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嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

消えたら推定現在価値500億ウォン

現在価値での500億ウォンっていうのはソウル市の年間予算(21兆7000億ウォン)から導き出される金融機関への利子負担10日分にも足りないょ
 
 
高宗は、100年前独銀行に100万マルク任せ
独外務省、日帝に金額だまし半分だけ払ってる
残りの行方不明...銀行にはまだあるかもしれ
 
 
イメージ 2イメージ 1"高宗(写真)が1903〜1906年ドイツ銀行に預けた秘密資金が今まで知られている50万マルクの2倍の100万マルク(政経済部の推定現在価値500億ウォン)だったことが明らかになった。
 
これまで高宗の "ドイツ裏金" 50万マルクは1908年に日帝が全額奪ったことで知られてきたが、今回裏金規模が新たに明らかになって、残りの250億ウォンにのぼる秘密資金の行方に関心が集まっている。 "
 
ジョンサンス明知人文科学研究所研究教授は、ドイツ外交部政治文書保管所所長韓国関連外交文書のコピー(国史編纂委員会所蔵)を判読する過程でこのような事実を知ることができるレポートと手紙10件を確認したと26日明らかにした。
 
▽高宗の秘密資金=高宗は1903年、中国上海徳華(德华·ドイツ - アジアの銀行)銀行を介して、ドイツ·ベルリンにあるディスコントゲジェルシャフト(後日、ドイチェ銀行にマージ)銀行に巨額のネタングム(皇室財産)を裏金に任せた。
 
高宗の秘密資金を探していた日帝は、ドイツ政府から裏金金額が51万8800マルクと確認された。 日帝は1908年、この金額に相当する24万9776円を二度にわたって引き出して押収した。
しかし、鄭教授が発見した在韓ドイツ公使コンラッド・フォン・ザルデルンの直筆のレポートによると、この金額は、ドイツが日本に虚偽の確認してくれたのだ。 ザルデルン公使は高宗の "ドイツ裏金"を管理している
 
しかしその後の裏金の行方は要として知れない、さらに当時独立国だった大韓帝国政府は探そうとはしなかったし、解放後になってもダレもがそのことを忘れていたのだ。
 
"1903年末皇帝(高宗)が私に人を送って、ドイツにお金を預けてたいた...巨額をドイツに預けた...ドイツに送ったお金が100万マルクを超えた...そのお金の半分を(日本に送らずに)確保してほしい。 そのお金を皇帝が送信される正当な使節のサイクルを韓国人たちもほしいと思う "(1907年2月5日よくデルンがミューベルク当時のドイツ外交通商部次官に提出した報告書)。
それから9日後の2月14日、ドイツ外交部の管理がザルデルンに送った手紙には、 "ミューベルクがこれに同意しザルデルンの後任である新しい領事が仕事を処理すること"と記されている。 ドイツ政府が日本に秘密資金関連の金額を騙したわけだ。
ザルデルンはなぜそのような提案をしたのか。 ザルデルンは高宗が困難な境遇にあることを説明した後、 "私は戦争が起きたら最善を尽くして高宗を助けると言った...私は政治的中立を守れというドイツ政府の指示を下達されたが、純粋に人間的な側面から、高宗を助けることができるとと思う "と話した(1903年ザルデルンがブウィルロドイツ首相に送った報告書)。
 
※結局戦争が起きたのは半世紀も過ぎたころというのが理解できない"韓国型教授"による論文かな?
 
 
▽秘密資金の行方= "大韓帝国の政治史研究"(ソウル大出版部)で高宗の秘密資金を追跡したソ·ヨンヒ(韓国近代史)韓国産業技術大教授は "1909年、高宗がホーマーハルバート(1863〜1949)先生を介して裏金を検索するしたが、ドイツ銀行側はすでに預金が引き出された状態と答えた "と話した。
日帝は51万8800マルクが押収しただけで後の預金を引き出した記録がない。 これにより、日帝が押収していない残りの50万マルクは今どこにいるのか。
チョン教授は "当時、銀行側はアメリカ人であるハルバート博士を韓国の"正当な使節 "がないと判断し引き出しを拒否するために、そのようダプヘトことができる"とし、 "1910年韓日強制併合条約が発表された後は、高宗も事実上引き出しが難しかったので、 "大韓帝国国庫証券"という名前で入金された口座にまだ秘密資金が残っている可能性が高い "と話した。
 
政経済部関係者も「債券消滅時効国際法慣例、ドイツ民法などを検討して見なければならない。
債券可否確認もまだ明らかになっていないため、もっと幅広い研究が行なわれないと」と前提した後 「私たちもこれに対する国際関係及び法問題などを検討している」と語った。
 
(翻訳:みそっち)
 


 
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