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嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

海上警察501号艇艦長のその後

[海軍哨戒艦沈没]切迫した沈没時の海上警察501号艇艦長
 
[アジア経済ジョソンフン記者]   2010.03.30  
"到着したら天安さは3分の2が水に沈んで艦尾には見えないこともなかった。船は右に90度の傾斜だったし乗組員は、艦首の砲塔や操舵室に集まって救助を待っていた。波は3メートルに高く、アクセスが容易ではなかった"
 
http://www.kyeongin.com/news/photo/201003/509834_134120_1812.jpg
▲まさに殊勲の英雄な 沈没事故現場で56人の乗組員を救助した仁川(インチョン)海洋警察501警備艦コ・ヨンジェ艦長 しかしこのあととんでもないことに♪

去る26日、白翎島近海での海軍の沈没事故現場で56人の乗組員を救助した仁川(インチョン)海洋警察501警備艦コ・ヨンジェ艦長は緊迫していた当時の状況を伝えた。
艦長を含む乗員28人を乗せた海上警察501号警備艦は30日午前1時、仁川海洋警察専用埠頭に復帰した取材陣などには、仁川(インチョン)海洋警察の2階の会議室で、行方不明者の救助、当時の状況を説明した。
海上警察501号艇は、当時、大青島付近の海上警備活動の中、軍の要請を受けた海上警察の指示に応じて、10時15分、事故現場に到着して救助に投入された。
海上警察501号艦長は"あの時は海軍の艦艇4隻が先に到着していたが、波が高い上、天安が傾いてアクセスするのが難しかったようだった"と明らかにした。 
また、"船体がどんな状況は確認できなかったが、3分の2が浸水されたことを見た"と付け加えた。
艦長は、58人の救助の将兵56人を501艦が救助出来た理由について、"当時の波が3メートルに高かったうえ、天安が90度横になって海軍艦艇の係留が不可能に近かった"としながら、"ゴムボートである短艇は救助活動することができた"と説明した。
さらに、ほとんどの天安乗組員たちは操舵室と砲塔などの艦首部分で救助を待っていた。 一部には救命胴衣を着ていたが、着ない人も多かった。.また、乗組員の見た目はほとんど良かったし、水に濡れた様子ではなかった。 これらは、船が沈む状況下でも冷静さを維持したと見る。
ギム・ナムオ501艦甲板長は、"乗組員たちは舷側に戻り、船体の左に上がっていた"としながら"のように抜け出せないの仲間の乗組員たちの思いで涙を流した人々もたまにあった"と当時の状況を説明した。
"最後の5回目救助の時、天安はほとんど浸水され、27日午前2時30分までに調査したが、追加で発見されたものはなかった"と明らかにした。
海上警察501号艇、コ・ヨンジェ艦長証言・動画で構成した事故当時の状況
2010.03.31
[京仁(キョンイン)日報=キム・ソンホ記者]去る26日午後9時34分. 大青島(テチョンド)近海で海上警備活動中だった海上警察501艦に海軍状況室から緊急救助指示が下った。
'海軍哨戒艦がペクリョン島南西側1.2マイル海上座礁していると迅速に移動して救助しなさい'という指示であった。
全速力で40分を走った午後10時15分. 事故現場には海軍高速艇4隻が天安(チョナン)艦周囲をはいかいしながらサーチライトを照らしていた。
 
http://keyframe.imnews.imbc.com/desk/2010/03/30/1/Large_1766234.jpg

海軍高速艇乗務補助員らは救命用具などの装備を持って甲板に出て接近を試みていた。 約3分の2程度が浸水した天安(チョナン)艦の艦尾の部分は見られなくて90度ほど右側に傾いていた。 天安(チョナン)艦乗務補助員らは艦首の部分の砲塔と操舵室付近に集まっていた。 乗務補助員中には制服を着た人もいたし作業服と勤務服を着た人もいた。 患者と見える乗務補助員も何人か見えた。

高速短艇2隻を利用して午後10時30分から始まった救助作業は午後11時35分まで5回にかけて進行されたし、艦長を含んで天安(チョナン)艦乗務補助員56人を救助した。 救助された天安(チョナン)艦乗務補助員は501艦の食堂と士官室で待機して0時20分頃、海軍高速艇に引き渡された。 捜索作業は27日午前2時30分まで継続されたが追加的に救助された人はなかった。
 
http://img.yonhapnews.co.kr/photo/yna/YH/2010/03/30/PYH2010033000100006500_P2.jpg

30日0時40分仁川(インチョン)海洋警察署艦艇埠頭に入港した海上警察501号艇コ・ヨンジェ(56)艦長は事故直後の急で差し迫った状況を説明した後"多くの失踪者ができて残念で失踪者家族に慰労の言葉を伝える。最善を尽くしたが申し訳なくてはやく救助されるのを切実に始まる"と話した。

501号艇で撮影して30日公開された116分分量の動画にも息が詰まった当時の状況がそのまま含んでいた。

映像は501号艇に搭載された高速短艇1隻をクレーンを利用して水の上におりる姿で始まる。 全長6.9mの高速短艇1号は赤色警光灯を光って海の上漆黒のような闇を横切って沈没中である哨戒艦船体のそばにぴたっとついた。 船体は水に半分ぐらい沈んだまま右側に90度傾いていて船首の部分を上から見下ろすように見えた。 事故海域を照らす海軍高速艇らと501艦のサーチライトあかりの中で甲板に湧いたマストと2個のフォー、国籍識別のために付けておいた太極旗の姿がくっきりと見えた。

1次救助を終えて帰ってきた高速短艇には生存者12人を含んで全16人が乗っていた。 501号艇のそばにつけた高速短艇が波のためにひどく揺れる中で白色長Tシャツを着た海軍将兵1人が501艦の欄干を捕まえて上がって初めて救助された。 この将兵には傷を負ったり恐れる表情を見つけるのが難しかったし比較的落ち着いて船舶の上に上がる姿だった。

哨戒艦の船首はその少し後、最後の端だけ残しておいたまま大部分海中に沈んだ。 沈没中である船首で哨戒艦固有番号の'772'が眼に触れた。
 
ところがこんな記事もあるのです。
 
甕津郡所属の漁業指導船は9時32分頃、第2艦隊の連絡将校から場村潟沖の天安が沈没中なので救助してくれという連絡を受けて9時50分に現場に到着した。朝鮮日報の記事は、そのように伝える。

<26日午後9時45分ごろ、漁業指導を終えてペクリョン島に停泊していた甕津郡庁所属の214号漁業指導船ギムウォングク船長は海軍第2艦隊司令部からの無線を受けた。 " 場村港の前で天安が沈没しているので、船員たちを救助してくれ "というものだった。

5分後に現場に到着した214号が映されたサーチライトの前には、水面上2mだけを残して水中に沈んだ天安艦が示されていた。 キム船長は"兵士数十人が転倒した船の上に乗って助けてくれと叫んでいた"と述べた。 原因不明の爆発で船が真っ二つにして所定の相当数の乗組員が、既に水の中に飛び降りた後だった。>

http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2010/03/29/2010032900011.html http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2010/03/29/2010032900011.html
 
ちょっと連行しますっ

▲翌朝のテレビ報道ではなんと犯罪者のように連れてかれちゃうシーンが
 
仁川に帰ってきたらなんと国家情報院の職員が待っていて どこかに連れてかれちゃったのです。
その後の船長のお話は都合よく作り替えられたシナリオに沿った事だけがその後の記事になりました。
それから?    えっとね ちゃんと証人として国防委員会のアレに証人として出てますけど
救助の実際の時間とか あいまいなお言葉だけでした。    合掌!