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嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

朝鮮文化に色づけした1960年代

 
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訪 

あまりにもみすぼらしい朝鮮文化を色づけした1960年代
 
 
申潤福っていう画家の絵は ”朝鮮国宝大観” って本が国立国会図書館ライブラリーに残っていて、この本は1911年の発行です。 そういう画家が朝鮮時代にいました。
 
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そういうわけで、日帝が収集した国宝で李朝の風俗画っていうことになっています。
 
 
 
 
こんなのご存知でしょうか? 
 
 
 
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端午風廷(端午風情) 端午の風景
 
あのブランコと覗き見している彩色ゆたかな(ホントカ)韓国の国宝なんですけどね、これを見ちゃうと『朝鮮時代は色とりどりの韓服を着てステキ』 なんてチャングムファンなら涙を流しちゃうわけですよ。
 
有名な申潤福の作品だぁ ってわけです。 ところが発見の経緯がまったく謎なのです
 
 
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シンユンボクピ筆風俗図画帖(申潤福筆風俗圖畵帖)は朝鮮時代後期の18世紀末に申潤福(シン・ユンボク)が描いた風俗画をつづった連作画帖で、朝鮮時代の代表的な画帖と考えられる。 蕙園風俗圖)あるいは蕙園風俗圖帖とも呼ぶ。
 
 
この画帖は申潤福(シン・ユンボク)の押印 蕙園を取って付けられており、計30枚の作品で構成されている。 日本へ流出されたものを1930年、澗松美術館の設立者である澗松全鎣弼が、日本の大阪のある古美術商から購入し、新たに表具をした。
 
全鎣弼とともに文化財流出を防ぐことに大きな役割を担当した呉世昌が見出しと跋文を書いた。 この作品はそれぞれ横28cm、縦35cmであり、韓紙に絵を描いて、詩文とともに落款が添えてある。 主に遊び好きと妓生の姿を率直に描き出しており、18世紀末の風俗と服飾をうかがうことができる。 この作品は、大韓民国で国宝第135号に指定され、現在ソウル城北区澗松美術館で所蔵している。
 
 
 
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日本へ流出されたものを1930年、澗松美術館の設立者である澗松全鎣弼が、日本の大阪のある古美術商から購入し、新たに表具をした>>>>
 
 
こんなハナシって前にもありましたよね。日本から買ってきた式の出所不明なヤツ



 
 
あれれ?、檀園風俗図帖も同じところが所蔵してるんですか。美術品の流出ですか、国宝の指定は1970年ですか スゴイですね。


澗松美術館(がんそんびじゅつかん、朝鮮語간송미술관)は、大韓民国ソウルにある美術館博物館日本の統治下での朝鮮の美術・工芸品・古書の国外流失を恐れた全鎣弼(チョン・ヒョンピル、전형필)が、個人で収集した大量の作品をもとに、1938年に朝鮮で初めての近代的私立美術館として“宝華閣”を設立したものが前身。全の没後の1966年に韓国民俗美術研究所が設立され、その付属美術館として、全の雅号である“澗松”をとった名に改められた。
訓民正音東国正韻の原本などの多数の韓国の国宝金弘道申潤福の風俗画、高麗青磁など収蔵品の質・量ともに韓国第一級である。毎年、5月と10月に2週間のみ開館し、それ以外は一般に公開していない。 (ニホン版Wiki
住所:ソウル市城北区 城北洞(ソンプクドン) 97-1
 
 
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「ニホン植民地時代から知られている他の作品とは明らかに違う」 
  VS
「真贋の是非はともかく歴史的資料としての価値は変わらない」
 
澗松美術館っていうのは何度も偽美術品で捜査を受けているところなんですが、なぜかそこにあるものは「個人蔵」のために鑑定することを拒否してきたのです。
ところが昨年から所蔵品の一部を国宝に格上げする動きが出ていて、いきなりいくつかが宝物から格上げされたりしていました。
鑑定の基準が”落款”だというんですが、明らかに書き順(筆の運び)を間違っている落款もみつかっています。漢字の素養のないひとに漢字を書かせたような代物だそうです。これが1970年代に”ホンモノ”認定を受けるとそれは真贋の鑑定などを通り越して”歴史的資料”ということになったのですね。 まったくびっくりですよ
 
 
 
ほかにもね、真贋論争があるんですよ。
 
 

申潤福の山水画 ”山窮水尽” は模写

風俗図画帖で知られる申潤福の作品とされる山水画にそっくりさん登場
どちらも真筆を主張「真似たのはそっちだ」 まさに ”韓国型主張”
 
 

大方の専門家は "二つの絵の図柄がどうして同じなのかは分からない" 
 
ヘウォン(蕙園)申潤福(1758-不詳)の山水画である'サングンスジン(山窮水尽)'が、蔚山(ウルサン)博物館で所蔵しているといわれている玄齋沈師正(1707-1769)の'チョクジャンド(蜀棧圖)'と圖像が似ているという事実が発見された。
 
古美術専門ギャラリーボールアートスペース(代表コンチャンホ)が最近開いた古美術特別企画展'テクソンゴジプ'(擇善固執)に出品された申潤福(シン・ユンボク)の絵3点が'サングンスジン'の画帖にあったと紹介され、二つの絵の図柄がほぼ同じという事実を専門家たちが後で確認したのだ。
 
沈師正チョクジャン図は2015年3月、ソウルオークションの'第135回美術品競売'にも出た。 このチョクジャン図沈師正が世を去る1年前の1768年最後の作品で描いた長さ8mの'チョクジャン図'(澗松美術館所蔵)の一部分を変形させて作ったもので、当時の推定価格4000万~8000万ウォンに出品されたことがある。
 

以下機械翻訳調でご覧ください
 
ボールアートスペースは"海外に散在している返還された文化財20点余りを'テクソンゴジプ'展示で初めて公開する"、ニャース李楨'お粥、埋葬暴徒'、現在の審査定義'ソンハグヮンポクド'、ナンゴクチェソクフヮンの'墨葡萄も12曲病気'、吾園張承業の'鮮度の大連'などとともに'ヨムギェサンリョン''弾琴も''油圧も'など、ヘウォンの絵3点を紹介した。
 
そして、"今回の展示に出品されたヘウォンの絵3点は個人の所蔵とされる'サングンスジン'のような画帖になっていてヘチョプドェ額に作られている"、"'サングンスジン'は1981年に発行された'韓国ミスルオ千年'朝鮮王朝の会話編3冊22度に紹介された作品"と説明した。
 
 
多数の美術評論家と美術史鑑定の専門家によると、申潤福(シン・ユンボク)の'サングンスジン'と現在の審査定義'チョクジャンも'はそびえる岩山の奇岩怪石、峰から殺到している滝と絶妙にわたった水墨で行われた絶景がほぼ類似した形で描写されている。 画面左側の上端にそれぞれ詩)と落款があるという点を除けば、墨の濃淡や陰影はもちろん、険しい山道を上り下りする人々の行列姿も同じだ。
 
しかし、大方の専門家は "二つの絵の図柄がどうして同じなのかは分からない" という反応を見せた。 ある専門家は "当時はこのように同じ図像が繰り返す場合がほとんどなかった" と説明した。 二つの絵全部'安禄山の乱'を避けてチョクグクに避難する唐の玄宗の行列を素材に描いたものとされている。
 
 
 
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▲ボールアートスペース展示に出てきたシン・ユンボクの'弾琴図'中カヤ琴乗る妓女の姿(左側)と、澗松(カンソン)美術館が所蔵しているシン・ユンボク'青衿サンニョン'での妓女の姿
 
 
この展示に出品された申潤福(シン・ユンボク)の絵'弾琴図'も美術史家たちの好奇心を募らせている。 '弾琴図'は山の中で対座している学者と舞妓の姿を描いた作品で、絵の中の伽椰琴を弾く舞妓の姿が現在、澗松美術館が所蔵している申潤福(シン・ユンボク)の'チョンクムサンリョン'の中、伽椰琴乗る舞妓の姿と'似てるようで違って'描写されているからだ。 
 
この絵ではどちらも12列伽椰琴弦を支える琴柱(雁足・琴柱)も弦の数字と合わないようにてんでんばらばらに表現されている。
 
ボールアート側によると、'弾琴図'画面の下部には、中国の都督官職を務めた晉の国の人謝安、320-385を風刺した白居易(白居易)の句が書かれている。 ボールアート関係者は "人物と服のしわの表現、淡泊な色彩と筆致で申潤福(シン・ユンボク)特有の繊細さと美しさを感じることができる"と説明した。
 
 
'弾琴図'を披露する今回の'テクソンゴジプ'展示は10日までに展示期間はたった13日間だけだ。 ボールアート側は先月29日、ソウル鍾路区寛勳洞(クァンフンドン)同徳(トンドク)・アートギャラリーで'テクソン固執'前を開き、公式報道資料に'サングンスジン'を'サングンムなった'と誤記し、混乱を招いたりもした。
 
 
(ニュース1)
 
 
 
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▲水浴びや洗濯図にも贋作が多い
 
これらの国宝にもなっている朝鮮風俗図はほとんどが個人蔵で、ニホン統治期にはその存在が全く知られていなかったものが、『ニホン統治期に収集された』となっているのが全く変ですよね。
 
しかも特定の個人が収集したもので1960年代になって初めてこの世に存在が知られるようになったなんていうのが『日帝の文化収奪』なんかと相性がイイんでしょうか
 
いくら主張しても出所がハッキリしていないのですね。この道理が通るなら何でもOKってことなんですよ。真贋の学術的調査は個人蔵のために行われていないとか、美術館の息のかかった学者がお墨付き出してみたり。それでいて絵のタッチが違うと指摘が出ると晩年の作品だと言い逃れてみたり。

さらに国宝指定が1970年代になってからとかね。


裁判で揉めると、「どちらもホンモノである」なんて判決が出ちゃう韓国ですよ。


これは大規模な歴史資料の捏造活動が行われていたという指摘とも一致します。
派手な彩色された朝鮮風俗図がこの世にあらわれたのは1960年代になってからなのです。それ以前の 日帝の収集したものの中にはそういうのがありません。
 
美術品の一部はキタ朝鮮にまで運ばれていたりします。 みんなお金の為ですね
 
 
 
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つまりホントの朝鮮時代っていうのはものすごくモノクロな社会だったというのが事実なわけです。 
(決して資料がモノクロ写真だからというわけではありませんよ。)
それじゃぁあんまりだぁ というので、21世紀になると自由闊達に色づけするようになるのです
 
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 ▲韓国文化創作の会 彩色美人図展示
 
こういうのを見ちゃうと『チャングムの韓服って素敵!』なんて言い出すのが出て来ちゃうんですが、色を付けなきゃならない本当の事実ってどんなのよ?
 
 
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こういうの
 
 
 
 
 
 
 
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今日はもう3月だってさ
 
 
 
 
 
 
 
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