ムンはワシントンで何してる?
ムン大統領訪米日程始まる お泊りは5つ★ホテル
朝鮮戦争参戦米軍人名誉勲章授与式にムン招待、とんでもない踏み絵
清川江205高地を占領なんて韓国版Wikiは英語版の翻訳だけなんだぜ
まずお泊りだが、ニホンの菅首相がお泊りしたゲストハウスではなく近所の5つ★ホテルだと分かった。黒人のドアボーイが大統領の車列のドアを開けることに対して国内では反発する声が高い。
▲ムン大統領のお宿はホワイトハウス近くの5つ★ホテルだ。
20日には、米最大の国立墓地の一つであるバージニア州アーリントン国立墓地を参拝することから訪米日程を始めた。 ここには、第一次世界大戦(中国は中立)、第二次世界大戦(中国は同盟)、朝鮮戦争(人民義勇軍が参戦)、ベトナム戦争(同左)等の戦没者が祀られ、約40万人の遺骨が安置されている。ムン大統領はすでに3度ワシントンを訪問したが、ここを訪れたのは初めてで。 堅固な韓米同盟を強調したものとみえる。
ムン大統領はこの翌日、韓国戦争参戦勇士にアメリカ最高武功勲章である「名誉勲章」(Medal of Honor)を授与する行事に招待されている。
バイデン大統領は首脳会談が開かれる21日、6·25戦争の英雄であるラルフ·パケット·ジュニア米陸軍退役大佐に名誉勲章を授与する。 バイデン大統領にとって就任後初の名誉勲章授与だ。 また外国の首脳が名誉勲章授与式に出席するのも今回が初めてだ。
ホワイトハウスによると、パケット大佐は1950年11月、米陸軍特殊部隊である第8レンジャー中隊を率い、中共軍との戦闘で清川江205高地を占領するのに(すぐに撤退、のちソウルまで敗走)赫々たる功績を立てた人物で知られる。
バイデン大統領がムン大統領を授与式に招待したのは、中共義勇軍と戦った韓米同盟を強調するためだという評価が出ている。
この踏み絵について青瓦台関係者は、「作戦指揮権も無く清川江撤退は国連軍と中共義勇軍による戦い」とし「韓国軍は砲弾運搬などの後方任務に従事した」という認識だ。
一方、核心議題の一つと見られていたインド·太平洋安全保障協議体「Quad」の韓国の参加については、ホワイトハウスと日本外務省が「拡大計画はない」としている。
韓国軍は朝鮮戦争で超時空的な戦闘を繰り広げ数々の大勝利を上げたことになっていますが、それは開戦の瞬間からマッカーサーに作戦指揮権を渡した7月13日頃までの間に集中しています。韓国軍の勝利の94%がその期間にあるわけです。これは韓国軍が独自の作戦で各地で敵勢力と戦闘したことをすべて勝利したとしているからです。そして、作戦指揮権が国連軍の最高指揮官だったマッカーサーに渡ると、韓国軍の営業日報はその日から米軍が事実報告をすることになったので誇大勝利報告の一切が消えてなくなったわけです。※任務と補給も国連軍(米軍)が行うのね
あのムスタングが玄界灘を渡ってキタ朝鮮軍を空爆した与太話は韓国軍の営業日報の「今日の売り上げ」で記事になったので韓国人にとっては真実というわけです。もちろん他所の会社の営業成績を米軍株式会社がカウントする必要も無いので米軍は知らん顔ですよ。そして戦線崩壊した韓国軍はその直後に解散しているのです。そして韓国兵はAフレームアーミーという荷担ぎ要員として米軍の物資を運ぶことになりました。もう戦争に参加してませんから超時空戦記はおしまいです。大韓海峡海戦という与太話も指揮命令と記録がすべて韓国軍だったので、6月26日の海軍大勝利が記念日になっていたりします
▲東亜(トンア)日報は1面のトップに"国軍精鋭北上総反撃戦展開"というタイトルの下、国防部報道課が6月26日午前10時に発表した内容をそのまま掲載した。海州(ヘジュ)市を完全に占領したというものだった。”大韓海峡敵艦撃沈”も当然ながら嘘
◎海州市一番乗りをしたと主張した韓国軍参戦兵士は手厚い補償を求めて事実確認の訴訟を起こしたが、ソウル高裁の判決で「そうした事実は無い」と却下されている。
◎50年7月末のソウル解放で総督府に国連旗よりさきに太極旗を挙げたと主張した当時の海兵隊上士が認定訴訟を起こしたが却下されている
◎同様に議政府市奪還を主張した元ペク将軍部隊所属の参戦兵士が北朝鮮軍に大勝利したと主張したが却下されている
なにしろ韓国軍は解散しちゃったわけですよ。そんなところに危機感を感じて、国民防衛軍事件みたいな兵隊集めをやってしまいました。結果はもうご存じでしょ。
「ヤンキーの若者の戦死」⇒「最前線で戦う韓国軍」
そいでも米軍占領地の守備に武器を持たされた韓国軍が武器を全部捨てて逃げてくる事件が起きると韓国軍はそれっきり砲弾と糧秣運搬が専業になります。ペク将軍みたいなのを「最前線で戦う韓国軍」みたいに利用して「ヤンキーの若者の戦死」のかわりに韓国人が戦っていることでごまかしたかった米軍の思惑ってものがペク将軍神話みたいなものになったりしていました。
だって、ペク将軍って自分の部隊が無かったって自分で言ってますよ。「ペク将軍の部隊で北朝鮮軍に大勝利した」という自称部下で参戦有志(勇士)が手厚い補償を求めた訴訟で。「戦った事実が無いので却下」と言う判例が出ています。ペク将軍の部下や部隊が無かったことは現実社会でもそのように認識されています。
っとハナシが脱線しましたが、参戦兵士に名誉勲章授与+ムン大統領参列っていうのは中国軍のかっこうのネタですから青瓦台は「韓国軍は砲弾運搬などの後方任務に従事した」という認識だ>>>というお答えを出したのです。そいうことだぉ
まぁ超時空戦記モノは朴正煕~全斗煥あたりの取り巻きが「点数分配」のために捩り出した与太話なんですよ。※「点数分配」点数獲得では無い、成績を上げずに、すでにある評点を分配すること。
少なくとも軍人出身の大統領のお二人には先輩の将軍のなんて邪魔なことだったようで、ペク将軍とかユ・ジェフン将軍とかが在外大使館で大使しているあいだに若手の軍部が創作したものなのです。※その頃の旨味を忘れられないのが報勲協会などの団体
さて、韓国軍の与太話に付き合ったのは1951年当時の共和党アイゼンハワーということです。ですから民主党のバイデンは面白くありませんよね。そこで超時空戦記を逆手に取って韓国を圧迫しているんだということです。タブンナ
そいじゃぁ超時空戦記とペク将軍ファンもびっくりのお話です
51年5月15日夜、中朝軍による5月攻勢が開始されると北朝鮮軍は半島東部の太白山脈沿いの韓国第3軍団に攻撃の矛先を向けた。韓国第3軍団(ROK III Corp)が国連軍の弱点と見抜いていたのである。攻撃を受けた韓国第3軍団は戦うことなく砲、重火器を放棄しただけでなく敵の目につきやすい輸送トラックもあきらめ、携帯武器も捨てながら山岳地帯を南に逃走。将校には捕虜になった際の用心として階級章をもぎ取る者まで続出した
当時、韓国第3軍団解体の過程でヴァンフリート将軍と劉載興(ユ・ジェフン)将軍との対話は有名なエピソードで残っており、これも軍内外では取りざたされている。
ヴァン・フリートは、"劉将軍、あなたの軍団は今どこですか?" すると、劉載興(ユ・ジェフン)将軍は "分からない" と答えたという。
これにヴァン・フリートは "あなたの隷下師団はどこですか? すべての砲と輸送装備を喪失したというのか."と詰問すると、"そうです。"と答えた。 これにヴァン・フリートは"あなたの軍団を解体します。 他の補職でもやってなさい!"と話した。
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抗がん剤は免疫力を強化するほうのお薬のようです。がん細胞を攻撃するんじゃない方
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