天安艦事故時の失踪乗員のメール再掲載っと
失踪者のチャ・キュンソク(21)下士のガールフレンド キム・某(23)氏の話を聞いてみれば、チャ下士は事故がおきた26日夜9時頃午後勤務を終えて休息を取りながらキム氏とメールのやりとりした。 キム氏の文字メッセージ内容を見れば、事故46分前の夕方8時44分頃文字をやりとりし始めたし、二人は3~4分間隔で32分間21通の文字をやりとりした。 ところで事故14分前の夜9時16分頃チャ下士は “退屈で。酒飲みてぇ”という文字を送った後突然連絡が切れた。 文字が切れたのを不思議に思ったキム氏が夜9時30分以前また文字を送ったが、その時からは全く連絡がつかなかった。
ところでチャ下士の連絡が切れた見解は国防部が明らかにした事故時刻と14分の違いが生じる。 天安(チョナン)艦のチェ・ウォンイル艦長は去る27日“26日午後9時25分頃当直点検を作戦検討中であり、午後9時30分頃事故がおきた”と明らかにしたことがある。
事故発生見解が国防部の公式発表と違うという情況証拠はこの他にも多数がいる。 28日海洋警察庁で発表した資料でも今回の事件発生見解を26日午後9時15分で書いている。
当初国防部は今回の事故時刻を夜9時45分で発表して一日二日ぶりにこれを夜9時30分で正した。この頃になって海上警察は今回の事故が初めて申告された見解が午後9時33分という資料を発表した。 チャ下士のお父さんカトチャン(50)氏は“事故当時14分あれば数十人の生死を分けることができる途方もない時間”としながら“船が沈む前に船内でどんなことが起きたかを全部明らかにしなければならない”と話した。
事故直前状況を置いても軍当局と警察説明は交錯する。 軍は“天安(チョナン)艦艦長が爆発の後“大きな穴が開いたのをを見た”とした。
だが、本来天安(チョナン)艦、チェ・ウォンイル艦長は“爆発と共に直ちに船が真っ二つになった”と話した。
しかし海洋警察庁は“海軍側から来た最初の救助信号は‘座礁事故らしい、船で水が漏れる’とのことだった”と明らかにした。
事故直前天安(チョナン)艦中で他の緊急状況が発生した可能性があることだ。
失踪したチャ・キュンソク(21)下士とガールフレンド キム・某(23)氏がやりとりした文字メッセージもこういう可能性を見せている。
8:44 ああ テレビ見てる
8:52 うん そっちはどう?
9:07 ん? お~~ぃ 返事っ
9:13 まさか こらぁ
9:16 うん 退屈だぉ
この日夕方寂しがってキム氏がやりとりした文字メッセージ内容を見れば、8時40分頃チャ下士は食堂にあるテレビを視聴していたものとみられる。
チャ下士は‘夜12時~明け方4時勤務→就寝・休息→昼間12時~午後4時勤務→就寝・休息’という3交替日程により勤めたので当時は休息時間だった。 したがって夜9時30分に事故が起こったとすれば夜9時16分で9時30分間にキム氏に返事をしない理由があまりない。
この日文字をやりとりしながらもメールの返事をはやくしないと2度も怒った人はチャ下士であった。
ところがこの日夜12時勤務を控えていたチャ下士が32分の間キム氏と文字メッセージをやりとりして夜9時16分頃突然連絡を切ったのだ。
キム氏は“普段の嫉妬深い行動で見て理解することはできない”として“普段には文字メッセージ着信後に直ちに返事を送った”と話した。 最後の文字メッセージを送った夜9時16分直後に他の事故ができた可能性があることだ。
キム氏は“キュンソクが事故当日明け方にも‘君の文字の声(メール)で目が覚めた’という返事を送った”として“キュンソクは文字来る声(メールの着信音)で眠りから覚めるほど鋭敏だ”と話した。 キム氏は“キュンソクと4年後結婚しようと未来を約束した”として“この日もキュンソクが文字で私の友人らに来月29日内誕生日贈り物で何を与えれば良いのか尋ねたという”としてしくしく泣いた。
海上警察‘26日天安(チョナン)ハム事故当時生存者58人救助動画’公開
去る26日夜ペクリョン島近海に天安(チョナン)艦が沈没する当時救助される光景を海上警察がとった動画が公開された。
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