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地震で液状化はじまる



震源地では 乾いた田んぼに水が湧き出る

“畑から水がポコポコ湧き出た…こうしたこと生まれて初め”
浦項震源地農民 ‘液状化現象’ 目撃/地震で土地傾いたり亀裂すると発生



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[ソウルミーナ]"地震が起こった時、私は畜舎にいたが、セメントの床が割れました。'何事だろうね?' と話していると、町の人が '水田から水があふれている。 不思議だ' と叫んでいました、行ってみたらの田んぼから水がポコポコ湧きあがってきていました。"

慶尚北道浦項北区興海邑で農業を営む、ホ・ナムゴン(41)氏は、その日15日の田んぼで自然に水が上がるのを目撃した。
ホ氏の水田は、震源から南に2㎞の距離にあるが、その周辺にある田んぼでは、一斉に水が湧き出したとした。

彼は17日、世界日報との通話で "こんなことは生まれて初めて"と話した。

水田から水が湧き出ている理由は'液状化'と呼ばれる現象のためだ。 国内で地震による液状化が観測されたのは今回が初めてだ。



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慶尚北道浦項(ポハン)に規模5.4の強震が発生してから三日目の17日、浦項市北区興海邑面ヨンチョン里、震央近くの水田で'液状化現象'が現れている。 液状化は強い地震動によって地盤が緩んで地下水位が高くなることだが、今回が国内初の観測例だ。


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液状化が起きて水が溜まった田(左)と一般の畑。


液状化とは、地震で地面が水のようになることを言う。

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地震が起きた北区のような沖積層(堆積層)には土壌と水が混ざっている。 普段には二つの割合がバランスを取り、別段問題ないが、地震が起きて土地が傾いたり、亀裂が生じれば、一方に水が傾くようになっている。 それで水が集まった方は土地がゆるゆるになりめろめろになる液状化が起きて地下水が地表に舞い上がっている。

水が減った反対側では土地がばさばさして、液状化された所と同様と、普段より弱い状態になる。 

ユン・ソンヒョ釜山(プサン)大教授(地球科学教育)は "液状化地震の規模に関係なく起こりうるが、これまで韓国では主に、硬岩地帯で地震が起きたために実際の液状化が起きたことはない"、"今回の浦項龍興洞の丘陵地帯で土砂崩れが起きたのも液状化のため" と説明した。

ギョンジェボク韓国教員大学教授(地球科学教育)も "強い地震がいれば水が割れ目を伝わって湧き出ると残った地盤は沈下が起きる" と伝えた。


(翻訳/みそっち)


 
 
稲刈りのあとの残る乾いた田んぼですね。1970年代ころにはニホンから農業機械が大量に輸出されて韓国の農業も急速に近代化しました。
もちろんそれ以前は手で田植えをする農業だったでしょう。
さて、韓国はニホンが併合するまでは ”農業国” だった、なんて信じていませんか? 筑波大の古田教授あたりが「アタシはそんなこと言ってない」なんて言い出しそうですが(今度は古田教授に喧嘩売るニカ)。
まぁ産業が無い、商業が発達してないとなれば「そいじゃ農業ダロ」と短絡的に考えがちですよね。そいじゃニホン統治時代になってコメの収量が7倍にもなったのはどういうわけでしょうか。それを見て農業国だなんて思ってませんか?

稲刈りのあとが残っているってことは田植えで苗を植えたから(直播きだと株じゃなくスジ状に植わる)ですが、韓国の農業がニホン式になったのは今世紀初頭のことです。古く朝鮮時代には田植えなんてもんはありませんでした。 苗代をつくってそれを田植えすることが朝鮮半島で行われたのは19世紀末からなのです。
※田植えがないから田植え歌もありません。収穫のあとには「太鼓を叩いてサムサノリ」これもニホン統治時代に始まったものです。

しかも、稲刈りの翌年には田植えをするわけですが、昭和19年のコメの収量と1946年のコメの収穫量を比較すると あらまぁ 1946年にはなんと1/5しかコメが収穫できなかったのです。まぁ1/5は大げさで市場流通量なんですが、自家消費で食べる分とヤミで流通する分を加えても日帝時代のやはり半分規模となったのです。

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そりゃ、農業を教えていたニホン人が帰っちゃいましたからね、翌年の田植えのために溜池に水を溜めるとか脱穀しないで取っておくなんてことができなかった地区ではコメが自然に生えてくるものだと信じていたそうです。

コメの買い上げも昭和20年秋には無かったし、すでにアメリカ軍政ですから「小麦を食え」「コメを食うから背が低いんだ」ということでその時にはじめて韓国を見たアメリカ人も韓国が農業国だと信じて疑わなかったことでしょうね。

韓国では現在主食となっているコメが戦前の生産量を回復したのは1974年のことでした。

田植え跡のハナシから脱線しましたが、朝鮮の古い風俗画に田植えっぽいのがあるのは20世紀はじめに描かれたものだからですよ。 画家の名前は実在した18世紀のひとですが、書かれた画帳が発見されたのは1911年だとされています、しかもそれさえニホン統治時代の記録にはまったく残っていないのです。 18世紀の画家の作品はその多くが分類保存されていますが、風俗画を書いたものは無いのです。
どうやらこれがウソっぽいというのは現地でもかなり論じられています。なぜならそれが公表されたのは1960年代になってからだからなのです。最近書かれた絵が18世紀の画家の描いたものたとして知られているわけです。 北斎美人画に浅草十二階が描かれているようなものなのです。

朝鮮に田植えが無かったことは多くの資料から知ることができます。しかしながら田植えが無かったというのが朝鮮時代を否定する意味でもあるので朝鮮かぶれのひとは最近書かれた資料を出しながら朝鮮は農業国なのだと主張します。 まぁバカなんですけどね。
つまり水利と田植えを教えたのはニホン人ってことですよ。それまでの朝鮮人の主食は言うまでも無く雑穀ばかりでした。 そーいういみでは立派な農業国だったと言えるかもしれません。(アワやヒエを田植えしたのかよ)



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うん