韓国の不衛生な食事習慣は ”情” である
新コロ家庭内感染の原因は韓国人の食習慣だった
ひとつのチゲにみんなでスプーンをかき混ぜるダロ キムチには唾を入れるし
最近、韓国内で発生が確認された4人に1人は「家族内感染」 これって間接感染
新コロ以前から、このような食習慣が衛生的に良くないという指摘が続いてきたが、まだ、国民の意識改善は容易に行われていない。
3日、医療界によると、国内コロナ19拡散の原因の一つに韓国人の食習慣が挙げられている。 食べ物を個別に取らず、一緒にすくって食べる食習慣によって、唾液が食べ物としてそのまま広がりかねないという指摘だ。
▲唾液まで分け合う文化はエホバの証人の輸血もダメという教えとは相容れない
特に家族間の感染と伝播にそのような食文化が影響を及ぼしたと見ている。 最近(昨年11月20~12月16日)国内発生確定診療者1万5111人を対象に新コロ伝播特性を分析した結果、24.2%の3654人が「家族間伝播」で感染した。
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これに対し、高麗(コリョ)大学九老(クロ)病院感染内科のキム・ウジュ教授は「家族間の感染が高く現れる理由の一つに、一つの食べ物を一緒に分けて食べること」とし「唾を通して直接感染する可能性が非常に高くなる」と述べた。
延世大学食品栄養学科のハム・ソンオク教授も「人 がスプーンを入れてチゲを一緒に食べ、おかずもまた多くの人 の箸を運ぶ。 このように食事共有文化は多数の唾液が混ざってお互いに食べるもの」とし「食べ物や食器を共有することで疾病が伝染するという事実はすでに研究で立証されている」と懸念した。 ※WHOも指摘している
このような韓国の食文化は非衛生的な認識で受け取られ、韓国料理を海外へ伝播する障害物として考えられてきた。 多くの国ではそれぞれの食べ物は取り皿に取るのが一般的だ。 しかし韓国の地方や農村部では今も儒教教育に根付く家長制度が残り、食卓で専横する喜びを誰にも渡したくない旧時代の家長のようなふるまいが残されているという。
過去のニホン統治期以降、個々の食椀文化が一般的になったが、韓国戦争(1950~53)を経て、現在の食習慣が身についたという。
政府はこのような食習慣の改善に向け、昨年▷食事を分けることの削減、▷衛生的箸の管理、▷従事者マスクの着用。を3大改善課題に選定し、32億ウォンを投入して年末までに約2万店の「安心食堂」を指定し、関連物品を支援するとともに、このような安心食堂を全国に普及させる計画だ。
しかし、このような固着化した食習慣への意識改善は、まだ足りないのが現状だ。 飲食店にも個人の皿にすくって食べるサービスを提供しないケースが多い。 京畿道で飲食店を運営するハン·サンチョルさんは「幼い頃からそんなに食べられてきた汚いと思ったことはない」とし「韓国人の "情" が込められた文化ではないか」と話した。
(ソウル/みそっち)
これわね、ソウルっ子でも家族そろって一緒食いが当たり前と考えるひとと、そうじゃないひとがいますよ。過去カキコにもあるんですが、そして韓国のチゲ鍋スプーン一斉攻撃と、振り弁文化には切っても切れない歴史的連続性があるのです。
家族そろってチゲ鍋食いを強制するのは田舎の人にとても多いですね。一つの鍋の中身を皆で混ぜて食べることで、それを提供した田舎ぐらしのひとが「食わせてやった」という満足感が得られるからです。
そいうわけで、ビビンバやチゲ鍋などを料理店のメニューとして認識しながらも、自分の家や招待された家で食べるのはまっぴらだというソウルっ子がとても多いのです。
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韓国の食卓 みんなの分まで混ぜるのが韓国式
ビビンバはひとつの器で家族全員が食べていたころの名残りだ。朝鮮・韓国の古い食器類には個々のお茶碗のような概念が無かった。そのかわり大きめの高麗青磁などのドンブリ状の食器一つが家族全員で使われていたのである。
明治のころ朝鮮を初めて訪問したニホン政府の使者が会談前の食事会の席で朝鮮王室から食事の歓待を受けた際「ひどい臭いがしている」「量が非常に多い」などを書き残している。それは当然のことで、食べきれないほど出された量に満足させ、残すことで満腹を表現させるからである。
そして残ったものは、王室の食膳典部(料理する部署)の料理人が食べることで王様の威光がそれぞれのスッカラ(朝鮮のスプーン)のうえに光り輝くと考えるわけです
それでも威張りたいお年寄りがいる
▲朝鮮時代の良く知られる写真ですね。これをみて「朝鮮人って大食いなの?」なんて誤解されているかもしれませんが、これは彼の世帯に住む家族全員分の食事です。
昔の朝鮮・韓国では、男子たる家主がその日の食卓のすべての料理に箸をつけ、ひっくり返すところから食事がはじまります。お父さんが食い飽きて、やがてひとつの汁物椀にすべてが投入されるとようやく家族の食事のスタートです。 いわゆる「犬にめしをやる喜び」ってことです ※それって間違いなくビビンバですよね。
ここで混ぜるのがおとうさんの重要な役目でした。それからめいめいが一斉にスプーン(韓国語ではスッカラって言うよ)を伸ばして一斉に食べはじめたら、どんぶりに残ったコメつぶを残さずに満喫できるように最後にお湯をいれて回し飲みします。
そういう文化は1970年代になっても韓国の農村部などでは当たり前でした。すなわち、年長者が家族みんなの分を混ぜるという特権的行為を独占していたのです。しかし、そういった文化も1988年のソウルオリンピックの頃を境に徐々に姿を消してゆきました。
※年長者が先に箸をつけて、残りを全部混ぜて家族が食べるってことがね
回し食いに執着するお年寄り、それを嫌う子供たちの世代
そんな文化生活を子供時代を経てきた現在の韓国の高齢者(60代~)っていうのはソウルのアパート生活をするようになり、その子供たちには回し食い習慣が嫌われたこともあって自身で混ぜる特権を行使することもなく不平不満が溜まっています。
その一方で回し食いを嫌がる子供たち(30~40代)が社会の中心になってくるとその両者のあいだで葛藤が生まれたりもします。
ちなみに、無償給食に並び、バッカス公園で男女交際しているのが韓国の ”回し食い世代” で、かれらには弁当を振る文化はありません。回し食い世代のお弁当箱にはぎっしりとイモや雑穀が詰められていたハズです。
ここまでが、韓国のチゲ鍋一斉攻撃スプーン編ってことになります。 ヤダヤダ
ついでに言っとくけど韓国のご飯は白くないです。古米古古米混入率20%くらいなのが流通しているので、何かで色をつけないとダメなんです。だからすぐにキムチを乗せちゃう、ビビンバにしちゃうとか。最近では雑穀米や黒米仕立てにして出てきます。ソウルでは白飯(しろめし)なんてものは日式食堂でもお目にかかれません。
おまけに追加すると、重要なことだけど。インスタントラーメンは1食が袋入りだから、お年寄りの混ぜたい欲求が介入できませんよね。だからお年寄りより若い世代の韓国人の多くがインスタントラーメンを好むのです(他人の箸が入らないでしょ)ところが軍隊の兵舎では兵長の送別会に巨大ラーメンが出てきます。それは若い兵隊に「兵長さまは偉いんだぞ」というところを見せつける為に、みんなの分の一度に作って、最初に兵長が箸をつけたいのです。偉いところを見せつけたい韓国人は、兵舎の分隊という最小の単位に分けても最年長者が威張る精神構造を持っているのです。これが小中学校や一般社会だとしてもすぐに序列化がはじまります。それが悪い習慣だと韓国人もわかっているので、給食をすべて食盆にしました。
混ぜるのが文化
給食の食盆化による個食によって韓国の若い世代や最近の兵隊上りは、お年寄りの食べ残しを不潔なものだとする教育を受けています。しかし、それをうれしく思わない年寄り議員や教育監などが『ビビンバの日』なるものを作って韓国の序列文化とされるマジェマジェビビンバを給食に取り入れたりしています。
実はこれに反対した学校では格差を無くす意味での振り弁を給食に取り入れたりしています。降り弁もビビンバも見た目は似ていますが、お年寄りの思惑があるのが団体ビビンバなのです。
▲韓国では子供たちに回し食いを強要する教育も行われている。ヤンブンビビンバという伝統までこじつけている。※持ち寄った食材を混ぜてみんなで食べる
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お弁当を振る文化はもう少し若い世代の1970年代頃までの食糧不足とその頃広がった貧富の格差の時代に学生だったひとたちからはじまった一過性の現象です。
※韓国が戦前(~1945)のコメ生産量を回復したのは1974年になってから
振り弁は学校に持ってゆく弁当です。ここに1970年代のソウル人口流入から貧困の差が広がります。とうぜん学校でもお弁当の内容に格差が出てきました。お弁当の品数の格差は教室内ではそのまま上下関係を示す格差になります。ではその対策はどのようにしたのでしょうか? ハイ、お弁当の時間になると班ごとに全員のお弁当を大きな洗面器に入れてみんなで混ぜて分け合って食べるのです。これを班食(バンチュク)と言います。
これで、お弁当時間の生徒間の格差が無くなるとホンキで考えたのです。
▲数名分の弁当を強制的に混ぜるという格差解消策が検討された"班食(バンチョク)"と呼ばれる風習では大型の金属製容器に弁当をあけてそれを混ぜることからはじまる。
しかし間もなく、弁当を供出して混ぜるなら各自で振ってしまえば格差が見えなくなると考えて、振り弁がはじまったのです。この頃の韓国人は3食すべてがビビンバ状態だったわけですね。
たとえば韓国通で知られる元日経の鈴置さんのソウル特派員時代は1987年-1992年ですから ”回し食い” や ”無償給食” などは見たことが無いでしょう。
嫌韓論でおなじみの室谷さんはさらに5歳年長(ホントカ)ですが、ソウル特派員生活ではインスタントラーメン生活は見ていても、”振り弁” なんていうのは現地では見たことも無いとおもいます。(混ぜる文化は直接体験しても振り弁の弁当持参はあり得ない)。
「教えず、助けず、かかわらず」でおなじみの筑波大学の古田センセのソウル留学は1980年のことですが、まわりに振り弁を強要された経験を持つ韓国人の学生は大勢いたことでしょう。しかしそれはかれらにとって消去すべき歴史だったはずで、弁当の中身の格差を無くすために強制された振り弁をわざわざ、韓国の最高学府であるソウル大学でやりだす大学生はいなかったハズです。
そういうわけで韓国通といわれるセンセ方も振り弁やチゲ汁回し飲みのことはほとんどご存じないのです えへへ
その後、小・中・高と学校給食の普及(ほとんど無償)もあって、弁当持参が事実上無くなってみると、”振り弁” と言う独自文化もすっかり消えて無くなり、近年の ”思い出弁当” ブーム(ソンナノアルノカ)などは、わざわざリバイバルされた文化であると言えるかもしれません。
おまけ ちょ閲覧注意な
キレイによそられたものをごちゃごちゃに混ぜて破壊するという行為こそ現代の韓国人に与えられた喜びなのです。
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アルマイトの振り弁をストーブで温めすぎると何になる?
ちなみに学校では持参したお弁当はストーブで温めますよね。やっぱりよく温まるとことは学級の有力者が独占します。一番熱いところに朝からず~~っと。あれが長時間化して香ばしく焦げてくるとなんど ”石焼ビビンバ” になるのです。
もともと弁当という文化はニホンが伝えたもので、韓国・朝鮮にはお弁当習慣がありません。そのためアルマイト製弁当箱はすべてニホンからの輸入品でした。(かごを編んだ弁当容器はあった)
韓国でアルミ製品が国産化されたのは電力が安定供給されるようになった1983年ごろからでした。