minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

ソウルの真ん中から600年前の住居跡

 
 
 
朝鮮600年の歴史がアスファルトの下から発掘
 
何故か発見されない井戸と便所の謎 場所はもちろんそうる中心を流れる清渓川のすぐそば、飲み水と用便を一箇所で解決していた可能性が急浮上
合理的な水周り事情、もちろんお洗濯も一緒ね
 
 
 
イメージ 1[ソウルミーナ]ズンデトックヘジャングクで有名なソウル、鍾路区(チョンノグ)、清津洞(チョンジンドン)アスファルト道路の下から朝鮮時代600年歴史の跡がにじみ出る生活遺物が発掘された。 ソウル歴史博物館はその間清津(チョンジン)地区発掘成果を一ヶ所に集めて朝鮮時代生活像を生き生きと再現する‘アスファルトの下から-清津(チョンジン)発掘の九つのなぞ’展示を26日から翌月29日まで開催すると24日明らかにした。
 
ズンデトックヘジャングクとは韓国のワケのわからないものの一つ食中毒の原因になるとされるイメージ 2
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何故、井戸が無いのだろう ヒント:川が流れているから
 
博物館は今回の展示を通して清津(チョンジン)地区発掘結果は朝鮮初期都市原形をそっくり見せていて当時の城域と庶民居住区一帯の姿をなぞを解いていく方式で展示すると説明した。
 清津(チョンジン)地区でお手洗いに関連した遺物が発掘されない点を土台に当時清進洞(チョンジンドン)に雲のように駆せ参じた人々が用便をどのように処理したかも推測してみる形だ。 この他にも井戸がたくさん発見されない点、ソウルど真中の住宅街で遺構が発見された理由、家ごとに土の中にふたを覆った壷を埋めておいた理由などを解いていく。
 
 
何故、便所が無いのだろう ヒント:川が流れているから
 
博物館関係者は“朝鮮時代には家ごとにお手洗いを別に作らなくて庶民が集まって住んだ清津(チョンジン)地区一帯にお手洗いの場所がないことで推測している”として“このように他のなぞの答も今回の展示で公開するだろう”と話した。
 
(翻訳:みそっち)

 
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▲ニホン統治時代の清渓川に架かる橋、 "水標橋"というのがその名前。このような歴史遺産は当時のニホン総督府が手厚く保護をした。
 
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▲時代は朝鮮戦争が終わったあとあたり、"復員してきて川の上に住む"というステキな時代は1980年代になっても残っていた。(河原乞食の由来参照)
 
 
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▲こざっぱりとした格好で崩落した我が家を見ながら"戦争が休戦"したことに安堵している様子が見て取れる、水量が増えていないことや隣家が壊れていないことから"自然崩落"の元祖写真だと見ることが出来よう
 
 
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▲1980年代になってもこのような居住形態は伝統的に受け継がれており1988年のソウルオリンピック開催の際にそのほとんどが撤去された。
川岸に朝鮮戦争の避難民などがスラムを形成していた。このためソウル市当局は清渓川を暗渠化し住民を強制移住させるとともに、暗渠の上を通る清渓高架道路1971年に完成させた。
 
 
 
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▲住居と川の関わりがよくわかる韓末~の着色写真 やはり川で洗濯をするのが好きなようだ。
※韓国の洗濯風景にはもちろんタライというものは登場しない、タライが朝鮮半島に持ち込まれるのは韓末~ニホン統治時代であり、それまでは川を有効に利用していたのが伺える。
 
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▲清渓川の上に高速道路が通ることになった、その工事中と見られる写真(1960年代)この時代も一段と不潔さをただよわしている。ソウル周辺には農業に適した地面が無いために"人糞"の農業利用もままならずほとんどが川へ投棄されたと見られる
 
 
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▲現在もソウルの中心街を流れる清渓川で洗濯をして子どもらが水遊びに興じる風景、飲み水ももちろん清渓川であっただろうし、しゃがんでいる子どもたちの"うんち"も水洗式だったと断定できる写真
  
2010年8月16日にソウル市が発表した水質調査の結果によれば、年平均の大腸菌数において、韓国で水遊びが可能となる基準を上回ることが発表された。ソウル市当局の説明によれば、市内の下水道の構造上、一時的に未処理の下水が川へ流れ込む場合があり、大腸菌数が増える時期があるという
※毎年でしょ
 
 
 
訂正します:当時の朝鮮ではお手洗いを作ることはせず"路上にしゃがんで済ませていた"という記録がちゃんと残っているそうです ニホン総督府がトイレの設置を義務付けたところ原住民らの反対運動があったということです