minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

ソウル清渓川の洪水について②

 
ご存知のように韓国ソウルを流れる清渓川の水源部分については Wikiセンセによると地下水を放流したりしているのが水源のようです
 
 
清渓川(チョンゲチョン)は、韓国ソウル特別市の中心部を流れる小さな漢江に合流する。
李氏朝鮮初期以来、周辺住民の生活排水が流入する下水道代わりの川として利用されており、浚渫・護岸工事が、たびたび行われている。1950年代から1960年代の韓国の経済成長・都市開発に伴いさらに水質汚濁が悪化し、また川岸に朝鮮戦争の避難民などがスラムを形成していた。このためソウル市当局は清渓川を暗渠化し住民を強制移住させるとともに、暗渠の上を通る清渓高架道路1971年に完成させた。
その後、2000年代に入り市民の署名などにより清渓川復元の世論が高まったことを受け、2003年7月から2005年9月にかけ老朽化が問題となっていた清渓高架道路の撤去と同時に河川の復元工事が行われた(全長約5.8km)。河川の清掃・地下鉄駅舎等から出る地下水を放流するなどの水質浄化対策や親水施設の整備を行った結果、市民の憩いの場となった。
交通事情を考慮して周りの主要道路などの拡張整備を行ったため、清渓高架道路を撤去した後でも交通問題は生じていない。
清渓川の復元は素敵な宇宙船地球号でも取り上げられている。
 
道路は冠水しても水質汚濁の原因になるから雨水や生活排水が流れ込まないようになっているようですネ
▲昨年9月のソウル大水害の時の写真、付近の道路が冠水しても雨水は流入しない。 地下鉄汲上水が止まるとき それは韓国地下街(って言うほどじゃないけど)が完全水没する日だ
 
韓国ソウルを流れる清渓川は地下水を水源としてソウル市内に放流されている、昨年9月の大水害の際にも地下鉄浸水の汲み上げが滞りなくおこなわれたので、見てのとおり 周囲の大水害とは全く別に水量は変化していない。
地下水を水源としているため生活排水や雑排水の流れ込む流路が全く欠如しているので地上の溢れるような大水害の影響は受けていないことがわかる。
 
 
そんな清渓川の懐かしい写真を一挙公開しちゃうのです  ところでInternetExplorer9にすると写真が張り付けられないんですょ 大至急どーにかしてほしいですね
 
京城名所 鐘路通りの写真 もちろんニホン統治初期の頃の写真です 上写真の伝統的韓国建築の手前側が、ソウル(当時は京城)の中心部を流れていた清渓川、あらゆる汚水とゴミが伝統的衛生観念から垂れ流されていたのだとか
 
 
▲これも清渓川の当時の写真 上水道がニホン統治政府によって整備されたあとも1970年代までの間ソウル市内では日常的に河川での洗濯が行われていた。 もちろん洗濯~排泄物まで このあたりで韓国人の“異常糞尿愛”という基本精神が生まれたとされる。
 
 
▲井戸という概念がニホンの統治政府によってもたらされるまでのあいだ、清渓川は貴重な生活用水であり、また生活排水の流れ込む排水路でもあった  上側写真は “水汲み夫”っとあります すぐ隣が生活排水の清渓川 このへんで “10mも離れれば清水”という韓国型基本概念が生まれました。
 
▲今では見ることの少なくなった伝統的韓国風俗“キセルを吸う朝鮮人” 履物にも注目したいところ 
“いつの時代なんだっ”  記録には1930年代とありますから日本統治時代ですけど 何か?
 
 
▲ニホン統治時代に整備され始めた清渓川に石造りの橋がかけられるようになっても伝統的に川で洗濯をするという習慣は無くなることは無かった。 背景にはニホン語の看板が見られる清渓川のようす  ※背景にある中央商会は現在もオオサカで医薬品商社として残っています   あメンソレータム
 
▲清渓川のようす 子供が用便をし洗濯をする清渓川 何事も“慣れが肝心”と言えるでしょう
 
▲完全にドブ川となった清渓川フタをする工事がすすめられた 川岸に寄り添うように密集している韓国伝統の建築物も1980年代までには撤去されたという 南北分断での難民が住み着いたということで決着しているが
現在の韓国に この場所に住んでいた っと自称する韓国人は誰一人いない 本籍浄化によって三代前の先祖の住居跡すらわからないのが韓国流なのだ
 
▲清渓川に蓋をする事業は予算不足と民度の極端な悪影響でこのあと50年にわたって工事が続けられた
このあと蓋をされた清渓川は汚染が進み完全な“都市型暗渠”となった また杜撰な工事で道路が波打ち自動車の通行が制限された 完全に掘り返され地下水流入路になるまでは 韓国最大の汚染臭の源だった
 
▲当時から河川の上に住居を構えるという税金逃れの手法が使われたが、その後になって“住所不定居住者”という分類がなされて現在に至っている、 これは戦後の様子だがこの風景も1980年代まで多く見られていたという。
 
▲家財道具の散乱しているなかで“韓国伝統的自転車”が写っている、当時から“韓国伝統自転車窃盗”は多かったらしくわざわざ家屋の一番奥に位置する“韓国伝統のサンルーム”に運び込んでいるのがわかる。
韓国で自転車製造業がはじまるのは1970年代まで待たなくてはならない、東南アジアからの部品輸入自由化台湾製自転車によって完全に駆逐されている。
 
▲水害や火災などがあったわけではない日常的な風景のひとコマ、自然崩落するのも“韓国伝統の建築物”ならではの光景である。 台風があったとか爆弾が落ちたという状態では無いんだそうです
※ニホンの神田川とか石神井川もこんな頃があったんでしょうか
 
▲白黒写真を着色した“清渓川に憩う住民”  伝統的な韓国家屋の様子がよくわかる貴重な写真だ。
当時から軒先がまっすぐキレイになっているのが滑稽である。 ※歪んでいるよね
 
▲高度成長時代に程遠い国連統治の頃写真、街頭公衆トイレが並んでいる、 下水道という概念が出来て間もなく“排水管は先進国ニホン基準の7割の内径で”という方針で作られた為に断面積は50パーセント以下という寒い状態が現在でも続いている。
 
▲ちょっとだけキレイになった1990年代中頃の写真、この頃まではソウルを流れる下水道としての役割も多く、地下鉄の排水を流すようになるまでにはまだ大夫時間がかかった
▲無秩序に建てられた“伝統的韓国家屋” 後方では高速道路の建設が進んでおり1970年代の写真とされる この当時のソウルの舗装比率は20パーセント未満(主要道路のみ) 果てしなく続くぬかるみがアノ国の前途を物語っている。
 
 
清渓川の上には高速道路があった
 
▲暗渠とされた清渓川の上に高速道路建設が始まったのは1970年代、この高速道路は当時からどこにも接続することが無かったため2004年に撤去された。 一部資料には高速道路として使われたとあるが、建設当初から路面が波打ち通行できる状況ではなかったというのが当時を知る人の説明だ。