1949年8月大崗トンネル窒息事故
知ってるようで知らない、知ってたら行かない韓国の大惨事⓭
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1949年8月大崗トンネルの機関車窒息事故
1949年8月18日、505編列車(ソウル~安東)は客車6両編成で乗客380人余りを乗せてソウル駅を午前6時に出発した。
丹陽駅を3時間ほど遅れて到着して出発から12時間後の午後6時頃、大崗トンネル(長さ/2キロ、23/1000勾配)で30分程、前進と後進を繰り返し、結局、大崗トンネル内の500メートルの地点で連結ピン破損によって連結器が分離し空気ホースが破裂して、後部客車3両が分離された事故が発生した。
これによって旅客は石炭ガスによる中毒で 計51人が死亡して360人が負傷した。(後述のトンネル番の記憶では180人以上の遺体だとか)
※大崗トンネルは日帝時代の1942年に開通した、360°のループ式トンネルで高低差40mをつないでいる。
蒸気機関車がトンネルに入り立ち往生すればトンネル内の一酸化炭素濃度は急激に上がる。機関車は緩い昇り勾配に蒸気を溜めて登りきるのが普通だ。
しかしループ式トンネルは日帝時代から蒸気機関車の運転手らには評判が良くなかった。
やがて鉄道が韓国人の手で運行されるようになると間もなく機関車は整備不良と部品不足から所定の性能が発揮できなくなってきた。使用する石炭でさえも戦時中は良質の石炭が優先して配給されたが、1945年の光復後には国内の石炭の採掘量は極端に減ったし、時の権力者たちが少ない石炭を競うように横流しすることが横行するなど手に負えない状況でもあった。
当時の大韓民国は出来たばかりで、李承晩大統領は国内の共産勢力の鉄道妨害などに悩まされていた時期だ。そのため当初この事故も「共産勢力によるサボタージュ」や「共産スパイによる鉄道網攪乱」として処理されていた。
※中央線は、第二次世界大戦中に京城(現在のソウル)と慶州を結ぶ京釜線に次ぐ朝鮮半島縦貫線として建設され、当初は京慶線(경경선)と呼ばれた。
当時の看守(トンネル番)の回想
「この日動員された警察官たちがここに来るとすぐ私を訪ねてきて、隧道内の事故を起こしたのは鉄道局員の故意だ」としながら、「ちなみに鉄道局員は皆が赤だと騒いで、救援作業に余念がない私を居場所の庭に連れていって殴打をし始めました。 私は言い訳をしましたが、無駄でした。 踏みつけることができない殴打されました。 遅ればせながら保線助役が駆けつけなかったら、私は昏睡状態に陥ったことでしょう。 本当に憤慨だ。 悔しかったですね」。
韓国の鉄道網がすべて灰塵となる翌年の1950年6月の朝鮮戦争が始まる前からすでにこの体たらくだったのである。韓国の権力者たちが共産勢力をあぶり出し、国の資産をチャラにするチャンスを伺っていた時期の出来事である。
▲京郷新聞1949.8.20
▲東亜日報1949.8.20
1973年から電化が進められ2008年に全線が電化された。ループ式トンネルは現在も使用されているが、複線化された新トンネルが2020年に開通予定だ。