minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

道袍に儒巾を備えた祭官らが今年も



今年も再現した朝鮮式祭祀、安東鶴峯宗家では俄親戚も集まる

毎年取材がやってくる、韓国式量産型秋夕祭祀儀礼
400年前そのまま…"先祖庇護称えています"


イメージ 7[くらしのミーナ]各家庭で祭祀を執り行なった一家親戚たちが一つ二つの宗家に集まってきます。

新果物と新穀など、念入りに準備したお供え料理を祠堂に移し、道袍に儒巾を備えた祭官らが澄んだお酒と食べ物をあげ、先祖に礼を尽くします。

歳月が経って祭祀の食べ物は少し変わっても、礼法は四百年前そのままです。

イメージ 1

イメージ 2


<インタビュー>金宗吉(巨匠金誠一(キム・ソンイル)先生15代目宗孫):"今日こんなに新穀と新果物で祭祀を行うそんな茶礼ですがこんなに集まりにして我々の子孫が先祖たちをもっと尊敬して懐かしむ…。"


イメージ 3

順番を終えた後、板の間では負をしながら挨拶を交わして家族の絆を厚く作ります。

<インタビュー>イ・ジョムスク(巨匠金誠一(キム・ソンイル)先生15代宗婦):"食べ物を準備するから煩わしいはしたら、このように集まって楽しくお祭り気分をするのは楽しいですね。"

毎年繰り返される祭祀だけれど、一緒に集まって祖先の余沢を称える意味は毎年新しく感じます。


イメージ 4


<インタビュー>金ドクホン(子孫):"秋夕には久々の高齢者と家族に会えて度も務めてみたら家族と伝統の意味を振り返って見てるようでとても気分が良いです。"
四百余年間続いてきた終値の秋夕。

忘れられていく伝統の中に家族と根の大切さを物語っています。


(翻訳、Gif作成:2ちゃん番長)





こうした祭祀にはおばさんたちは裏方なんですね。着ている装束や食べ物の並べ方とかは最近の韓国時代ドラマの影響を受けてかなり小奇麗なものになっています。


キム・ソンイル(金誠一、1538~1593年)は、朝鮮中期の文臣であり、学者で号は鶴峯(ハクボン)であり、諡号はムンチュンコン(文忠公)だ。 西厓柳成龍先生とともに、退渓先生の学統を受け継いだ学者であり、中央と地方のさまざまな官職を歴任した官吏でもある。
文禄慶長の役の直前、通信使として日本に派遣されたが、民心の動揺を考慮して日本が侵入しないだろうと報告して非難を受けたりもしたが、経済使、慶尚監で義兵の決起を促して官軍と義兵の積極的に協力できるように支援しており、晋州大捷の勝利に導いて殉国した。
※晋州大捷の勝利というのは1970年頃から主張されたうそ

あのほら、ニホンに行ってみやげ話で「ニホンは攻めてこないニダ」と言ったひとですね。


イメージ 5


その後逃げたり死んだりしてお家が途絶えたのです、それから死後70年目にお家再興が叶ってその頃から色々な業績が作られることになったのです。

近年になり宗家を名乗り、”博物館”まで作っていますが、相続争いなどで話題になりがちな韓国の宗家ビジネスモデルのひとつです


イメージ 9


安定した収入のなかった朝鮮時代後期には貧困したなかで家系図を売って細々とした暮らしをしていました。  ※写真は当日の役柄を決めているところ

その間に遺物は散逸しその後になって収集されたものがたくさん展示されています。


イメージ 6


最近作られた系図のようなもの、この殆どが後年になり書き加えられたもので、現在の宗家は1932年頃に現在の位置に宗廟などを建てて引っ越してきました。

その後、宗家争いが続くと法人となって現在に至ります。記念館もあって、当時のガラクタを並べて展示していますが、そのほとんどが当人と関係のない雑貨ばかりということです。


※現地で見てきたわけじゃないので現在の様子と違っているところがあるかもしれません。



イメージ 8