minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

今日もおかしな韓国っ

台湾がうらやましいニダ
 
韓国に最も感謝しなければならない国は?
  http://www.newdaily.co.kr/news/article.html?no=116903
6.25のおかげで地獄門の敷居で生き返った台湾だ。 
趙甲済  ←ここ注目
 
地球上で韓国に最も監査しなければならない国はどこであろうか?
 韓国が米国に感謝しなければならないように。 正解は台湾だ。 一時自由中国と呼ばれた国だ。
 
1992年盧泰愚政府が中国と修交する前まで韓国は台湾を中国全体を代表する唯一の合法政府で待遇した。台湾政府の創設者蒋介石は1949年毛沢東に押し出される時まで中国本土を治めながら韓国の独立運動を支援した。 
 
独立運動なんてどこの国も支援しなかったです 
中華民国上海で結成され、日中戦争勃発後は重慶に移ったが、枢軸国連合国双方から「臨時政府」とはみなされず、国際的承認は得られなかった[1]
 
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▲生前の毛沢東の姿=聯合ニュース資料
毛沢東は1949年10月中国本土征服を終わらせた後台湾に逃げた蒋介石軍隊をせん滅する計画をたてた。 1950年初めには約15万人の上陸兵士と約4,000隻の船舶を中国側対岸に集結させた。 ソ連独裁者スターリンは武器支援を約束した。
 
 
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▲2次大戦後国際政治展開過程でスターリンと正面対決を広げた米国トルーマン大統領.かな?
 
まさにその時期、トルーマン大統領は米国が台湾に対するすべての軍事的支援を切ると発表した。事実上台湾をあきらめたのだ。中国の台湾占領は時間の問題と見えた。この発表があった1950年1月5日毛沢東はモスクワでスターリンと中蘇同盟交渉を進行中だった。
米国がこの時を捉えて台湾放棄を宣言したことは中ソ同盟を結ばなければ米国が門戸を開いておいて待っているという毛沢東に送った暗示であった。 スターリン毛沢東ユーゴスラビアのチトーのように独自路線を歩くか心配していた。
もし共産中国が米国、英国など西側諸国と修交して独自路線を歩くならばスターリンソ連の国際共産主義勢力に対する指導力は弱くなって米国は中蘇を分裂させようとすることだと判断したのだ。 スターリン毛沢東の中国をソ連の影響力中につかむためにニンジンとムチをかわるがわる使っている時であった。
すぐにこの時、キム・イルソンはスターリンから南への侵略許可を受けようとだだをこね始めた。
 
 
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▲戦争と国際政治の本疾雨を貫いていたスターリンの指先に毛沢東とキム・イルソンはもてあそばれた。 (c)
 
戦争と政治の本質をよく理解する老練で冷静なスターリンはキム・イルソンと毛沢東を操縦しながら米国を打つ機会がきたと考える。ソ連は1949年夏に核実験に成功して米国の核兵器独占時代を終わらせる。ほぼ同じ時期に中国が共産化された。核武装したソ連と人口が最も多い中国が手を握れば米国など自由世界に対抗する力ができる。 どのようにすれば中国が中立陣営や米国側へ渡ることを防いでソ連の下につかんでおくのかであった。これは世界の地図を決める問題であった。
 
この時、キム・イルソンが訪ねてきて南への侵略許可を下ろして軍事的支援と戦争地図までしてほしいとスターリンにぶらさがったのだ。スターリンはキム・イルソンをエサになんと韓半島を国際戦場で作って中国と米国が戦うようにすれば中国は自然にソ連に依存することになることで米国とは敵(敵になることだと計算する。
 
問題は台湾だった。 毛沢東の中国は台湾攻撃時期を1950年夏に設定した。 キム・イルソンの南への侵略予定時期と重なる。 もし毛沢東の中国軍が米国から捨てて受けた台湾を先に攻撃、占領してしまえば毛沢東はさっぱりした立場で台湾占領を放任した米国に接近しようとするだろう。 そうなるとスターリンは中国と米国を韓半島で戦うようにすることができなくなる。
中国の台湾攻撃が先になのか、北朝鮮軍の南への侵略が先にかとのしたがって世界史が変わる瞬間だった。
 
この瞬間スターリンは台湾侵攻と韓国攻撃時期を決定できる位置にあった。毛沢東とキム・イルソンはほとんど同時にスターリンに攻撃のための武器支援を要請した。スターリンはキム・イルソンの南への侵略を優先的に支援することにする。1950年4月モスクワを訪ねてきたキム・イルソンにスターリンは"武器を支援する。戦争計画も作る。 しかし米国が介入してもソ連軍を送ることにはならない"と釘を打ち込んだ後条件を付ける。
"毛沢東を訪ねて行って説明して了解を受けなさい。了解を得られないならば再検討しよう。"
スターリンはキム・イルソンの南への侵略に毛沢東を保証人に引き込んだのだ。 キム・イルソンは5月に毛沢東を訪ねて行く。 毛沢東はキム・イルソンの南への侵略を積極的に支援すると約束する。 米軍が介入すれば中国共産軍を送るとまでした。 キム・イルソンはそんなことはないことだと豪語大言壮語した。
スターリントルーマン同じ人が料理する冷戦時代の国際政界で不学無識なキム・イルソンは利用価値しかなかった。スターリンが自身をおとり(えさ)として米国を韓半島に引き込んで中国と戦いを付けようとするということを知る由もなかった。
 
 
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▲若い時期のキム・イルソン(若くないですけど)
 
スターリンは賢いパク・ホンヨンを押し退けて操り人形役割につりあったキム・イルソンを選んだ。 1950年6月25日キム・イルソンが南侵した。米国時間で6月27日午前トルーマン大統領は長官たちおよび議会指導者らと会った席で二種類の歴史的発表をする。まず米国の海空軍力で韓国を支援するようにしたとのこと(3日後陸軍派兵決定),そして第7艦隊台湾海峡に送って中国の侵攻から台湾を守るように命令したとのことだった。 トルーマンの決断で両国が生き返った。この二つの国はその後経済開発に成功、1人当り国民所得(購買力基準)で遠からず米国に追いつくことになる。 
 
1947年西太平洋海軍部隊に改編されたが、1949年第7特派艦隊となり、1950年2月に第7艦隊へと再編成された。
 
キム・イルソンが先に南侵したせいで毛沢東の台湾占領計画は水の泡になった。 毛沢東の不運はここで終わらなかった。 スターリンは国連軍が仁川(インチョン)上陸後北朝鮮軍を押し倒しながら38度線を越えて北進しよう毛沢東に派兵を圧迫する。 キム・イルソンも派兵を哀願する。
毛沢東は台湾占領のために集めておいた兵隊を韓国に送ることになった。 そして米軍と戦う。 米国と親善関係を結ぶこともできたとても短い機会の時間は閉じられて長い米中敵対の時期が始まることだ。 この時期中国は米国など西側世界から孤立して先進技術を導入できなくなる。 毛沢東が起こした大災難である大躍進運動文化大革命で数千万人が死んでいったのもこの時期であった。
その22年後ニクソン大統領時期はじめて米中関係に突破口ができて本格的な改革開放は30年が流れた1980年代からだった。毛沢東とキム・イルソンはスターリンに利用されて人民を悲しみに陥れたのだ。
 
 
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毛沢東とキム・イルソンはスターリンに利用された。
 
 
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(文責:みそっち)


 
かわいそうな主張じゃないですか、少なくとも韓国人のすべてはキタ朝鮮の攻撃があったときに釜山まで全力で逃げているですね 
しかも人民裁判でいっぱい殺してるよね、兵隊集めるってこんなことやら
 
保導連盟事件(ほどうれんめいじけん)、1950年6月25日朝鮮戦争勃発を受けて、李承晩大統領の命令によって韓国国軍韓国警察共産主義からの転向者やその家族を再教育するための統制組織「国民保導連盟」の加盟者や収監中の政治犯や民間人など、少なくとも20万人あまりを大量虐殺した事件[1][2]
 
こんなこともあったし
 
国民防衛軍事件(こくみんぼうえいぐんじけん)は、朝鮮戦争中の1951年1月に、韓国国民防衛軍司令部の幹部らが、国民防衛軍に供給された軍事物資や兵糧米などを横領した事件。横領により9万名余りの韓国軍兵士が餓死したとされる[1]。 国庫金23億ウォン、糧穀5万2000が着服・横領され 
 
ほらねすごいでしょ ええと 5万2000石って180.39 Lの5万2千倍なのです。  ものすごい量なんですけど そのおコメですがどこに行ったかというとちゃんと半島人民が食べたわけです。
 おかねはきちんとハワイ滞在費用に使われました 誰の?   このひとやで  
 
李承晩5月29日早朝に夫人を引き連れ、金浦国際空港からアメリカ・ハワイ亡命した。見送りに訪れたのは、大統領代行となった許政外務部長官だけだった
     
中華人民共和国の独立宣言は1949ねんですけど