるには橋を掛けましたが、それらも10年後の使用などさえも考慮していないありさまでしたから現在では補修工事さえも行われず廃墟同然なところさえ現役ですね。
まぁほら、キタ朝鮮のアパートが張りぼてだというネタを韓国人が披露してくれますが、中身が空っぽなのは同じ国民性ってことで、韓国の構造物には用途のわからないものがたくさんあります。でもほら外観が奇抜じゃないですか。体裁のイイところだけを紹介するのならお金は最小限で済ませることができますからね。
 
そういう体裁重視型社会韓国型単一嗜好主義というあたりが現在の”韓国型思考”だと言えると思いますよ。
 
クルマ選びだって誰かと同じでなきゃ
韓国にはいくつかの自動車メーカーがあるのはご存知ですよね、そこから作り出させるものを先進国並みに普及させる(国民に買わせる)方法として韓国の歴代政府が取り組んできたのが ”韓国型割賦販売” とでも言うような方式でした。
ニホンでも今ではふつうに見ることの多くなった ”数年後買取保証、乗った分だけ割賦販売” とでもいうような、”頭金不要・3年後にクルマを返せばチャラ” という方式が韓国の自動車販売を支えてきたのです。 
 
ご存知ないかもしれませんが、韓国でクルマを買うということはそれこそニホンで暮らしていたら想像もつかないような税金がたくさんかけられるのです。
ニホンではクルマの税金が高い、なんていう人がいますが実際には韓国でクルマを”買う”ときのほうがよっぽど高いんです 本体価格に付加価値税(ニホンでは消費税の感じ)が7%~14%加算されます、これには教育税(30%)がさらに加わるので実質的には1.3倍ってことですね、取得税っていうのがありますこれも2%~15%と幅がありますが、そのほかに登録税2%~5%や、消費税と訳される所有税があり、そのほかに毎年払う自動車税もあります。ガソリンだって安くありません、東京ではきのうあたりで1ℓ=120円くらいかな?ソウルでは1ℓ=1400ウォン前後ですね。
それで韓国ではリースやレンタルという方法でクルマが販売されます。これだと買うときにかかる費用負担がないので韓国でクルマを買うときはほとんどがこの方法です。
すると、買取価格が気になるじゃありませんか、3年後に人気の残るクルマがイイですよね、それだから隣と違うクルマは売れないんじゃないかってことになって、同じのだけがどんどん売れるのです。
これならメーカーも多品目少量生産なんてことやらないで済むので好都合ですよ、だから韓国では赤や青のクルマは売れないんです。白やシルバーのような無難な色だけが延々と売れ続けるんです。
 
クルマ事情がこうですから韓国には改造車みたいな文化がまったくありません。車高を下げちゃう人なんていうのはいません。痛車にしちゃうひともいません。20代の若者が中古車に乗るという文化もありません。だから中古のクルマもじゃんじゃん中東に輸出しちゃうのです。
純正のスポイラー以外の改造だと買取価格が下がるので誰も改造しません。アルミホイールも似たような状況で、純正のアルミ以外はほとんど見かけません、変なのをつけてると下取り価格が下がっちゃいますからね。
まわりがこうだから、ほかの人と違うことをすることを極端に嫌がります。クルマ選びは売れているクルマを選ぶことが韓国では最大に重要視されることなのです。
 
 
韓国のクルマ選び関連過去カキコ
 
 
 
キムチやラーメンだって韓国だからそうなっている
先人たちがすでに ”扱いやすい韓国人” ということで、キムチやラーメンというものを流行らせて十分に利用してきましたよ。
キムチっていうものが現在のように唐辛子をまぶした白菜漬けとして認識されたのはおよそ95年程度前のことなんですね。それまでは、現在でこそ見慣れた結球白菜という物の品種改良が進んでいませんでしたから、この世のどこにも現在のような白菜は存在していなかったのです。 その品種改良に成功した当時の総督府がこれを大量に食べさせて消費させる方法としてキムチ漬けを勧めたというのが真実です。
ラーメンにいたっては、起源がはっきりしていますから今更の説明もいらないと思いますが、現在になっても韓国にはラーメン店というものが根付いたことはありません、どんな高級店に行ってもラーメンといえばインスタントの揚げ麺だけがラーメンであり、”手打ち、機械打ち” の生ラーメンというものの韓国進出は長続きしませんでした。これは単に小麦粉をこねる水が良くないというだけの理由になります。
 
生麺をこねて、ひと晩寝かすと翌朝にはしてしまう姿をみれば生麺というものが韓国では受け入れられないものだということを知ることができますよ。
同様に、餃子の皮やシューマイの皮というものも韓国では見ることができません、自宅でギョウザをつくるなんてことをしないのがソウルっ子ですからそういうものだと思いがちですが、冷凍餃子をチンして食べることに関しては世界で有数のぎょうざ消費国となっています。これも単純なハナシで、餃子の皮・しゅーまいの皮といった小麦粉加工生製品が翌朝になると…(以下略) 
 
とにかくそういう事情から韓国ではインスタント麺のフライ麺だけが韓国の環境に適しているということで、それだけに淘汰されながら現在ではインスタント麺の消費が個人別消費量で世界最大となっています。
このインスタント麺ですが、現在までに数多くの銘柄が販売されてきたわけですが、人気銘柄というのはいつも決まっていて、韓国のインスタントラーメンの50年以上の歴史の中で売上№1になった製品は3種類しか無いそうです、まぁ疹ラーメンばかりが売れるという”単一嗜好型量産韓国人”というのが国家経営上では簡単便利だということですから文化の無い人々を扱うのはやはり韓国人が秀でていると言えるでしょう。
 
韓国型生めん事情 関連過去カキコ
 
 
 
 
明治のひとも驚いた”朝鮮文化”
たとえばニホンでは明治初期にあたる朝鮮時代末期に、ニホン人が朝鮮半島に行ってみて、まずびっくりしたのが、文化が全くなかったことなのだそうですよ。
文化に分類しにくいことかもしれませんが、街中に文字が無かったことが驚きだったそうです。 ニホンでは八っつあん熊さんの長屋でも2軒隣には長唄の師匠がいたり、物知りのご隠居(放浪老人ではない)がいたりしながら、そのとなりには ”繕いものいたし”みたいな貼り紙がしてあるわけです。
ところがそういうものがない、なにか食いモノを出すところはないかと探してもそれらしいものがない、お泊りできる旅籠なんか無い、わらじを売ってる人がいない、野良犬さえも食べちゃって一匹もいないという有様ですよね。
 
だからといって彼らは文字を使わないわけでもないのでした。当時の朝鮮人の9割以上が文盲でしたから話せば分かるのかというと通訳を通じて ”日当を払うから建設工事に出てきてくれ” というのが通じない、当時のソウルが京城だったころに住んでいた多くの人々は農業を捨てて”都会”に出てきたホームレスだったわけですが、働いて対価を得るということが理解できなかったそうです。
 
そりゃ朝鮮の500年の歴史っていうのは奈良時代以前~源平時代頃までのニホンのように兵役は弁当持参の自費負担だったし税金は作物でも布だったし、コメは流通するほど作れなくて米本位制でもなかったし通貨というものは輸入して少量が流通...させようとして失敗していたし  
 
あ、だぶんアメリカ人が両替を頼んだら困っちゃった図↓
 
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こんな国民を一等国にしようとして志半ばで断念した総督府は大変だったとおもいますよ。韓国ではニホンがいなくなったらその途端にコメが穫れなくなったのです。
近代型社会を動かしていたニホン人が引き揚げして、いなくなったら翌年にはもうコメが不作だというのですよ。そりゃ田植えしなきゃコメは穫れませんが、”ニホン式農法” が、たった一年で忘れられちゃったんですね。 朝鮮のコメの生産量は戦時中が一番多かったわけですが、その水準に戻ったのは1970年代半ばといいますから30年以上もかかったのです
 
まぁとにかく、出来の悪い国民をお金のない政府がコントロールするには”単一思考型国民”っていうのが安上がりでイイんですよ。そういうことをずっとやってきたからあんな国になっちゃったんですね。
 
 
振り弁もビビンバも格差社会を無くすため?
韓国食といえば振り弁とか混ぜるというイメージがあります。これは弁当持参の学校教育の現場で、お金のあるウチの子とそうでない子の格差が国民の不満になって政府が連鎖転覆しちゃうかもしれないとあせった朴正煕のころに作り出された解決策だったのです。
教室に持ち寄った弁当を大きな容器にあけて、それを混ぜてみんなで食べる。あまりにも突拍子もない解決方法に見えますが、これが韓国では大ヒットしたのです。
班食(バンチョク)と訳せばわかりやすいかもしれませんが、教室内の少人数の班ごとに真鍮製の大きなボウルに弁当をいれてそれを混ぜるという食事方法ですよ。
※ハングル専用化時代の言葉、バンチョクに当てはまる漢字はよくわからない
 
いまでこそ、ビビンバなんかが韓国食を代表するメニューのように言われていますがニホン統治時代にはそんな食べ方は無かったのです、李承晩の時代にもそんなものはありませんでした、未曾有(みぞうゆう)の食糧難の時代だった1950年代でもほかの人の弁当と強制的に混ぜるという乱暴な行為は行われなかったのです。
 
 
 
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