minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

アノ国が海戦だって あひゃひゃっ

 
 
 
 
知らされなかった戦闘,
白頭山(ペクトゥサン)艦と60人の戦士ら
 
6.25戦争序盤韓国は釜山(プサン)を除いて全部北朝鮮軍の手に入った。  ※ソウル陥落は開戦から3日後ですょ
釜山(プサン)は臨時首都としての機能を遂行したし釜山(プサン)港から入ってきた国連軍は戦況を逆転させていくことができた。
釜山(プサン)港が生き残ったので可能だったこと。   
※アノ時もうちょっとだったのにね
それなら釜山(プサン)が最後の砦であることもあった理由は何だったのだろうか。 ここには私たちが分からない限り戦闘があった。
すぐに大韓民国最初の戦闘艦pc 701白頭山(ペクトゥサン)艦が行った“大韓海峡海戦”だ。
 
本ドキュメンタリーは大韓民国最初の海戦であり釜山(プサン)で浸透しようとする北朝鮮特需部隊を防ぐことによって戦いの形勢が逆転されることができる大切な踏み台を用意した6時間の間の戦闘を通じて貧しかった建国初期我が国海軍が給料を分けて購入した韓国最初の戦闘艦と愛国心に燃えた若い将兵らの純粋な護国子を再確認しようと思う。
※そんなフィクションが放送されたのは2008年だそうです  このあいだですね 
 
■私たちは戦争が起きたのも知らずにいただろう。..
 
▲くどいようですが“韓国海軍”とは全く関係無い資料画像です、なぜ流用するかな

 
1950年6月25日. 鎮海海軍基地は平和だった。 誰も戦争が起きたことを知らなかった。 pc701白頭山(ペクトゥサン)艦乗務補助員は大部分外出を出て行った。 非常召集サイレンが鳴ったことは午前11時を越えてからだった。
白頭山(ペクトゥサン)艦に通達された命令は単に玉階付近に出現した人民軍艦を防げということだった。
だが、その時はすでに玉階、蔚珍(ウルチン)、浦項(ポハン)まで北朝鮮軍特殊部隊が上陸した状態であり最後の船一隻が釜山(プサン)に向かって南進していた時であった。 いつもあるささいなキョジョニンジュルロマン知っていた白頭山(ペクトゥサン)艦乗務補助員は自分たちがどれくらい重要な戦闘を行わなければならないのか全く知らずにいた。
※キタ朝鮮軍特殊部隊が上陸したことはありませんし“我先に逃げまどった”韓国人(軍じゃないょ)による“火病(ファビョン)発作”だったというのが国連調査団による公式見解です。
 
 
■釜山(プサン)港の機能をマヒさせろ

釜山(プサン)港はその当時荷役施設を整えた第1の港であった。 北朝鮮はこのような釜山(プサン)の機能をマヒさせることによって韓国側を支援するために到着する国連軍の支援を防ごうと思った。 6.25戦争当時北朝鮮のゲリラ戦が成功したとすれば戦争勃発二日後到着した国連軍は進入路を遮断されただろう。 白頭山(ペクトゥサン)艦pc701はこのように重要な交戦を控えていた。
 
 
 
■韓国最初の戦闘艦、白頭山(ペクトゥサン)艦!
 
キタ━(゚∀゚)━!  
 
当時韓国の海軍はそれこそ見かけが悪かった(今でもネ)。 日本が捨てて行った船と木船だけだったし海戦用大砲が乗った戦闘艦はそれこそドコにもなかった。  ※もちろん指揮権も無いし、大体ね鎮海港は軍港じゃないし それにニホンが置いていった船をその後大事に702艦 703艦って名前付けてるし(掃海艇?)
 
 そのような中で白頭山(ペクトゥサン)艦は兵士たちが給料を集めて引き受け費用を用意して持ってきた最初の戦闘艦だった。 2次大戦当時米国によって完成された白頭山(ペクトゥサン)艦は戦闘艦としての生命をつくして退役した状態であった。  ※よくわかってるじゃないですか!
 
 
▲残念なことに休戦後の記念撮影のようです それとも米軍士官による回航直後の写真かな?  15人って多いんですね  あひゃひゃっ  左写真前列のネクタイさんはアメリカ海軍さんだそうです。
 
 15人の引き受け団員はニューヨーク近隣ホ・ポケンという都市に停泊していた白頭山(ペクトゥサン)艦を一ヶ月間、宿泊を解決してサビをぬぐい取ってペイントをまたした。 12月24日クリスマスイブに行なわれた命名式に参加した三十人の韓国人は涙を流して愛国歌を歌った。 6.25戦争勃発6ヶ月前だった。
 
 
命名式? ううん その頃って韓国に海軍なんて無いですから
 
 

■面舵監視兵で! 所在不明船舶発見!  (訳:右舷になんかあるかもっ)
※おとといも民間飛行機銃撃しちゃう国ですよ しかも60年前ですからネ
 
1950年6月25日15時白頭山(ペクトゥサン)艦が出港した。 出港してから五時間、面舵キョン時を見ていた造兵号一等水兵の望遠鏡に受賞した延煙が捉えられた。 東海岸近隣にその海上封鎖命令が下された状態. 黒い煙を込み上げるだろうや降りてくる所在不明船舶の正体は何だろうか。 国家基本もなくて船舶番号もなくて白頭山(ペクトゥサン)ハムは船の正体を分かるために国際信号を送るのに発光信号を無視したまま継続南下する所在不明船舶. 白頭山(ペクトゥサン)艦は四時間余りの追撃終わりに接近を試みる。
 
※どんだけ遅いんですか 当時から“キタ朝鮮の特殊工作船はそんなに速かったの? キタ朝鮮の特殊工作船はその後、南韓国商社輸入のアメリカ製エンジン搭載の秘密工作船であると断定されました。 
 
※6.25当日は韓半島全域が梅雨前線の影響で雨または曇り、当夜の月齢は半月ということで敵艦発見の午後8時は月の無い闇夜だったそうです 見えたのか?
 
 
 
▲生き残りだと自称するおじいちゃんの登場、カレの軍務経歴は不明なところが多く在郷軍人会によって最近になって身分保障された 、それによれば当直士官だった
 
 

■重武装した軍人が甲板の上をいっぱい埋めて ※見えたのね?
 
接近して確認した結果1,000t級輸送船の上には重武装した人民軍がぎっしりと座っていた。
機関砲などで武装した所在不明船舶は釜山(プサン)港の機能をマヒさせるために南下した北朝鮮軍の特殊部隊であった。
白頭山(ペクトゥサン)艦は攻撃準備に入ってチェ・ヨンナム艦長は誤認射撃の可能性をなくすために砲弾一発を威嚇射撃することにするが、砲弾が飛んで行くやいなや白頭山(ペクトゥサン)艦に向かって飛んでくる機関砲.
所在不明船舶はすでに戦闘準備に入った状態であった。
この船を防ぐことができなければ釜山(プサン)港は危険に直面することができる状況.
朝鮮戦争の状況をひっくり返すこともできる重要な海戦.
白頭山(ペクトゥサン)艦は果たして北朝鮮特需部隊を積んだ輸送船を防ぐことができるだろうか。
 
 
その後夜が明けて漂流物すらない“日本海”を漂流した“白頭山(ペクツハム)艦”は “何の戦果”もあげられないまま鎮海港に帰港する それがやがて“大韓海峡海戦”での“初戦果”となり艦長らが栄進するのは南北休戦後のことになる・・・・・・
 
荒天の艦上で大砲を・・・ それで?  照準付けた機関兵さんが   ふんふん   初弾命中っと
 
その大砲の弾、見たいですね “ただの一度も試射しなかった” そんな大砲ですか  へぇ~~
 
 
 
追記 韓国船員の給与 4ドル  砲弾一発 30ドル
 
追記② 米軍が韓国海軍の艦艇に砲弾を供与した事実は確認されましたが代金の支払いは1970年の段階で未払いだということです (別の艦かもしれないけどね)
 
 
 
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アメリカの某海洋大学の実習船として払い下げられたWhitehead艦、名前が偶然白頭山艦になったらしいです これを口説き落として購入しました
お値段は18,000ドル  これって安いの?
 
ニューヨーク港にあったんですがどうやって太平洋にやってきたのは不明です、当時独立国として認められたばかりの大韓民国の軍艦パナマ運河を通過できるハズはないのでまだアメリカ船籍だったと思われます。しかも大砲などの武装はハワイ真珠湾で載せているので大砲もない状態で太平洋を渡ってきました これが1950年3月ですね 韓国人による太平洋横断の記念すべき第一回目の航海ですよ ※ニホンの咸臨丸の太平洋横断は1860年でした