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嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

天安艦米原潜衝突異聞②



チェ・ムソンハム追跡してペクリョン島で北上したコロンビア号

駐韓米国軍司令部スポークスマンが<合同通信>記者に伝えたことによれば、対潜水艦訓練が広がったところは天安(チョナン)ハム事故現場で南に120km離れた海上という。地理的に話せば、忠清南道(チュンチョンナムド)、泰安郡(テアングン)で西の方に遠く離れた激烈比熱(卑劣)も付近海上だ。この海上は西海(ソヘ)海上輸送路を守る戦略要衝地だ。韓国軍は本来激烈比熱(卑劣)も付近海上で各種海上機動訓練を実施してきている。

ところで米国海軍報道局が2010年4月6日西海(ソヘ)発で報道した資料によれば、“(天安(チョナン)ハム)事件が起きた時一部米国海軍電力が近隣で(in the near vicinity)韓国海軍と合同訓練を実施するところだったし、捜索と構造を支援するために現場で急派された”ということだ。

ペクリョン島と激烈雨列島の間の距離(通り)は近くない。天安(チョナン)ハム事故が起きたペクリョン島近海と対潜水艦訓練が実施された激烈比熱(卑劣)も付近海上は120Kmも落ちた。それでも米国海軍報道局はなぜペクリョン島“近隣で”対潜水艦訓練を進行中だったと報道したのだろうか?

対潜水艦訓練は激烈比熱(卑劣)も付近海上でぐるぐる回る形に進行されたのではない。 激烈比熱(卑劣)も付近海上で始まった訓練は、ペクリョン島側に北上する移動標的物、言い換えれば人民軍潜水艦で仮定したチェ・ムソンハムを追跡、撃破する形に展開した。 南側言論に報道された類似の事例を見れば、2004年10月10日から米国軍(郡)主導で実施した対潜水艦訓練も東海(日本海)北方境界線(NLL)近隣海上まで北上しながら実施された。 対潜水艦訓練の範囲が北方境界線すぐに南側海上まで北上したことが分かる。

こういう脈絡で見れば、天安(チョナン)ハム事故が起きる直前、コロンビア号がチェ・ムソンハムを追跡しながらペクリョン島側に北上していたことが分かる。そのような理由に米国海軍報道局はペクリョン島“近隣で”対潜水艦訓練を実施するところだったと報道したのだ。言い換えれば、コロンビア号はペクリョン島近海側に潜航、北上していたし、同じ時刻天安(チョナン)ハムはペクリョン島近海で対北朝鮮警戒(境界)作戦を遂行していたのだ。 このような情況はコロンビア号と天安(チョナン)ハムが衝突した可能性を高めてくれる。

駐韓米国軍司令部スポークスマンは<合同通信>記者に“米韓対潜水艦訓練は3月25日夜10時に始まって翌晩9時に終わった(The U.S.-South Korean anti-sub exercise began at 10 p.m. March 25 and ended at 9 p.m. the next day)”と伝えた。対潜水艦訓練を夜10時に始めたという話は深夜訓練中心に進行したという意だ。 また、彼は<合同通信>記者に“その訓練は天安(チョナン)ハムで起きた爆発のために終結した(The exercise was terminated because of the blast aboard the Cheonan)”と伝えた。 これと関連してウォン・テジェ国防部スポークスマンは2010年6月7日大言論説明会で“事故(思考)翌日の27日には海洋遮断作戦、潜水艦遮断撃滅訓練などを実施するなど28日まで訓練日程が決まっていたが天安(チョナン)ハム事故(思考)で中断された”と話した。対潜水艦訓練を3月25日夜10時から3月28日まで進行する日程を定めておいたことは韓米連合軍が三日の間昼夜に続く強力な北侵略作戦練習を行っていたことを語る。 ムン・ビョンオク合同調査団スポークスマンは“当時キー リゾルブ全体訓練は3月28日までだったが26日訓練は事故発生前の午後9時にすでに終了したし以後28日まで予定されていた他の訓練は事故が発生して中断されたこと”と説明した。

2010年3月26日夜9時、言い換えれば天安(チョナン)ハム事故が発生する22分前に対潜水艦訓練が終わった後、訓練を終えた米国潜水艦コロンビア号はどこへ行ったのだろうか? 激烈比熱(卑劣)も近隣海上でペクリョン島側に北上したチェ・ムソンハムを追跡、撃破する訓練だったから、その訓練を終えた夜9時にコロンビア号は当然ペクリョン島近海に到着していただろう。 三種類要因を注目する必要がある。

最初に、緊張の中に進行された対潜水艦訓練が夜9時に終わったので、その時からコロンビア号と天安(チョナン)ハムは休息に入っただろう。 天安(チョナン)ハム事故当時自分たちが運動室にあったか洗濯をしていたか外部と携帯電話で通話していたという生存乗務補助員らの陳述は、彼らが休み時間に油断していたことを語る。 コロンビア号乗務補助員らも同じだっただろう。 3月26日夜9時を少し渡した見解、緊張を解いて油断したコロンビア号と天安(チョナン)ハムがペクリョン島近海に一緒にいたという事実は衝突事故が起きた可能性を大きく高めてくれる。

二番目、事故(思考)海域は水深が50m程度だ。 そのような海でコロンビア号は当然海水面近く上がって潜航する。 潜水艦が海水面近く上がって潜航すれば怪しさと衝突する可能性が非常に高まる。

三番目、天安(チョナン)ハム筐体の下に水中音波探知機(SONAR)が設置されたが、天安(チョナン)ハムはなぜコロンビア号が接近するのを知らなかったのだろうか? 進駐港海軍造船所公報室(Pearl Harbor Naval Shipyard Public Affairs)が2009年10月27日に発表した報道資料によれば、潜水艦ハワイ号が2009年9月12日から26日までハム体表面を補強する工事を受けたという。 潜水艦筐体に特殊な筐体処理タイル(special hull treatment tile)を重ねてかぶせたことなのに、敵艦の水中音波探知機で発射された音波を吸収するステルス機能を強化したのだ。 ハワイ号だけでなくコロンビア号もステルス機能補強工事を受けただろう。 コロンビア号が天安(チョナン)ハムに接近する時、天安(チョナン)ハム水中音波探知機が反応を見せなかった理由はコロンビア号筐体がステルス機能タイルで覆われていたためだ。

なぜ9時15分を9時45分で直しておいたのだろうか?

天安(チョナン)ハム事故発生見解に対する合同調査団の発表を信じることができなくさせた新しい情報を注目する必要がある。その情報は、海軍作戦司令部が天安(チョナン)ハム事故直後合同参謀本部に上申した報告書に天安(チョナン)ハム事故(思考)が夜9時15分に起きたと記録しておいたのだ。この事実は2010年6月10日監査院が発表した‘天安(チョナン)ハム沈没事件対応実態’であらわれた。

ところで夜9時15分に天安(チョナン)ハムが事故に遭ったという海軍作戦司令部の報告を受けた合同参謀本部は15分という字にボールペンでニウン者を書き込んで9時45分で直しておいた。 この事実は国会天安(チョナン)ハム沈没事件真相調査特別委委員の民主党チェ・ムンスン議員が2010年6月11日天安(チョナン)ハム特別委全体会議で暴露したのだ。

合同参謀本部は海軍作戦司令部が報告した事故発生見解をなぜ30分も遅らせようと加筆したのだろうか? 軍法で処罰を受けることができる報告書操作行為は、処罰危険を甘受するほどの重大な理由があったことを語る。 その理由は下記のように説明されることができる。

万一、コロンビア号が天安(チョナン)ハムと衝突したとすれば、衝突事故に対する報告を一番最初に受けた側は駐韓米国軍司令部だっただろう。 今回あらわれたように、韓国軍は報告体系がとてもめちゃくちゃなのでのろま報告、わい曲報告であわてていたし、緊急命令を下さなければならない見解に韓国軍合同参謀議長は夕方会食で酒を飲んで泥酔状態にあった。 実際に合同参謀本部指揮統制室にのろま報告が伝えられた見解は夜9時45分だ。 合同参謀本部は事故発生見解をのろま報告を受けた見解で直しておいたのだ。 したがって韓国軍合同参謀本部は海軍作戦司令部からのろま報告を受ける前に駐韓米国軍司令部から先に通知を受けたと見てこそ道理に合う。 韓国軍合同参謀本部より先に天安(チョナン)ハム事故(思考)に関する報告を受けた駐韓米国軍司令部は韓国軍合同参謀本部に事故発生事実を通知して事態収拾のための緊急措置を伝えただろう。

ところで万一、コロンビア号と天安(チョナン)ハムが衝突したとすれば、韓国軍合同参謀本部は事故発生見解を後に遅らせようと加筆する必要があった。 なぜなら事故発生見解を後に遅らせてこそ、海軍と海上警察が事故現場で出動する見解を後に遅らせることができるためだ。 海軍と海上警察が事故現場になるように遅く現れてこそ、天安(チョナン)ハムと衝突したコロンビア号が状況を急いで収拾して事故現場を抜け出る時間的余裕を得たと考えることができる。 実際に海軍高速艇五隻が事故現場に現れた見解は夜10時32分であったし、海上警察501ハムが事故現場に現れた見解は夜10時38分だった。 事故が起きた時から何と1時間10分が過ぎたの後に事故現場に現れた、非常に異例的なのろま対応だった。 合同真のポ本部が事故発生見解を操作したのと海軍と海上警察が事故現場に遅く現れたことは、天安(チョナン)ハムと衝突したコロンビア号が状況を急いで収拾して事故現場を抜け出る時間的余裕を与えるための措置ではなかったのだろうか?

特異な現象に対する疑問はどのように解けるのか?

万一、コロンビア号と天安(チョナン)ハムが衝突したとすれば、天安(チョナン)ハムマン切断されて沈没したことでなくコロンビア号も展望塔や上段部などに大きい損傷を受けたことで、潜水艦に乗っていた乗務補助員が負傷したり死亡したかも知れない。 こういう状況だったら、米国は海底に沈んだ潜水艦破片らを除去して、潜水艦乗務補助員死体を引き揚げするべきだった。 実際に米国がそういう行動を取ったものとみられる情報は下と同じだ。

最初に、米国は事故現場一代(一帯)を遮断して衝突事故が世の中に知らされないように秘密維持措置を取るべきだった。 事故現場を遮断しようとするなら事故発生位置を隠して、言論の取材活動を他で誘引しなければならない。 海底に沈んだ艦尾を急に他の所に移しておくことはできない条件で、そのようにしようとするなら水の上に浮かんでいる関数を他の所に引っ張って置けば良い。 関数が事故現場で7.35kmも離れた遠方に移動した後に沈没したおかしな現象に対する疑問は、関数が潮流にのって遠く移動したという軍当局のあきれる説明では解けなくて、関数を他の所に引っ張って置いたと見てこそ解ける。 実際に言論の取材活動は3月27日から三日の間関数が沈没したとんでもないところで広がったし、その間に米国は艦尾が沈没した事故現場でコロンビア号破片を除去したものと見られる。