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嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

考試院に外国人が住む




”ちょっと不便でも安いでしょう”…考試院に外国人が住む

'ひどい住居費'のため、外国人学生も、考試院生活はじめました…
'苦学生の下宿部屋'→'外国人の短期居所'に 考試院は合理的居住空間


イメージ 2[すまいのミーナ]先月29日午後、ソウル西大門区滄川洞A考試院4階の廊下。 金髪の女子学生ブルックベチェラー(24・女)氏が自分の家のように自然に靴を取り出して履いた。 米カリフォルニア州出身の彼女はこの2月末、延世(ヨンセ)大学交換学生として、韓國に来てからこの考試院に住むとした。

ベチェラーさんの部屋は、通常の考試院と違いがない。 机と本棚兼棚、ベッドひとつが作り付けに入った部屋はちょうど1人用だ。 見た目にも二坪(6.6平方メートル)は無さそうだ。 棚にはまだ整理できなかった衣類があふれ、また小さなブラウン管テレビと一段の小型冷蔵庫もあった。 南北問題に関心が多いというベチェラー氏は"考試院の家賃が寮より半分以上安かったうえ、学校と近いため、選択した"と話した。



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▲"ちょっと不便でも安いでしょう"…考試院に外国人が住む記事の写真、延世(ヨンセ)大学交換学生ブルックベチェラーさんが先月29日、自分が住んでいるソウル西大門区新村(シンチョン)の考試院のベッドに座っている。 ベチェラーさんは"今は散らかってるけど"、と公開を控えたが、度重なる依頼に内部を見せてくれた。

大学街考試院は極めて、韓国的な空間だ。 足の踏み場もない部屋、狭い空間に備えられた家具や家電製品などは最小費用で収め、最大の実用性を見せてくれる。 主に地方から上京した学生や受験生、就職準備生などに安価な巣をした。 このような考試院の風景が変わっている。 外国人留学生たちが増え、考試院が'グローバル寮'に変身している。

ベチェラーさんが泊まっている考試院は、彼女を含め、外国人が11人だ。 延世(ヨンセ)大学前のB考試院には10人ほどが滞在している。 近くのC考試院は部屋32つのうち、半分を外国人留学生が占めている。 国籍も中国、日本、ベトナム、タイのように、比較的近い国から、米国、スペイン、スウェーデン、オランダ、フィンランドまで多様だ。 これらのほとんどは考試院近くの大学に交換学生として来たり、語学堂で韓國語を学ぶ。

なぜ外国人留学生の間に'考試院韓流'が吹いているのだろうか。 彼らは'致命的な住居費用'を挙げる。 延世(ヨンセ)大学だけ見れば、寮の費用が4ヵ月に250万ウォン水準だ。 一方、学校前の考試院の家賃は25万~45万ウォンほどだ。 ワンルームやオフィステルは、敷金、家賃などが高騰しており、外国人留学生が考えることも大変だ。 他の大学街も、事情は似ている。

ルーマニアから来たというオアナパードレット(30・女)さんは、"最初はワンルームを調べてみたが、保証金が高すぎて、驚いた。 それで保証金や契約期間の負担がない考試院で暮らすことになった"とした。 パードレットさんは5年間勤めた会社を辞めてリフレッシュにやって来た。

考試院は寮より生活が比較的自由という長所もある。 寮に持っている厳しい規定がないからだ。 ソウル中区(チュング)東国(トングク)大学近くのD考試院で暮らしている中国人リュユユ(21・女)さんは、"寮は通行禁止時間も、2部屋を使わなければならないでの制約が多い"、"中国友達たちが考試院に多く居住して一緒に食事も作って食べて旅行もできていい"とした。 この考試院の場合の女子生徒の中で2~3人を除いた20人余りが全員中国人だという。
狭く、密閉された考試院が安らかはずはない。 ほとんどの考試院は通路幅が成人男性2人が並んで立てないほどだ。 騒音は最も大きな不便事項である。 ベチェラー氏は"隣の部屋で私は通話音のためにたまに苦しい"、"考試院に外国人が多いため、時差のために夜遅くまで通話する声が聞こえる"と話した。

しかし、外国人留学生たちは考試院を合理的居住空間と口をそろえた。 忠武路(チュング・チュンムロ)の周りの女性専用の考試院で1年間暮らして昨年12月米国に帰ったアッシュルイス(24・女)さんは、モバイルメッセンジャーに5日"学生には、学校に近く、安い価格が最も重要だ"、"外国の学生に考試院は賢明な選択だと思う"と伝えた。


(翻訳:みそっち)



考厠院というのはお勉強をするひとが住むために用意されたお部屋のことだと知られています。それがいつごろからの話なのかというと、現代の韓国の美化された歴史によれば”朝鮮時代の科挙の試験”だったということですが、実際の科挙の試験というのは2年に一度の試験が1週間つづくようなものでしたが、誰でも身分に関係なくお受験できるものではなく、田舎などの両斑の子供らが官職を貰うための試験でしたからお勉強の出来なんていうのはどうでもよくて、両斑身分だけが豊かな仕送りを受けて試験期間中だけ滞在するようなものでした。 

つまり考試院というものはお勉強をするところではなかったのです。 それでもお受験対策のお勉強をどこかでやっていた?なんておもっていませんでしたか?   
まずお勉強を教える機関が朝鮮にはありませんでした。世襲制だった官職に必要なのは親の地位だけであってお勉強の出来不出来は関係なかったのです。 そしてお受験対策のためのお勉強を教える公的な機関はありませんでした。

もちろん朝鮮時代には旅人が宿泊するような文化が存在しなかったので旅館もありませんでした。 朝鮮末期に朝鮮を旅したニホン人らによると、お泊りするところを探すのに苦労をして釜山から漢城まで徒歩で野宿生活だったことが記録に残されています。


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▲1960年代までこうした住まいがたくさんあった


ニホン統治時代にも考試院という居住形態はありませんでした。朝鮮には宿屋、あるいは旅籠というインフラが存在していなかったわけですから、急激に増加した都市流入民はそれぞれが筵(ムシロ)などで工夫を凝らした竪穴式住居を作っていたというのが事実に近いでしょう。
もちろん崇礼門の外側は後になってできるソウル駅~漢江まで一面の野原でしたから好き勝手に住むことにしていたのです。

186~70年代になると徐々にニホン資本が朝鮮にやってきます、そこで最初に作ったのがニホン式の旅籠でした。これは朝鮮で商売をするニホン人のための施設でしたからニホン式に瓦屋根の2階建てだったでしょう、ニホン人が朝鮮にやってきたばかりのころは現地で通用する通貨もなかったので日本円が決済に使われました。

現在も存在する考試院というものは何か別の名前で呼ばれていたのです。

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朝鮮時代の終焉とともに都市生活者が増えたのは事実でしょう。しかし彼らが住むところはどうなっていたのかというと、崇礼門前の藁葺き小屋を見てもわかるように彼らは基本的に住居に無頓着だったようです。
もちろんオンドルなんていうものは朝鮮北部の両斑屋敷だけにあったわけですからそれ以外の奴婢らがどのような暮らしをしていたのかはあまり明らかになっていません


さておき、ニホン統治時代にさえも無かった考試院が歴史上に登場したのは1960年代とみることができます。お勉強がブームになって学生らが滞在するところが必要になったため部屋の又貸しの延長として考試院というものが苦学生のために解放されました。
なんと驚くべきことはキタ朝鮮には考試院というものがありません。元々無かったところにお受験ブームもやってこなかったので都市流入者のための住まいは作られることがなく、人口が急増した平壌などではアパート形式の住居が急造されていたことはとても興味深いところです。


まとめ

・考試院というものは1960年代ころのお勉強ブームのころにソウル市内などで学生に部屋を貸すということで普及し始めたもの。 
・当時の部屋貸しのようすによれば”学生房”のような名前で呼ばれていたようです。
やがて韓国人がお勉強熱心という思い込みから”考試院”という名前に変わっていった。
・考試院とは別に3.3㎡生活などに見られる売春宿形式の賃貸部屋も”考試院”と呼ばれるようになった。シンちゃんのところでも売春宿と考試院を区別していない)
・1980年代ころから、建物の中を細かく区切った”考試院”型の居住空間が増え始めた。

現在では韓国の一人暮らし世帯の割合は世界トップクラスであり、最近の25年の間に3倍に増加している。いっぽう5人以上の世帯は28%から6.4%へ急減している。


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韓国の一人世帯は考試院やワンルームを好み、世帯数あたりの平均居住空間をあらわすと世界最低水準となるため、一人世帯は現在でも世帯数にカウントされることがなく考試院やワンルームは韓国では住居とはみなされていない。

考試院、ワンルームなどは電気・水道代が家賃に含まれるが、その費用負担は1/nという居住人数で割ったものとなるため世帯あたりの電気使用量についても韓国では
実態に見合わない数字が出てくることがある。

一人世帯では食事をつくることがほとんどなく外食で済まされている、そのため低廉な価格で提供される外食産業がソウルの単身者生活を賄っている。


まだまだいろいろある。



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