シンちゃんのしらなかった金属食器文化
ついに銀色の食器を使う貴族になった
韓国人の錯覚ってなんだ? 食器には格式がある 金色・銀色
真鍮製品最大の消費地となった韓国、ニホンからの輸出急増
真鍮製品最大の消費地となった韓国、ニホンからの輸出急増
[ソウルミーナ]韓国の食器といえばステンレス製のアレを思い浮かべますね、蓋がついている方のアレです。 それ以前は真鍮製だったと思い込んでいたりしませんか?
まずステンレス製の食器が普及し始めた時期を見てみましょう、ちょうど解説してあったので引用します。
ステンレス食器
よく'ドギーボウル'と呼ぶステンレスの朝鮮茶碗は飲食店でよく見られる。 60年代半ばに登場したこの容器はコメの生産が不足した当時にコメ消費を減らそうという政府政策で生まれたという。これ1杯がちょうど1食分なのだ その大きさは時代を経るごとに小さくなってゆく。大きな器に飯をたっぷり入れて食べる習慣が小さな利益の普及のために強制的に変わったのだ。 これに多様な食べ物ができてコメの消費が減ったいまでも、飲食店でただでさえ、小さな利益にご飯を少なめに入れて出す。いきなり韓国人の日常に現れたステンレスの茶碗は伝統性もなく、形も様々であるため、見栄えが無いのである。 しかし、この量がご飯の標準化し、一日三食のうち、一食ぐらいはこの茶碗飯を目につくから平気で見るべきではない。 (出典:ココ)
ふぅ~~ん、1960年代と出ましたか
ではそれ以前の真鍮製の茶碗はどうなったのでしょう、まさか供出で溶かされちゃったとでも言うのでしょうか?
ニホンでは戦争末期に梵鐘や鍋釜などの金属類が供出されたことはご存じですよね、それはニホンが戦争をしていたからでもあります。陶器製の手榴弾やお金まで出てくる勢いでしたから当時は大変だったでしょうね。
ニホンでは三菱や中島飛行機が飛行機をつくるはずだったアルミが有り余って戦後には鍋になったりしていたわけですから金属が不足した戦後でも鍋釜は自給していたのです。
◆連合国が闘った朝鮮戦争、武器はどうだった?
その一方で朝鮮戦争ではどうだったのでしょうか、当時から韓国内には兵器産業がありませんでした、ですから金属供出というものも最初からありませんでした。
※半島の梵鐘を全部持ち去ったという与太話が広く信じられていますが与太話です
韓国の梵鐘が持ち去られたのは、停戦後のドサクサの時期に窃盗として持ち去られたわけです。そして当然のことですが、朝鮮戦争の期間では”韓国製(韓国産材料使用・Made in Korea)”の武器弾薬の製造などには全く使われなかったのです。(アタリマエジャン)
あの李舜臣将軍像はブロンズ色に塗れ
◆エンジン、真鍮の器溶かしてブロンズ像鋳造
銅像鋳造は聖水洞にあった大光工業社で行われた。大光修理店で鋳造技術者として働いたキムジュナム(65歳)氏とリュヨンギュ(63歳)氏は、"劣悪な経済状況で、銅材の供給が難しく、最初は国防部から持ってきた薬莢を使用しようとした"と話した。しかし、鋳物がまともに注入されず、薬きょうは全て捨て、 解体された船舶から出たエンジン、真鍮の器、真鍮のさじや一般鉄スクラップなどが投入された。
※戦争のあとだったから鉄のスクラップがいくらでも転がっていたらしい
このように韓国での金属類の供出は何と、光化門広場の李舜臣像(1968年)を作るときが最初だったのです。 いまもあるアレですよ。
太平洋戦争中にはニホン軍による金属供出は無かった
朝鮮戦争でも金属供出は行われなかった。
そいじゃベトナム戦争で金属資源を使い果たしたのでしょうか?
これってM-1ガーランドですよね、米国製です。これを持ってベトナムに行ったのですね。このあとM-16を米軍に供与してもらって戦ったそうですよ。韓国が小銃弾を国産化したのはハンファ(韓国火薬)でしたが、これが1974年からだったようです(研究開発の開始)
そいじゃ、いつ金属不足になったの??
いえいえ、それ以前から金属器が無かったとしたら?
1ガロン缶(3.8ℓ)
まぁ写真の通りなんですが、現在の韓国でよく見られるステンレス製のドギーボウルが世の中に出てきたのは1960年代ということ、食盆と言われる一体式容器が生まれたのは1970年代、振り弁も1970年代の文化です。
やらせ写真をしっかりと見てみよう
朝鮮人の食事の光景を撮ってこい!と言われたので、ちょうどいいのを座らせて食べるまねごとを撮ってみました。これってどんな風に見えますか?みんなバラバラの食器でしょ。でもよく見てください、右のおじさんは小さな白い茶碗で食べてるでしょ、左の女性も今で言うラーメンどんぶりのようなものの前に小さい白いのが見えますね、真ん中の人もよくみると小さくてしろいお茶碗を持っています。おかずと汁は大皿ですけどね。 使ってる箸も金属製には見えないですよ。
一部の主張では、”朝鮮では山盛りご飯を食べて...”というような記述があったりします。これを信じちゃう人もいるようですが、ニホンからの農業視察団が朝鮮の農地を一目見て「灌漑、水路の整備で農地面積が2倍になる、苗代をつくり田植えが普及すれば収穫量はさらに倍になるだろう」これが、ニホン統治が本格化したらコメの生産量が5倍になるという怪挙ですからね。元々コメなんか食べる文化はなかったのでしょ。
※朝鮮では雑穀入りが普通だったようです。
どうですか? 真鍮製のお茶碗なんてどこにもありませんね。こちらに至っては手づかみで食べてるじゃないですか、金属製の箸・茶碗なんてものは昔は無かったのです
◇ ◇ ◇
◆ニホンの主力輸出品目ってなんだっけ
実は興味深い資料があります 1917年といいますからヨーロッパでは第1次世界大戦のころですが。ニホンの銅器輸出が世界一位だったんですね。 なにそれ?
あの仏壇などにつかう銅器ですよ、一膳めしの一本箸のアレです。あれが朝鮮で大人気になったのです この流行(特需)は1932年ころまで続いたといいますから。その間に朝鮮の食器はすっかりとニホン製の仏壇にあるようなアレへと進化したようなのです。
ようやくやってきたその時代の朝鮮にはもう貴族はいませんでしたけどね
現在でも、”流行(流言)に敏感”な韓国人ですから、当時なら、金色に見える真鍮製の茶碗を見て、『王侯貴族でも使わないような金色の茶碗だ』と歓喜したことは想像に難くないでしょう。もちろんもっと喜んだのは銅器輸出で潤ったニホンでしたが。
そういうわけで真鍮色に輝く食器は朝鮮人のあこがれだったのです。 これって今にしてみると恥ずかしいですよね。
それで、”金属製茶碗起源説”というのが主張されたのです。 ”古くは高麗時代より金属精錬ギジュチュが盛んだった朝鮮半島では祭祀などに使われる金属器を広く庶民が食器として使うなど...” こんなこと言い出したのですよ。
いまでも真鍮製の食器は高級品なのだそうです、だけどすぐに変色しちゃいますよね、それで最近では錫メッキされたものが主流です(5円玉の色じゃありがたくない)
※当時のアルミ製弁当箱はすべて日本製でした、膨大な電力を必要とするアルミ工場が韓国にできたのは1980年代になってからです。
▲振り弁が登場する前には雑穀入りをぎっしり詰め込むのが韓国人のお弁当でした。
あれだって、最初はスキマなくギッシリと詰め込まれていたのに、コメ不足が深刻化するとスキマだらけになってオカズの”平準化”のために”班食”というお弁当の強制供出まで始まるのです
▲数名分の弁当を強制的に混ぜるという格差解消策で実行されたのが"班食(バンチョク)"と呼ばれる風習で、大型の金属製容器に各自が持参した弁当をあけてそれを混ぜることからはじまる。
※韓国人が混ぜるの好きはこの頃からはじまるらしい、同じ民族のキタ朝鮮には混ぜる文化は無い、むしろ下品なこととして嫌われる。(在日朝鮮人のうち、この時代に渡航してきた世代(焼き肉店経営が多い)が混ぜる文化を受け継いでいる)
ほら、何もかもつながったでしょ そいうことですよ
どうせなら、”シンちゃんが知らなかった”をシリーズ化してもいいかな、なんて考えたけど 次回”レナスレ”に書けなかったこと 乞うご期待ください。