minaQのつぶやき 네토미나

今年もよろしくお願いします。

ボラカイ島で韓国人捕まる(ヤッパリナ)

 

フィリピン ボラカイ島で路上放尿した韓国人逮捕

やっぱりお前らか、Dモールっていうのはショッピングモールだぞ

 

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[ソウルミーナ]フィリピンの有名なリゾート地のボラカイ島の浜辺で最近、韓国人観光客が路上放尿をして警察に逮捕された。

27日の日刊紙フィリピンスターなど現地メディアによると、去る13日、ボラカイ島の浜辺で韓国人観光客のキム・ソンジュン氏が、Dモールの前で路上放尿をしている時にパトロール中だった現地警察に逮捕された。 キム氏はすぐ拘禁されなかったが、召喚状を受け取ったという。

 

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警察はまた、現地の法規を破って、ボラカイ島の浜辺で酒を飲んだ韓国人観光客ら4人を逮捕したと明らかにした。

※最近ビーチでの砂遊びや喫煙と飲酒が禁止されたらしい

フィリピン当局は、ボラカイ島の環境汚染が深刻な水準に達すると、昨年4月、環境浄化のため全面閉鎖したが、6ヵ月ぶりに再び観光客を受け始めた。 その後、海辺のパーティーや飲酒、喫煙などを禁止したが、環境汚染行為が相次いで摘発されている。

 

(ソウル/みそっち)
 

 

ということで、飛行機でタバコを吸っても帰国便では処罰されない韓国人ですから倫理観なんてものは持ち合わせていないのですね。

 

 

こういうこともありました

 

イメージ 1 イメージ 2[ソウルミーナ] ソウルの名門大学のジャンパーを着た男性が走る2号線地下鉄の中で小便をする告発写真がインターネットで論争を起こしている。
ネチズンたちは写真の中の男子生徒に "地下鉄尿男"というニックネームをつけて非難を浴びせている。 インターネットに乗って広がった写真は、日本の嫌韓(嫌韩)性向のブログなどにも上がって '韓国けなす "の口実を提供しています。
 (延世大学大学生
 
 23日、インターネットの有名コミュニティには、 "地下鉄尿男"というタイトルの文が高いヒット数を記録して人目を引いた。
この記事では、一人の若い男性が2号線でドアに寄りかかったままの端の座席に向かって小便をする場面を正面から撮った写真が含まれている。 ジーンズと野球ジャンパー姿の男性は泥酔したものとみられる。
 
 
 

 

ちなみに、私たちの知らない朝鮮時代の韓国では、便所という概念が無かったので大でも小でも道端でもどこでもし放題ですね。彼らはまき散らしたものをあつめて肥やしにしようと考えませんでしたから、ニホン統治時代に便所の設置が強制されて、それを集めて回るようになるとそれに反発したりもしました。

 

もちろんトイレで生活することにも抵抗が無いんです

 

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[ソウルミーナ]ソウルでおなじみなのは駅の階段で国論をたたかわせている韓国のオジサンってイメージですよね。焼酎瓶が転がっていたり段ボールなんかの家財道具(段ボールは家財道具なのかい)を敷き詰めているひとたちですね。
 
コーヒーショップって24時間営業していたころはコーヒー一杯で夜を明かすひとが非常に多かったのです。最近じゃ不景気もあって夜は閉めてるけどね。 
するとコンビニの飲食コーナーの椅子取りゲームですか。最近はミニストップでは椅子置いてないですよ。
そこで公衆トイレで寝ているひとも多いですね。これは暖房完備なので床が冷たいのを我慢すれば超快適なのです。
 
掃除のおじさんや酔っぱらいがが床を水びしゃびしゃすると不機嫌そうに起きてくるそうですよ。(基本的に女子トイレにはいないと思う)
 
 
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▲多少目にしみるのを我慢すればヒーターもあるので天国のようだ
 
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▲身だしなみに欠かせない洗顔や洗髪をしている光景もよく見かける

 

 

 

厳選過去カキコ

明治時代の朝鮮の朝士視察団(紳士遊覧団)ニホンを見聞
用意した宿舎から逃げ出した朝鮮の使節団 その理由 
 
 
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[日曜ミーナ]明治14年のこと、およそ60人からなる朝鮮の視察団は蒸気船で釜山から対馬~長崎を経由して神戸に入り横浜に到着すると汽車に乗り換え東京に到着した。東京での彼らの宿舎は当時、芝公園内にあった海軍宿舎が使われた。
 
これが1881年のことである。その5年前の1876年に朝鮮が明治新政府近代条約を結んだばかりで、この日朝修好条規を結ぶとその返礼使がこの前年とその前に条約締結返礼の使節がやってきたことがある。 
※1909年に伊藤博文を襲撃したテロリストの安重根は1879年生まれ、犯行日は10月26日で、このあと70年後の1979年10月26日には朴正煕が韓国人の手によって同じく暗殺されている。
 
 
朝鮮という国は太閤記加藤清正の虎退治ではよく知られていたが、その実情は徳川将軍の代替わりに使節がやって来たくらいで、200年間に11回ほどやってきた朝鮮通信使が最後にやって来たのはペリーの黒船来航のさらに40年以上も前のことだった。
※そのときは対馬で引き返しているので江戸に最後にやってきたのは1764年のこと
 
 
朝鮮人がやってくるのは迷惑でしかなかった
 
やはり朝鮮人と言えば、物珍しい身なりをした奇行をする連中という印象があったようで、明治当時の主だった新聞社は連日のように彼らの見物先や訪問先を細かく伝えている。
 さて、兵舎や造幣局に銀行から税関まで盛んに各所を見学した朝鮮の視察団だったが、わずか5日でニホン側が用意した宿舎から出てしまった。しかし彼らの行き先はすぐ近くの旅館である。
 
旅費に当たる交通費は全額を当時のニホン外務省が負担していたし、海軍宿舎での食事も晩餐会とまでは行かないが、十分なものが用意されたというから旅費や食事に困った訳では無さそうだ。
旅館に宿を移してからも彼らはいろいろなところを訪問しているのが記事になっているので隠れたくて宿を変えたわけでもない。
 
 ではなぜ彼らは外務省が用意した海軍宿舎を引き払ったのだろうか。その理由は毎朝やってくる便意である。彼らはどこにでも糞をする生活習慣を持っていたのだ。 ※しかも朝鮮人の大便には白いのがにょろにょろしていたという
 
彼らの世話を命じられた宿舎の雇員が毎朝の道糞を通事(通訳をするお役人)に告げ口したことが彼らをいたたまれなくしたのだ。
 
朝鮮の近代化の中で劣悪なトイレ問題は伝統住宅で最も悩みの種であった。1896年、独立新聞に「道ばたの家の窓の外に汚物とおしっこと水を捨てられないようにして、おとなと子供が道端で大小便をしないようにして…」と書くほどであった。

1934年、朝鮮総督府は便所との戦争を宣言する。「朝鮮市街地計画令」で「居住用建物敷地内にお手洗いを設置する」と釘をさしたのだ。
 
朝鮮に住む彼らは朝鮮総督府が業を煮やすまでトイレ、便所、厠、とは無縁の生活をしていたのである。
 
道端に垂れ流すのは貧しい庶民ばかりというわけではない、朝鮮時代の宮殿にも手水場 トイレ、便所、厠、雪隠、はばかり、御不浄くらいあっただろうと考えがちだが、実は遺構などはまったく見つかっていない。誰もが道端や軒先で力むだけなのである。
 
 
あるいはおまるに出して、道に捨てたのである。だから総督府は朝鮮をきれいにしようと朝鮮人にトイレの習慣を躾けたのである。
 
江戸時代の朝鮮通信使も事情は同じだっただろうと考えられる、しかし外国からやってくる幕府の賓客が「トイレも躾けられていない」とは当時の奥ゆかしいニホン人は記録すらしなかったのである。
 
江戸時代の朝鮮通信使の経路にあたる本陣は一日も早く次の宿場に移ってもらうことを願うし、やがて彼らの宿所は宿場の本陣ではなく街道の寺社が使われるようになりました。理由はもちろん異文化を町民に見せないためでした。

 

 

集めた肥やしが農作物にくっついて寄生虫感染症と結びつけるように考えがちですが、彼らは路上に撒き散らかしたそれが川に流れ込みその水で顔や大根や白菜を洗っていたという事実はあまり認めたがりません。

※糞尿を肥やしにするというのは明治期のニホンと交流するようになり水田の稲作とともに伝えられてもので、それ以前の朝鮮では糞便の混じった水を飲んでいたために寄生虫感染率が100%だった

 

ちなみにそのころの朝鮮人男子は「立ちション」ではなく「座りション」が普通だったそうです。(ホントカ)

道端にしゃがんで文字を書いているわけじゃなくて いえあれっ?(シラン)

 

 

 
う~ん