minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

ブラックイーグルスっていうのがあって


ブラックイーグルスは1996年のソウルエアショーがデビューだったのになぜか1953年のムスタング飛行隊になっていて、ムスタングって朝鮮戦争に韓国空軍が参加していたとか与太話まででてくるあたりをちょびっと見てみたのです
 
 
さいしょはあっちのブラックイーグルスのWiki解説から
 
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イメージ 5[航空ミーナ] ブラックイーグルス (Black Eagles、第239特殊飛行大隊)は、様々な特殊飛行を介してパイロットたちの組織的なチームワークと高度の飛行機量をお目見えしている大韓民国空軍特殊飛行チームで第8戦闘飛行団に所属している。 ブラックイーグルス大韓民国空軍を代表する使命感と誇りに国家は忠誠と奉仕を、国民には喜びと希望を与えるために、一致したチームワークで最高の飛行を目指していきます。 様々な国家行事やエアショーで韓国と空軍を代表する機動を見せている。 1953年韓国で初めて4機のF-51ムスタングで初の特殊飛行発表して以来、1967年にF-5Aに設定された "ブラックイーグルス"のチームが創設され、
 
イメージ 11979〜1993年まで一時的に中断された航空ショーは1994年のA-37B機種に常設のエアショーチームのブラックイーグルスチームとして再創設された。 2007年、T-50への機種転換のためにしばらく解隊された後、2009年、T-50に機種を変更して、第239特殊飛行大隊ブラックイーグルスで増創設された。
2010年のエアショー専用機チェーンT-50Bを買収始めて2011年4月T-50B消費戦力化を完了しました。
▲そのA-37っていう地上攻撃機
 
 
大韓民国空軍8戦闘飛行団 ( 英語 :ROKAF 8th Fighter Wing)は、 江原道 原州市に位置し、 大韓民国空軍の戦闘飛行団である。 F-5E / F戦闘機を運用しており、A-37機を運用する際、韓国空軍特殊飛行チームブラックイーグルスの駐屯基地であったが、2006年子供の日の行事のうち1機が墜落して、次に、T-50訓練機に機種を変更し2009年1戦闘飛行団で増創設され、2010年12月に8戦闘飛行団に復帰した。  
 
(翻訳:みそっち)
 

さてここから
 
朝鮮戦争と韓国空軍に寄り道っ

最初の戦闘機の導入推進   30分の試乗で板付から韓国まで飛ぶ
 
 
イメージ 6[エアミーナ] 6月25日序盤戦から、このように米空軍と北朝鮮空軍機が空で空中戦を受ける間、たった一機の戦闘機もなかった私たちの空軍は適当な対応手段が見つからないまま足だけ口をざるを得ない切ない境遇であった。
李承晩大統領は開戦直後の26日、米国側に戦闘機を援助してくれることを強く要求した。
1948年以降の戦闘機を提供してくれという韓国政府の要求を2年以上拒絶していた米国も、いざ戦争が勃発するとの立場を変えた。 F-51ムスタング戦闘機を空軍に提供するという意思を表明したもの。 キム·ジョンリョル空軍参謀総長は、F-51ムスタング戦闘機の導入準備の次元で26日10人の操縦者を選抜し、日本板付(板付)の米軍基地に派遣した。
 
 
26日に10人を選抜して 板付基地に派遣したのですね ?
 
 
 
日本に派遣されたパイロットは、時々刻々悪化していく戦争の状況に焦りを出すしかなかった。 ソウルが陥落したという衝撃的なニュースが伝わるなど、故国のニュースは残念な話だった。
また、日本現地の天気が続いぼやけ6月26日から30日まで、一度もF-51の飛行訓練を実施することができなかった。 7月1日、米軍基地の空が取り除かれた。 この日派遣されたパイロットの一部が初めて飛行訓練を受けることができた。 7月2日、韓国のパイロットは、F-51を運転して離陸した後、すぐに機首を回して韓国に向かった。 金ソンリョン前空軍参謀総長"そうだとしたら、当時の飛行回数はたった1回で飛行時間も平均30分程度"だったろうと証言する。
 
 
すごいすごいっ 板付基地からニホン海を渡って韓国まで飛んでいったのですか まぁ普通かな
 

 
韓国空軍の戦闘機1950年7月3日初出撃

 
7月2日、韓国に到着したパイロットは、翌日の3日からすぐに出撃に乗り出した。 当時10人のF-51マスタングパイロットのうち一人ガンホリュン空軍予備役准将は
 "実質的な攻撃の効果を期待することがあったわけではない太極マークをつけ戦闘機を韓国軍に見せるために出撃を敢行したもの"と説明した。
 
ガン将軍の適度な説明とは異なり、最初出撃したF-51編隊の戦果は小さくなかった。 3日出撃したF-51編隊は東海岸の墨湖ㆍ三陟地域で敵地上軍に機銃掃射を加え、多数の兵力を破壊して燃料集積所1カ所を燃やした。 また、永登浦と鷺梁津地区に集結した敵地上軍にも攻撃を敢行、敵戦車2台と車3台を撃破し、弾薬集積所1カ所を燃やした。
※戦果確認には通常なら偵察機が使われますが、韓国空軍には偵察機はありません、米軍が戦果確認を下という記録もありません。つまり自己申告が記録になっているのです。またこれらの戦果は地上では確認されていません
 
 
空軍の初出撃記念日をはじめて聞いた韓国空軍
 
2008年から空軍は6.25戦争当時韓国空軍の最初の戦闘機であるF-51の初出撃日の1950年7月3日をパイロットの日記念している。 大韓民国の空を私たちの戦闘機が守る始めた最初の日という象徴性があまりにも大きいからである。
 
次の日の4日、韓国空軍で最も飛行経験が豊富なパイロットの一人だったイグンソク(准将追叙)大佐がF-51を運転して出撃中ソウル冠岳山付近で敵戦車を破壊した後、敵の対空砲弾に襲撃された。 残念なことに韓国空軍の戦闘機パイロットが戦闘任務中戦死した最初の事例であった。 韓国空軍が1950年7月に導入したマスタングもすぐにはD型である。
 
資料提供:国防日報
 

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本当の歴史
 
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▲1950年4月の東亜日報紙面によると"韓国空軍最初の練習機が連合国(アメリカ?)から導入された"ってありますょ しかも見渡す限りの写真合成かも? 飛行訓練は4月から始まったと見るのかな
それじゃ戦闘機もブンブン乗れちゃうんでしょ
 
 
韓国空軍のこんなところがすごい すごいっ
 
26日に10人を選抜して 板付基地に派遣したのですね ? (今の福岡空港)、天気が悪くて一回練習して(30分程度)それでおしまい? 
※板付基地ではニホン語話したりしたのかな?
 
7月3日に板付基地からニホン海を渡って韓国まで飛んでいったのですか  それは昼間ですか夜ですか?
 
 
はい、ここに板付基地の連合国側あわてっぷり資料があるのですね、
 
芦屋とか岩国とかが爆撃機の飛行場で戦争初日には入間基地(当時はジョンソン基地?)に展開していた第3軽爆撃機飛行隊と第13軽爆撃機飛行隊のB-26爆撃機26機やオキナワの第20航空軍しかなくって整備部隊とが爆弾持って大移動だったんだとか、この米軍軽爆撃機部隊の援護に戦闘機は出てこないんですよ、板付基地から陸兵500名が釜山に空輸された(7/4?) 

※開戦当時朝鮮半島アメリカ空軍部隊はいなかった、当然ニホンから攻撃しに行くことになるし戦闘機の護衛がつくようになるのも、もっと先の話
朝鮮半島に米軍の不時着基地が整備されるのもその頃になってから。
つまり飛行場も燃料も武器弾薬も何もない韓国のどこかの基地から韓国空軍機が離陸するなんて不可能だけど

 
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朝鮮戦争が始まったと聞いて戦闘機基地だった板付基地から米軍のP-81とP-80が朝鮮半島の要港の警戒にあたっただの 初戦果はあれだのこれだのいっぱいあるんですが。
 
韓国空軍の戦闘機10機は初日に1機が失われて(自爆)あとの消息がわかんないのです、どこに着陸したんでしょうね、飛行場なんか勝手に降りちゃっていいものかどうか?

※戦闘機が供与されるなら整備する兵隊の教育も必要になります。そのへんのが準備できたのが1952~頃のようです。韓国空軍の参戦は停戦交渉の最中でしたよ

 
イメージ 4
 
▲やがて戦線がやばくなってくると それこそ韓国空軍の活躍なんて出てこないの、であるとすれば韓国空軍創世記はおままごとのように書かれたノベルズではないかというぎもんがでてきちゃいます
 
 
※ニホンの民間航路は1950年11月に連合国から許可
 
 
 
 
 
このへんのムスタングが韓国空軍に供与されたという記録にはいくつもの資料があります、アメリカ軍中尉の指揮する部隊がムスタング機を空輸したという記録はありますが、その機体で韓国空軍は済州島で訓練をして結果的に参戦したのは1952年以降というのが正しいようです。

まさか”韓国人パイロット”のために米軍の整備兵が機体整備したとでも言うのでしょうか? 

※供与されたムスタングは太極マークをつけて飛んでいました。 その機体をつかって地上掃射していたという記録もあります、ただし指揮官やパイロットはすべてアメリカ人です