minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

参戦名誉手当欲しさに駆け込み参戦手続きをした極貧の老年

 
 
朝鮮戦争韓国人は参戦しちゃいない その
 
ベトナム参戦した韓国人が受け取る参戦勇士手当ては二等兵以下になる
来年二等兵給与月30万ウォンに上がるのに…参戦名誉手当は月22万ウォンのまま
  

イメージ 1[朝からミーナ]ソウル龍山区(ヨンサング)の小学校では毎日午後3時になると白髪の85歳の老人が現れる。 162cm身長に痩せ細った体躯、黒いしみで覆われた青白い顔をした老人は歩くことすら難しくなって見られる。 しかし、老いた老人は1年生が帰った教室と廊下を掃いてふく。 週5日の1日2時間ずつ仕事をして受け取る金額は一ヵ月20万ウォン前後に過ぎない。お年寄り雇用政策ではない
 
5年間この仕事をし、辛うじて生計を立てている老人は、”自称6・25戦争参戦勇士” チェ・ドンシク氏だ。 彼が参戦したのは停戦協定の発効する4ヶ月前、韓国軍が徴兵条件を下げて無差別的に兵隊を募集した時期と一致する。当時応募した兵隊は後方の済州島などで訓練を受けたが、現地部隊での混乱した採用者もあって、本人の申告によって駆け込み参戦が受理されたケースも多かった。しかし彼の口から出る自己紹介は ”熾烈な終盤の戦闘が起こった1953年初めの陸軍に入隊して命をかけて北朝鮮軍と戦った”としている   ※駆け込み参戦申請は1970年代まで無条件に受理された
 
彼が政府から受ける参戦名誉手当は月額22万ウォン。ソウル市と龍山区(ヨンサング)も支援金を支給するが、それぞれ月5万ウォン、1万ウォンに止まっている。 チェさん夫婦がそれぞれ受ける基礎老齢年金16万ウォンを加えても夫婦が手にするお金は、月に計60万ウォン。、認知症を患っている妻と関節炎、胃腸障害など各種疾病を患ったチェ氏の薬代や診療費として、月30万ウォンかかる。
19日、大韓民国6・25参戦有功者会龍山区支部事務室で会ったチェ氏は 「教室掃除をしてようやく延命することができる」、「90歳になっても何でもして金を稼がなければならない」とした。
 
◇6・25戦争およびベトナム戦争参戦勇士は現在23万2464人
'参戦有功者礼遇および団体の設立に関する法律'により、参戦名誉手当を支給される6・25戦争およびベトナム戦争参戦勇士は現在23万2464人。この中で相当数は一ヶ月の薬代にも及ばないお金を受け、'極貧の老年'を送っている。 チェ氏を含めて同日、龍山区支会に集まった6・25参戦勇士4人は"参戦勇士の大半が悲惨な生活をする"と口をそろえた。
彼らが最も羨やむ人は、参戦名誉手当に加え、基礎生活受給費として、月68万ウォンほどを受ける別の参戦勇士のイ・ジョンフンさん(83)だった。 彼らは、イ氏を指して "私たちの中で一番運がいい人"とした。 参戦勇士たちの現実をそのまま見せてくれた場面だ。
 
 
参戦名誉手当て
国家報勲処は国家に献身した参戦有功者に相応の礼をするという趣旨で2002年から所得に関係なく参戦名誉手当を支給している。 当時、月5万ウォンだった手当ては今年22万ウォンと4.4倍に上がった。 しかし同じ期間、徴兵の兵士月給が、二等兵基準で1万6500ウォンから16万3000ウォンと9.9倍に上がったのに比べれば法外に引き上げ率が低い。
 
国防部は兵士月給を最低賃金の30∼50%水準で年次的に引き上げるというムン・ジェイン大統領の公約によって、来年二等兵の給料を30万6130ウォンに引き上げる方針だ。 参戦名誉手当が引き上げられないなら、二等兵の給料よりも少なくなるというわけだ。
 
パクヒモ大韓民国6・25参戦有功者会会長は "参戦勇士らに最悪の貧困を経験させないのなら、国民の最低生計費である60万ウォンに引き上げなければならない"と主張した。
しかし、参戦名誉手当の大幅な引き上げ問題は十分に議論すらされていない。
政府関係者は"手当てを月一万ウォン(1千円)のみを上乗せしても予算が年間280億ウォンもの所要されるため、増額が容易ではない"と話した。
政府の一部では、報勳(ボフン)病院など国家の運営、医療機関の診療費減免、介護サービスなどの参戦勇士に提供される各種の恩恵を金で換算すると、月22万ウォンが少ない金額ではないという意見もある。
報勲処の関係者は "全ての参戦勇士に一定金額を支給する場合は韓国しかない"と述べながらも、"国家報勲対象者に対する礼遇の強化が政府の基調であるだけに参戦勇士たちの要求事項を最大限反映しようと努力している"と明らかにした。
 
 
(翻訳/みそっち)
 

 
ある日、「1953年頃に18歳くらいだったひとは朝鮮戦争の参戦手当が受けられるょ」といううわさがおじいさんのところに空から降ってきます。朝鮮戦争に駆け込み参戦したひとだけが受けられ、それは来月から月額2万ウォン(当時)と聞いたのでさっそく書類にサインしました。これによって、その当時の手続きを正式に行なって銃弾の下をくぐった人と同じような扱いが受けられることになったのです。もちろん兵役の事実は本人しか知りませんけどね。そうやって毎月受け取る生活をしてきました。
ちなみに所属した軍部隊時代のご記憶や軍籍、軍札番号はすべて無いそうです。殴られてばかりだったと言えばすべてがお涙で解決します。
 
 
全ての参戦勇士に一定金額を支給する国は韓国しかない>>>>>6・25戦争およびベトナム戦争参戦勇士は現在23万2464人。しかも増加中
 
まあ、ニホンだと死んじゃったひとの家族が受け取ったりそういうのはあるわけですが、韓国ではベトナム戦争に参戦したのが延べ80万人(実数で35万人くらい)このうち半分が寿命や弾に当たって死んでいたとしても、朝鮮戦争のほうにに参戦した韓国兵というのは最初からほとんどいないことがよくわかります
 
そいじゃWikiの朝鮮戦争に書いてある韓国軍戦死者59万人って何だよってことなんですが、これはそこで見てきたことも無いようなのが勝手に脳内編集した結果ということになります。
Wikiの編集は誰でも簡単に無責任に編集することが出来ますよ
 
それでも韓国人の何人くらいが朝鮮戦争に参戦したのか、当時のお給料の支払いのほうから人数が割り出せるんじゃないかなんて考えるおバカちゃんもいるんですが、韓国軍は1948年の創軍以来伝統的に兵隊の数を水増しして部隊編成申告をしてきたので、まあハナシ半分かそれ以下ってところでしょうね。 
※師団長だけ残して部下が一人もいないという部隊がいくつかある(ペク将軍とかね)
 
ニホンでも朝鮮戦争のことを扱った小説はいくつもあるんですが、特にいい加減なのが児島襄ってバカの書いたヨタ戦記ものですね、6月7月8月と後退してきた”韓国軍”がようやく再編成を終えてヨコスカに集結したのは>>>なんていう与太話を書く戦記ゴロなんですよ。これをまた信じちゃったひとも何人かいるんですが、お前見てきたのかよってね
※児島襄(こじまみのる)作家、戦艦大和などの著作がある

今世紀のネットの普及と機械翻訳の普遍化で作家自身が創作した超時空戦記物がデタラメばかりだったことが明らかになってきているわけです。当人が生きていたら8時間半ぐらい対談してコテンパンに...遺族が生きていたら半日ぐらいお説教してあげたいなと思うわけです。
  
というわけなんですが、不思議なことに朝鮮戦争ベトナム戦争よりもさらに昔に活躍したような韓国の慰安婦おばあさんがヘリコプターやジープで移動したりしてどれもみんな元気ですよ、韓国ではお年寄りに対して自身の生年や出生地であるとか親兄弟や幼少期のことを聞き出したりすることは大変失礼なことらしいのです。
それとなく聞き出したりしちゃいけないんですね。ですからピンピンしている慰安婦おばあさんがクリスマス休暇のことを言い出したりしてもそれは追及しちゃいけないことなのです。
ニホン軍の兵隊に連行されたと主張しているおばあさんに「生まれはどこ?その時家族はどうしてたの?」なんて聞いちゃダメなんですね。ましてや、本人が特定できるような家族構成とか兄弟の消息なんていうのを聞くのは絶対的にご法度なんですよ。
 
聞いちゃいけない礼儀というのを強制するのが韓国の儒教教育と思えばイイでしょう。
それって便利でしょ。
 
 
 
 
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