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南极世宗科学基地内の暴行事件の内幕 ②

[追跡]南极世宗科学基地内の暴行事件の内幕全文②
2009年
 
” 20次越冬隊の時も暴行事件発生 公衆保険医がA氏に書いた所見書には脳天と左手手の甲に2×2㎝大きさの新しくできたアザが観察されると書いている。公衆保険医が取った写真には彼の頭に血まめができた姿が表われている。 彼は“世宗(セジョン)基地で暴力を行使した人は理由如何を膜論して無条件帰国措置させるとひとりがすぐにパク総務なのに本来本人が無慈悲な暴力を振り回している”として“彼は海洋研究員で20年余り近く仕事をして恐ろしいのがない人のようだ”と話した。
極地研究所によれば朴氏は海洋研究員草創期時期から施設部門仕事をしてきたという。 A氏は南極世宗(セジョン)基地内でのまた他の暴行事例を聞かせた。 “2年前にパク総務と20次越冬隊生活を共にしたキム○○隊員話ではパク総務が酒に酔って自分を暴行したということです。
そのお兄さんが私に'コック長が腹をくくれば(韓国に)入って刑事件で告訴もできて。私もその考えまでして、みな打ち破ると決心したことがある'でしましたよ。世宗(セジョン)基地ではそんなことが数十回したようです。” パク総務は2年前20次越冬研究対の時も総務を引き受けた。極地研究所カン・チョニュン基地(機知)支援チーム長は“昨年世宗(セジョン)基地に行った時隊員からパク総務が20次時暴行をしたという話を聞いたことがある”として“報告されたことはなくて、基地(機知)自主的に主義(注意)措置したようだ”と話した。再びA氏との対話. ―キム○○隊員のほかまた他の暴行事例があるんですか。 “隊長様が今回のことを問題にしないで移ることを勧めながら'これも研究所では毎借貸ごとに一回ずつあった暴行事件の一種だと考えること'と話したことがあります。また'20年余りの間隊員どうし一度や二度ではなかったこと'と話したりもしました。” 彼は世宗(セジョン)基地や極地研究所が暴行事実を認知して、問題点を改善しようとするより隠すのに汲々とするとしこのように話した。 “私が事件翌日隊長様にCCTVを見たかとするから見なかったそうだよ。その翌日も見なかったといって。CCTV画面を私にくれと言っても'何に使おうとするか'として研究所に尋ねなければならないといいますよ。CCTV画面をくれないならば暴行事件があったという事実確認書だけでも書いてくれと言ったところそれまで今日明日と延ばしますよ。そうするうちに27日にはCCTVが消されててみることができないたというられるましたよ。基地(機知)でCCTV画面を消すことができる権限は隊長様しかいません。” 彼はチン隊長との対話内容を録音した。彼は“世宗(セジョン)基地と極地研究所の人々がみな固く団結して私の話が偽りというならば私の話を誰も信じないそうだった”として“動画と録音収録がなかったとすれば虚偽事実流布疑惑でかかっただろう”と話した。録音収録によればチン隊長は7月27日“CCTVはモニタリングが目的なので3日なら消される。そうしてみることができなかった”と話した。
 
先んじた隊長はA氏の動画要求に“もしコック長が動画を外部で公開すれば私がとうてい耐えられることはできない物事になる。私だけでなく私たちの組織、極地研究所、大韓民国全体にダメージ(衝撃)がある”として“私が保管していてこのような事件が再発すれば提供することができる”と話した。 極地研究所によれば世宗(セジョン)基地のCCTVの録画記録は概略4週ぐらい保存されて、録画記録を消すことができる権限は基地隊長にある。したがって録画記録保存が3日間にすぎないというチン隊長の主張は説得力がない。 A氏は先んじた隊長が動画提供を断った時その代案で暴行事件が発生したという事実を証明書で書いてほしいと要請した。しかしチン隊長はそれはやはり断った。 チン隊長はCCTV動画が3日ぶりに消されたといった後暴行事実確認書を書いてほしいという彼の要求に対して“目撃した人々に(直接)受けて。なぜ隊長がすべきで”として握りつぶす。“暴行事件を認知しているというお買いになるほど認めてくれと言うがそれも難しいか”と尋ねるとすぐにチン隊長は“難しくて”と話す。それから“どのように利用しようとするの?証拠を持ちたい理由が何?”として問い直す。 8月中旬ぐらいチン隊長はA氏が李洪錦(イ・ホン金)極地研究所長にEメールを送ったことに対して“所長(訴状,小腸)が見る時これは猟奇的な事件だ。私が解決するのがさらに複雑になった”と話す。また“運が悪くて犬に一度飽きたこととか、このような形で処理して'8ヶ月の間南極において良かった。できるだけはやく離れる'こうすれば私が(研究所側と交渉できる)カードになるだろう”と話す。 チン隊長は辞職理由書も虚偽で書くことを強要したという。A氏の話だ。 “チン隊長が私に辞職理由書サンプルを見せたのです。'お父様が危篤だ'とにがいというが、実際にお父様が調子が悪いのでとうていそのようには使えなかったんですよ。それですでに亡くなったハルモニムが危篤で使って出てきました。” 一日でもはやく世宗(セジョン)基地から抜け出すことを望むA氏にチン隊長は“あなたがはやく出て行くには、あなたも協力しなければならなくて”と話す。A氏が“出て行って口を閉じているという覚書を書くという話か”と尋ねるとすぐにチン隊長は“覚書でも何でも”と話す。 隊員パク総務善処呼び掛け 第22次越冬研究隊員が昨年8月仁川(インチョン)、永宗島(ヨンジョンド)海上警察特攻隊訓練場で訓練をしている。 今回の世宗(セジョン)基地22次越冬研究対は隊長を含んで全17人だ.隊長だけ極地研究所職員で、A氏とパク総務を含んだ16人は全1年契約職だ。A氏は本人が願って契約が解約されたし、朴氏は極地研究所人事委員会の決定によって契約解約された。また、チン隊長は処罰程度中最も低い'主義(注意)'措置を受けた。 極地研究所カン・チョニュン チーム長は“孤立した地域にあるチン隊長に重徴系をおろす場合、どんな変数が発生するかもしれないひとまず'主義(注意)'措置した”として“チン隊長が来年に帰国すれば再び重い懲戒する方針”と話した。 極地研究所から契約解約にあった朴氏はまだ世宗(セジョン)基地に留まっている。去る9月8日A氏が基地(機知)を抜け出す時共に出てくること困ったためだ。極地研究所は次の飛行機の便が確保され次第すぐに朴氏を帰国措置すると明らかにした。 ところで朴氏の契約解約に対して去る9月7日A氏と朴氏を除いた基地の隊員15人電源が朴氏の善処をお願いする嘆願書を極地研究所に提出した。隊員は嘆願書で朴氏をこのように擁護する。 “この事件は誰も予想できなかった偶発的な事件だった。普段キメ細かくて、責任感が透徹した総務様がこのような事件を起こすとは想像もできないことだ。今回のことが総務様の個人的な感情表出というよりは長い間基地(機知)が抱いていた問題に対する私どもの越冬隊全体の感情表出のたのではない||Pかと反すうしてみる。普段総務様は強い責任感と広い理解の心で隊員の一番上の兄役割をした。” 反面コック長であるA氏に対してはこのように評価した。 “越冬初期に交替させられて入ってきた新しいコック長は初めから隊員らと葛藤が多かった。一般的でない献立だけでなく似合うのが難しい行動と性格は私どもの努力にもかかわらず、結局ほとんどの適応するのが難しかった。私どもはコック長との頻繁な葛藤によって積もった不満をほとんどのろ過なしで総務様に話した。総務様もずっと積もる精神的・肉体的ストレスを勝ち抜くことができなかったようだ。” チン隊長は朴氏をこのように評価した。 “20次越冬隊の総務を歴任したことがあって、選抜過程で20次越冬隊長を歴任したイ・サンフン博士を始めとした皆さんから良い評価で推薦を受けた。基地(機知)のお母さんの役割を良くしてきた。今回の事件が起きたことは調理台院と隊員の間の関係が円満でないのが直接的な原因だった。仲裁者でずっとこの問題の中で立っていた総務が飲酒によってその間のストレスが一度に噴出したことで理解する。善処することを望む。” コック長A氏に対する不満累積 反面A氏に対してチン隊長はこのように評価した。 “ほとんどの時間をしかめた顔で低俗な言葉似た愚痴とため息でそばで台所コンパニオンをする隊員を非常に不便にした。性格は円満でなくて、本人のストレスをよく解決できなくて、攻撃的指向を持ったようだ。初期から隊員との頻繁な摩擦が続いた。 隊員との摩擦は大変な共同作業が続いた3月と4月に入りながらより一層憂慮するほどの状況に進行された。多くの隊員がコック長の食べ物と性格に適応できなくて、二度にかけてこれを隊長に訴えたり嘆願書を提出することもした。4月下旬には結局コック長に基地次元で厳重な警告を与えた。コック長は突然南極行決定にともなう個人的ないろいろ(事業上・人間関係上)被害らと越冬隊に対する準備不足、連帯感不足などを吐露した。 最も大きい困難は隊員に受けるストレスといった。食べ物料理能力は中間水準であり、隊員和合道(ド)は非常に低くて、状況改善のための本人の努力は不足するが一食の食事準備も抜かないほど業務誠実道(ド)は高いと評価する。” コック長A氏と世宗(セジョン)基地隊員は今年のはじめから葛藤を経てきたという。第22次越冬研究対隊員が昨年6月選抜されて8月1週間海洋警察庁などで極地適応訓練を受けるなどきずな関係を結ぶことができたのに比べてA氏は今年の初め突然に合流することになった。だからA氏は他の隊員らとたびたび摩擦を醸し出した。 A氏は“前コック長が窃盗事件で帰国措置にあったせいで今年1月11日世宗(セジョン)基地で連絡を受けて1月16日に南極行飛行機に乗った”として“3年連続支援して失敗した世宗(セジョン)基地だったのでとても行きたかった”と話した。ソウル、狎鴎亭洞(アックジョンドン)で先輩と同業で日本式酒店(酒屋)事業をした彼は1月19日世宗(セジョン)基地に到着した。しかし(前任)専任コック長から何の引受引継を受けることができなくて初期適応から困難を経験した。 隊員は2月中旬彼とともに越冬ができるのか各自意見を書いて基地隊長に伝達した。
 
   つづく