三菱鉛筆はどうなっているニカ
みつびし鉛筆がはずかしくって
今の三菱東京UFJ銀行の前身である三菱銀行も、元を辿れば
三菱鉛筆資金部が独立・分社してできたもの。
現在の三菱商事も、そもそもの淵源は三菱鉛筆販売部が
販路を世界に拡大するために分社化して設立された。
三菱倉庫は、三菱鉛筆が製品の鉛筆を保管しておくために
建てた一棟の倉庫がルーツとなっている。
三菱重工業も、三菱鉛筆が鉛筆製造の機械をドイツからの
輸入に頼っていたのを自社生産すべきだとなって社内に
設立した三菱鉛筆機械製作所が、他の機械の生産も手がける
ようになり、その後拡大に拡大を重ねて現在のような大企業にまで成長した。
三菱鉛筆資金部が独立・分社してできたもの。
現在の三菱商事も、そもそもの淵源は三菱鉛筆販売部が
販路を世界に拡大するために分社化して設立された。
三菱倉庫は、三菱鉛筆が製品の鉛筆を保管しておくために
建てた一棟の倉庫がルーツとなっている。
三菱重工業も、三菱鉛筆が鉛筆製造の機械をドイツからの
輸入に頼っていたのを自社生産すべきだとなって社内に
設立した三菱鉛筆機械製作所が、他の機械の生産も手がける
ようになり、その後拡大に拡大を重ねて現在のような大企業にまで成長した。
三菱長崎の造船設計製図部門ではもちろん三菱鉛筆だけを使う
というカキコを読んだらしいあっちの大学生がかわいそうなんです
しかも いあんふお婆さんまで出てきちゃって
「そのボールペンと酒は日本極右企業の…」 不買運動をする韓国の大学生「大学生が使用する筆記具や酒・たばこには、日本の極右団体を支援する企業の製品が多いことを知りました。慰安婦問題に共感する意味で、こうした商品の消費を拒否するキャンペーンを行っています」。
2日の聯合ニュースによると、延世(ヨンセ)大新聞放送学科の広告サークル「考える人はここで復活する」の会長キム・ウヒョンさん(20、新聞放送学2年)は先月から、24人の会員と一緒に、日本の右翼教科書を支援していることが分かったアサヒビール、マイルドセブン、ニコンなど日本企業5社の製品に対し、不買運動を行っている。
キムさんは元慰安婦が暮らす京畿道広州市の「ナヌムの家」でボランティア活動をした経験がある。前学期にそこでボランティア活動をした数人の会員が、他の会員と経験を共有した。夏休み中に深く話し合った末、極右団体を支援する日本企業の製品を消費しないキャンペーンを行うことにした。
ほらね 恥ずかしいでしょ
201 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
184 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
なんでボールペンが出て来るかな、と疑問に思っていたんですが、気づきました。もしかして三菱鉛筆の製品のこと?
だとしたらターゲットを間違えています。三菱鉛筆は創業以来財閥系の三菱グループとは一切関係ありません。名前が三菱だからと三菱鉛筆を敵視しているとするとおバカな反応です。三菱鉛筆にとってはいい迷惑ですね。
だとしたらターゲットを間違えています。三菱鉛筆は創業以来財閥系の三菱グループとは一切関係ありません。名前が三菱だからと三菱鉛筆を敵視しているとするとおバカな反応です。三菱鉛筆にとってはいい迷惑ですね。
409 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
σ(・・)わりと鉛筆を作る機械って町工場風の家内制手工業だったような気がします
・ 鉛筆の輸入は明治時代に始まる。 ・ 日露戦争までは輸入品優勢の時代が続き、大正初め頃までの間に国産の生産量が増加。 ・ 軸板は輸入品と国産を併用。 ・ 大正3年頃より輸出開始。 ・ 第一次大戦によるヨーロッパの戦乱を機に輸出を拡大(品質は劣悪で、軸の両端にだけ芯を入れた粗悪な「キセル鉛筆」まで登場し、大戦後には先進国市場から閉め出される原因になった。 ・ 日中戦争に始まる戦争中は輸入が禁じられ国産品のみの時期が続いた。 ・ 軸板の供給は主として北海道材に依存。 ・ 敗戦で各産業が壊滅状態となったが、昭和30年頃には業界は戦前のピークを越えた。 ・ 戦後はインセンスシーダーの輸入が再開され、北海道材と併存したが、輸入材は高級品に、国内材は廉価品に利用された。 ・
昭和37~54年が戦後の生産量のピークで、以後次第に減少して今日に至る。