minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

七支刀というのがあってそれを

 
 
 
 
 
毎年この時期になるとあるんですよ それも半島で
 
 
イメージ 4七支刀(ななつさやのたち、しちしとう)は、大王家に仕えた古代の豪族物部氏の武器庫であったとされる奈良県天理市石上神宮に六叉の鉾(ろくさのほこ)として伝えられてきた鉄。全長74.8cm。製造地は中国とされている。 wiki
 
七支刀は、神功皇后の時代に百済の国から奉られたと伝えられ、奈良県天理市石上神宮(いそのかみじんぐう)に保存されていた。千年以上もその存在が忘れられていたが、明治時代初期、当時の石上神宮宮司であった菅政友が刀身に金象嵌銘文が施されていることを発見した[1]
 
日本書紀』には七枝刀との記述があり、4世紀百済からへと贈られたものとされ、関連を指摘されている。刀身の両側から枝が3本ずつ互い違いに出ているため、実用的な武器としてではなく祭祀的な象徴として用いられたと考えられる。朝鮮半島と日本との関係を記す現存最古の文字史料であり、好太王碑とともに4世紀の倭に関する貴重な資料である。
 
1953年(昭和28年)、国宝指定された。所蔵は石上神宮石神神社)。基本的に非公開であるが、近年では2010年5月17日から6月11日に石上神宮にて時間および人数限定で公開された。
 
 
 
 
 
 
第3回七支刀製作刀匠追慕の会が開かれた
 
 
[今日のミーナ] 18日、忠清南道瑞山市ジゴクはドソンリで1600年前の七支刀製作刀匠に対する追慕祭が開かれた。
 第3回目を迎える七支刀製作刀匠追慕祭には、ジゴク府プンムルダンの奮い立つ公演を皮切りに、ギムミョンフイ西山銀色舞踊団の踊り、七支刀製作刀匠追悼と西山の安寧祈願と一緒にする調和の行事で行われた。 
 
 
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▲古式朝鮮の伝統的衣装を着て祭祀がとりおこなわれた。(まじめにやってるぉ)
 
細工した鉄(锻铁)で作成された両刃のナイフ全長は74.9cmであり、刃の長さは65cmである。
剣の左右にそれぞれ3つずつの刃が持つ形に伸びており、七支刀(七支刀)と呼ぶ。剣の両面には、60文字の铭文が金象嵌技法で刻まれている。武器としての実用性ではなく祭仪などで象徴的な目的のために書かれたものと推定される。
 
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日本書紀によれば百済から倭に伝えられたとあるだけで実際の製造地がどこだとかについては疑問ののこるままである
 

模造品まで製作展示しちゃう、
 
忠清南道百済歴史文化館は、考証を経て、伝統的な製鉄技術で復元された七支刀を与える百済文化団地内の歴史文化館1階常設展示する。今回の復元に成功した打つも、これまで重ねて失敗した鍛造製(鉄叩きする方法)方法で復元する成果をおさめ​​た。
日帝強制占領期に命脈が絶たれて幻になった百済の武器製作技術が子孫の指先で復活しています。
 
 
イ・ヘムン(学芸研究チーム長/忠南百済歴史文化館):「百済が持つ製鉄技術。当時 の最先端ハイテク技術を今日また復元したことに大きな意義があります。」 武寧王陵から出土した環頭大刀と一緒に百済古墳の公州水村里と天安龍院里の環頭大刀もやはり伝統技法で復元されました。刃の厚さは3ミリに過ぎませんが鉄を15度たたんでたたいて3万2千重ねて作りました。原料の鉄は松炭で千五百度まで加熱した伝統'百済法'を利用して海辺砂の砂鉄から作りました。
ミョンワンホ館長は、 "製鉄から細工まで、金属工芸品の専門家たちが1500年前の百済の技術を再現した"とし"復元された刃を使って当時の百済の最先端のハイテク技術を鑑賞してほしい"と話した。
※朝鮮時代に鉄砲さえ作れなかった文明の痰壷ごときものがスゴイですね 
 
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▲なぜこのような石碑を建ててまで起源説を主張するのかは韓国人でもわからない

 
その根拠はたったこれだけ
 
イウヌ郷土の歴史家は、 "七支刀製作は[国の西にし(河)を渡って7日間もかかっていく遠方ゴクナ(谷那)というきれいな水が出てくる鉄山(铁山)で作成したもの]と書かれている日本書紀の記録の表示したとき、当時百済の中心は漢城にいたので、西側とを渡って7日間を行く"ゴクナ"という土地は、忠清南道瑞山ジゴクのことで、そのため、七支刀を作ったヤチョルジヌンドソンリ村鉄山と呼ばれるヤチョルジルル至るだろう"と説明した
 
 
 
(翻訳:みそっち)
 
 

 
 
ニホンに伝わるモノの原産地を主張しているようです、その根拠となるのは”日本書紀”その日本書紀によれば散々なことが書かれている韓半島なわけですからどーでもイイし、そーいえば伝統的手法によって作られた国璽がインチキだったなんてありましたから こちらもその系統に分類されるんでしょうか。
あっ 3回目ですか そーですか